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凡太と学ぼう 真・日本史(投げ銭マガジン)

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現代人、特に若い人たちと一緒に日本人の歴史を学び直したい。学校で教えられた歴史はどこが間違っていて、何を隠しているのか? 現代日本が抱える諸問題はすべて歴史の中に根源があった。こ…
歴史の見直しは気が遠くなるような作業です。マガジン購入者が一人でも二人でもいらっしゃれば、執筆の励…
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記事一覧

「滑稽文学漫画」で感じる戦前の社会

「真・日本史」シリーズを第3巻まで販売開始したことで、ここ数週間は脱力感に包まれている。…

Tanupack
1か月前
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リメンバー・パールハーバーDAY

今日12月8日は太平洋戦争開戦記念日。リメンバー・パールハーバーDAY である。 「リメンバー…

Tanupack
1か月前
2

70年生きるということ

赤紙ならぬ青紙が来ちまった。ジジババ召集令状。70年も生きると、こんなのが来るのか……。ふ…

Tanupack
2か月前
4

『真・日本史(3)』-馬鹿が作った明治- 販売開始!

『真・日本史』シリーズの第三巻を販売開始した。 A5判 172ページになった。日本を含む8か国…

Tanupack
2か月前
1

「真・日本史」シリーズ(1)(2)を発売

このnoteでもマガジンとして掲載してきた「馬鹿が作った日本史」シリーズは、縄文時代~戊辰ク…

Tanupack
2か月前
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日清戦争と日本の戦争依存症

イシ: さて、日清戦争への助走は、常に朝鮮を舞台に行われていたことが分かったね。この助走…

Tanupack
4か月前
6

日清戦争への助走

イシ: さて、そろそろ明治政府が大暴走を始める最大のきっかけとなった日清戦争のことを学ぶわけなんだけれど、日清戦争に至るまでの明治政府の外交について、すでに取り上げた台湾出兵や江華島事件なども含めて振り返っておこう。  明治政府が国外に対して強硬な政策を採ろうとした最初は征韓論かな。 凡太: 岩倉使節団が明治4(1871)年12月に出発する前から、政府内で起きていた論争でしたね。朝鮮に兵を送って日本の言うことを聞かせようという意見の人たちが、西郷隆盛、江藤新平、板垣退助、

馬鹿が作った明治(11)大日本帝国憲法という呪い

凡太: 大日本帝国憲法は伊藤さんが中心となって作られたということですが、伊藤さんのグルー…

Tanupack
5か月前
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薩長閥 vs 大隈・板垣の権力闘争

イシ: 前回、詳しい検証は別の機会に、としておいた、開拓使官有物払下げ事件と明治14年の政…

Tanupack
6か月前
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馬鹿が作った明治(09) 自由民権運動とは何だったのか?

凡太: 明治政府が未熟で横暴な政府だということは大体分かりました。それで、そうした政府に…

Tanupack
6か月前
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馬鹿が作った明治(08)渋沢栄一成功物語の裏にある藩閥政治

イシ: ではここで、渋沢栄一という人物について、改めて振り返ってみようか。  明治になる…

Tanupack
6か月前
4

馬鹿が作った明治(7)西南戦争の実相

イシ: さて、西南戦争の話に移るわけだけれど、多くの人はこの戦いを、不平士族が西郷隆盛を…

Tanupack
10か月前
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廃仏毀釈という悪夢

イシ: 西南戦争の話に進む前に、どうしても強調しておきたい事柄がある。それは明治初期に起…

Tanupack
10か月前
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馬鹿が作った明治(5) 台湾出兵/江華島事件~日朝修好条規/黒田清隆の実像

台湾出兵というガス抜き策 凡太: 年表を見ると、征韓論で揉めている明治6(1873)年9月3日に「木戸孝允、朝鮮及び台湾征討に反対する」、翌年、佐賀の乱が勃発している最中の2月6日に「大久保利通、大隈重信らが台湾出兵を決定」とありますが、朝鮮だけでなく台湾を攻めるという話もあったんですか? イシ: そうそう。それ、重要なので覚えておこう。  実は明治4(1871)年に、宮古島の船が琉球王国の首里王府に年貢を納めた帰りに遭難して台湾東南海岸に漂着した後、乗っていた69人のう