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『新・マリアの父親』と『阿武隈梁山泊外伝』を読み直す 社会の「フクシマ化」が進んだ結果のmRNA遺伝子製剤禍

『新・マリアの父親』と『阿武隈梁山泊外伝』をAmazon KDPで改定版として国内外で販売開始した。

ISBN978-4-910117-49-0 A5判・208ページ ★Amazon KDP版 1529円(税込)

『新・マリアの父親』は、第4回「小説すばる新人賞」受賞作『マリアの父親』をベースにして舞台を福島に移した改訂版だ。
タイトルになっている「マリアの父親」とは何者なのか? その答えを見据えることは、現代を生きる私たちに、いっそう強い形で迫られている。それでも人々は見ようとしない。

↑↓余裕のあるA5判に組み直し、フォントも読みやすいように14級にした

日本はさらに「フクシマ化」が進んだ

『阿武隈梁山泊外伝』は、2011年の原発爆発後に講談社から発売され、各方面から注目された『裸のフクシマ』の続編ともいうべき、さらに赤裸々な実録。雑誌『東北学』に連載されたものを補完して一冊にまとめた。
 原発爆発前から、水源地に建設される巨大風力発電施設を巡っても村で起きた深刻な分断や、補助金漬け行政の歪み。移住者たちが目指した生活の理想と現実。個性豊かな人たちの生き様などをありのままに書いている。

A5判・178ページ 1408円(税込)

今回の改定ではA5判に拡大し、『新・マリアの父親』同様、読みやすくするためにフォントを14級にした。
Kindle版ではカラー写真を増やした。

↑↓ Kindle版では写真を増やした

 「フクシマ」は私自身の中でもどんどん風化していっているが、今読み直すと、mRNA遺伝子製剤禍の渦中にある今の日本にもそのままあてはまる「社会構造の欠陥」を嫌というほど実体験した記録だったと分かる。
 今回、あとがき部分を少しだけ書き足したので、それを含めて、以下抜粋してみる。


「フクシマ」の中で生き抜くために

 「フクシマ」を特定の事件としてとらえているうちは、問題の本質は永遠に見えないだろう。復興とか支援とか、そういうことだけで片づけられる問題ではないのだと言いたいが、言ったところで伝わるとも思えない。
 この隔絶、分断もまた「フクシマ」を形成している。
 「フクシマ」の問題を見つめれば見つめるほど、結局、人間は有史以来ずっと変わらず、こうした問題を抱えて歴史を重ねてきたのだということが分かる。
 私は戦争を経験していない世代だが、戦前戦後の日本は、まさに「フクシマ」問題と同じ構図の中にあった。問題を解決できなかったから戦争が起き、戦後の歴史でも多くの間違いを重ねてきた。
 日本中から雑木林が消えて、現在、荒れ果てた針葉樹林ばかりになっていること。沢や池沼が消え、私が子供の頃にはあたりまえにいた生物も消えてしまったこと。
 歴史について知っているようでいて実は何も分かっていなかった(学校では教えてくれなかった)こと。
 あるいは教えられた歴史は時の権力者に都合のいいように歪曲されていたこと。
 現代における戦争や殺戮は経済的要素がどんどん強くなり、かつてのような権力者同士の対立や国と国の争いといった単純な構図ではなくなっていること。
 メディアによるプロパガンダや情報統制という武器がどんどん進化し、恐ろしさを増していること。
 人間は命の危険があると脅されれば必死に行動する。
 現代社会において、その際の判断材料は政府広報やマスメディアに頼ってしまう。歴史を学べば、国家が国民を殺すことは少しも珍しいことではないのに、たまたま平和な時代が続いたために疑わない。疑わない人たちの多くは、善良で真面目で勤勉な「いい人」たちだ。その人たちのおかげで日々の生活が維持できている。むしろ、「分かっている人たち」の中に、「分かっていながら私欲と自己保全のために悪行に傾く」人がいる。そういう人たちの知能は概ね優れていて、中にはカリスマ性を持った人もいるので、善良な庶民を瞞すこともできる。
 ……そうしたこともすべて「フクシマ」と同じ根を持っている。
 つまり、「フクシマ」はこの世の中そのものなのだ
 私たちは「フクシマ」の中に生まれ、「フクシマ」の中で生きている
 社会の「フクシマ的構造」は簡単には変わらない
 こうした現状を踏まえた上で、いかに自分の命や生き甲斐を守っていけるか。周囲の大切な人たちと共感しあい、助け合っていけるか。それが問われている。
 ただし、生き抜き方の最適解は、その人が置かれている立場や状況によって違うだろう。それが絡み合うのが人間社会であるという「構造」もまた、万人が幸せになれる社会の実現を難しくしている。
 しかし、絶望的な要素ばかりではない。
 あの公害時代を乗り越えてきたこの国の技術力と真面目さ。これだけ独裁社会的な風潮が色濃くなる中でも、合理的な解決策を真面目に模索しようとする若者たちがいることなどは、幾ばくかの希望的要素だろう。
 なんだかんだいいながらも、人間は強い。阿武隈の地を離れて時間が経つにつれ、私自身はそう実感している。

