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管仲の器 篇

 今宵は論語講座@東京 vol.09でございました。ご参集いただいた皆様、ありがとうございました。

 『論語』の八佾第三

「管仲の器は小なるかな」
(管仲の人間としての器は小さいものだよ)

と、孔子管仲(かんちゅう)をこき下ろすシーンがあります。管仲といえば、後に稀代の軍師にして大宰相諸葛 孔明が若い頃、居並ぶ学友に向かって

管仲や楽毅のようになるのはオレしかいない

とマウントを取っていたということですから、孔明をもってして、尊敬されていた程の偉人です。

 時は中国の春秋時代、管仲は、斉の桓公を補佐して、桓公を覇者へとのし上げていきます。よく「春秋の五覇」として、この時代の五人の覇者を並び称しますが、この斉の桓公と晋の文公はダントツでぶっち切りのツートップです。この春秋の五覇と、この後に来る戦国時代の「戦国四君」の逸話は、どれも面白いので、また改めて取り上げたいと思います(戦国四君はキングダムなどでも取り上げられているので、馴染み深いかもしれません)。

 さて、もともと管仲は桓公の家臣ではありませんでした。むしろ、桓公と君主の座を競っていた敵方の軍師で、桓公を暗殺しようとさえしています。

 しかし、暗殺は失敗。管仲の主人は斬首となり、管仲も罪人として桓公のもとへと送られます。このとき、殺されてもおかしくなかった、というよりも桓公を暗殺しようとしたわけですから、当然、殺すべきだったんですね。このとき、桓公の腹心であった鮑叔(ほうしゅく)が、桓公に進言します。

「主君が斉一国のみを統治されるならば、私がいれば良いでしょう。しかし、もし天下に覇を唱えるというならば、管仲を宰相として迎えるべきです」

 この進言を、桓公は受け入れ、なんと自分を殺そうとした管仲を宰相に任命します。そして桓公を君主にするために功績第一だった鮑叔は、サッと身を引いて管仲の部下になるんですね。なんとなく現代の日本においても、人の才能を羨み、足を引っ張って出世を阻害しようとする半沢直樹的世界は、いろんなところにありそうですが、乱世の春秋時代でも当然、珍しいことではなく、この管仲と鮑叔の互いを認め合う友としての姿勢は、後世、

管鮑の交わり

として称賛されました。

 さて、宰相となった管仲に、桓公はこう言いました。

「オレを覇者にしてくれるんだろ?!戦争しようぜ!」

 しかし、管仲は首を横に振ってこう言ったんですね。

「倉廩(そうりん)満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」(『管子』)

 これは今は短縮化されて「衣食足りて礼節を知る」という諺になって伝えられています。国を発展させよう!とか、こんな行いを受けて辱められた!とか国民が思うためには、衣食住を充実させないといけないんだ、と言ったのですね。なんとなく、お給料もそんなに上がらずにインフレが続く中、防衛増税しようぜ、とか言ってる方達に届けたいお言葉でもあります。

 そうして管仲は内政改革を始めます。それまでの斉の君主が暴君で、戦争ばかりしていたので物価が高騰していたのですが、物価安定策を実施しました。また、中国の北東部に位置する斉は海に面しているので、農民に農業だけでなく製塩業や漁業を奨励して生活を安定させました。国民の生活が安定すると、商業が活性化します。商業が活性化すると、他国からどんどん人がやってきます。「徳」とは何か 篇で書いたとおり、徳のある人の元へは、何もせずとも人材が集まってくるんですね。

 とここまで読んでみてもお分かりのとおり、「仁」「礼」「徳」を持って社会変革をしようと提唱している孔子と管仲の考え方に、そんなに大きな隔たりがあるとは思えません。 

 しかし一方で、管仲は「法家」の始祖でもあります。「法家」と言えば何といっても第一人者は韓非子、もしくは韓非子の師匠で「性悪説」を唱えた荀子あたりが正統と言えるのですが、確実にルーツを辿っていくと管子(管仲)に辿り着きます。ちなみに名前の後につく「子」は「先生」という意味です。

 儒家を起こした孔子としては、仁も徳も理解している管仲の法家の一面が許せなかったのでしょうか。ちなみにこの

「管仲の器、小なるかな」

の後には、

「邸宅を三つも構えていやがって」

と続くのですが、ひょっとしたら誰にも認められることなく中華を放浪する孔子としては、桓公という良き理解者を得て天下に覇を唱える管仲が羨ましかったのかもしれません。

 こんな風にですね、『論語』というと何んだか

「オマエ、朝、早く起きる。とても良い(早起きは三文の得)」

みたいに、字面だけ読んでいくとアメリカのネイティブ・インディアンの酋長の教訓みたいになりそうに思われがちなんですけれども、とにかく、その歴史的背景を抑えていくと、めちゃくちゃ面白いし、現代にも通ずる学びがたくさん潜んでいるのです。特に、孔子が生きた春秋時代、その後に続く戦国時代聖人と呼ばれた堯・舜・禹から王朝、商(殷)までの流れと脱線しまくっていきますので、なかなか進みません。

 そんな論語講座@東京 vol.010 は、次回、3月21日(金)19:15より新宿近辺にて開催予定です。参加費は大人1,000円、大学生までは無料。参加ご希望の方はコメントをいただくか、

 hayashida@chinoasobi.com

までご連絡いただけましたら幸甚でございます。

(了) 2025 vol.036

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