『馬鹿が作った日本史 縄文時代~戊申クーデター編』が届く~「本を作る」ということの意義
『馬鹿が作った日本史 縄文時代~戊申クーデター編』は、出版社が決まらないまま、例によってタヌパックでオンデマンド版として販売開始している。
「本を作る」ことの意義はどんどん薄まっているように思う。50年後、紙の本と電子化された文章のどちらが消えずに残っているだろうか。
紙は燃えてしまえば残らない。国会図書館に入れた1冊の本が生き残る確率と、ネット上に置いた電子テキストがコピーされたりしながら生き残る確率とどちらが高いか?
いやいや、そんなことを考えること自体、悲しき自己愛であり、解脱していない証拠だ、などと思いながらも、本を作り続けている。
円安のおかげでオンデマンドブックの原価が高騰してしまい、赤字覚悟でないとこんなことも続けられなくなっている。Amazonの基本手数料(契約料)に売上が及ばず、契約料が差し引きではなく引き落としされる月もある。それでも続ける悲しさというか、業の深さよ。
『馬鹿が作った日本史 縄文時代~戊申クーデター編』については、テーマを絞って書かないと、無名の著者が書いた歴史観など、売れないだろうというようなことをいわれた。
私の気持ちとしては逆で、歴史の門外漢だからこそ、数多あるテーマ別の歴史本にしたくない。幕末史や「明治維新」の過ちを書いた本は山のようにあり、それこそ埋没してしまうし、個性も出せない。それらと違うのは、読みやすさと視点移動による俯瞰、という点だ。その点では自信があるので、変更するつもりはない。
現行の教科書へのアンチテーゼ、カウンターブローのような存在にしたいのだ。
しかし、オンデマンドのままでは、続編を書く気力がなかなか湧かない。
今回の本は、300ページを超えると送料が330円から一気に倍の660円になってしまうという製本業者の規定がキツくて、無理矢理300ページにまとめたが、それでも2000円を超える価格にするしかなかった。
買ってくださっているかたがたには感謝しかない。
学生さんなど、お金に余裕のない人たちにも読んでほしいので、ネット上に公開している「テスト版」は、しばらくはこのままにしておくつもり。
(もし出版が決まったら、出版社の要望次第では引っ込めるかもしれない)
さて、煩悩は煩悩としてうまく折り合いをつけ、続きを書くための気持ちの整理に取りかかるべきかなあ。気が遠くなる作業だけれど……。
『馬鹿が作った日本史 縄文時代~戊申クーデター編』
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現代人、特に若い人たちと一緒に日本人の歴史を学び直したい。学校で教えられた歴史はどこが間違っていて、何を隠しているのか? 現代日本が抱える…
こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。