昨日は「7回打った」という近所の高齢者(女性)と立ち話をしていたが、私が遺伝子製剤のことについて少し説明し始めた途端に険しい目つきになり、そそくさと話を切り上げて去ってしまった。
今日は雨が降る中、畑で転んで脚を傷めた妻と一緒に投票所に行って期日前投票を済ませてきた。選挙は回数を重ねるほど絶望感、無力感、虚無感が増す。もはや消去法で鉛筆を走らせる機械的な行動になっている。
自分の肉体がボロボロになっていくこととも合わせて、なんだか、「この世界」から少しずつ遊離していくというか、分離していく感じだ。
これからは何かを訴えるよりも、自分の余生を見つめて、少しでも深めていけるかどうかに挑戦していくつもりだ。

『阿武隈梁山泊外伝』あとがき より

『阿武隈梁山泊外伝 -全村避難の村に起きたこと-』

各方面から注目された『裸のフクシマ』(講談社刊)の続編ともいうべき赤裸々な実録。筆者が実体験した私的な記録。
原発爆発後、福島県浜通りの住民たちはどのような生活をしていたのか? 生活を根底から覆されて自殺する人が出る一方で、賠償金ラプソディや除染バブルで生活感覚がおかしくなる人たちもいた。
全村避難の村にいち早く戻ってそれまで通りの暮らしを続けることを試みた筆者が見た、あまりにも異様な光景の数々。
原発爆発前から、水源地に建設される巨大風力発電施設を巡っても村で起きた深刻な分断や、補助金漬け行政の歪み。移住者たちが目指した生活の理想と現実。個性豊かな人たちの生き様。
雑誌『東北学』に連載されたものを補完して一冊にまとめた本書は、筆者が実体験した、伝聞ではない、私的な記録ゆえに、一般刊行はされなかったが、mRNA遺伝子製剤禍の渦中にある今の日本にもそのままあてはまる「社会構造の欠陥」と、その中で生き抜くための柔軟な現実解が如実に語られている。

「フクシマ」はこの世の中そのものなのだ。
 私たちは「フクシマ」の中に生まれ、「フクシマ」の中で生きている。
 社会の「フクシマ的構造」は簡単には変わらない。
 こうした現状を踏まえた上で、いかに自分の命や生き甲斐を守っていけるか。周囲の大切な人たちと共感しあい、助け合っていけるか。それが問われている。


2014年10月、Amazon KDP版として改変し、再発行

A5判・178ページ 1408円(税込)

Amazonでご購入⇒こちら
Kindle版もあります⇒こちら


『新・マリアの父親』

30年前にすでに「3.11フクシマ」を予言していたといわれる問題作『マリアの父親』(第4回「小説すばる新人賞」受賞作)をベースに、最終舞台を幌延から福島に移し、登場人物等も一部入れ替えるなどの改作を施した「新版」。
「地球への恋愛小説」と評され、一時はオリジナルの単行本がAmazonで古書価格が2万円で出品されていました。
魚の活け造りができなくて板前修業を諦めたナイーブな青年「てっちゃん」、不思議な色気を漂わせる美少女「マリア」、そしてマリアの保護者代わりの天才科学者「デンチ」。 3人が繰り広げる、不思議な道中記。
この世界を操っているシステムを勉強する旅に出た青年がたどり着いたゴールは?
はたして「マリアの父親」とは何ものなのか?
「この星があなたの母。でも、あなたの父はそれを認めない」
「作者の志というか、つよい情熱が伝わってくる フレッシュな新人の作品に、ひさしぶりで出会ったような気がする(五木寛之)」(1990年 第4回「小説すばる新人賞」受賞作品原本発行時の帯より)
★2024年、Amazon KDP版に改訂するにあたり、読みやすくするためにA5判・縦書き一段組・本文フォント14級に再編集しました。

A5判・208ページ 1529円(税込)

Amazonでご購入は⇒こちらから
Kindle版もあります⇒こちら


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Tanupack
こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。