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タヌキの親子見聞録 ~東北旅編②~ 山形(山寺)
第1章 最高なお出迎え
出羽三山神社から旅行1日目の宿泊先に着いたのは午後6時前だった。朝から歩き通しで、しかも超いい天気だったので、干からびる寸前でホテルになだれ込んだ感があった。「当ホテルでは、ウェルカムドリンクをご用意していますので、どうぞご自由にお召し上がりください」と、ホテルの人が干からびそうなタヌキをかわいそうに思ってか、声をかけてくれた。受付の右手にある食堂のようなところに、様々なジュースや今流行の飲むお酢や、日本酒やウォッカなのどの洋酒が用意されていた。「ソフトドリンクはもう飲めるのですが、アルコール類は午後6時以降からご自由にお召し上がりいただけます」と、日本酒を出してきたホテルの人が教えてくれた。「ウェルカムドリンクってお酒もあるの⁉」と、父ダヌキと母ダヌキは今日一番驚いた。まだ午後6時まで10分はあるので、いったん荷物を部屋に置いて、夕食を鶴岡市内へ食べに行く前に、食堂に寄ってみることにした。
「おなかすいた~」と言っている子ダヌキたちは、食堂のウェルカムドリンクを見るなり、コーラやオレンジジュースを2・3杯飲んだ。「ふう~、生き返るぅ」と弟ダヌキは小さなおじさんがビールを飲むようにコーラを飲んでいた。ジュースの出る機械には、コーラと他のジュースを1対2で割るといいとか、いろんなおすすめの飲み方が書いてあったので、それを試したようだった。親ダヌキは、さっきホテルの人が出した日本酒が気になっていたので、すぐに山形の地酒を手に取ってみた。どぶろくや焼酎などが5種類並んでいたが、一番良かったのは純米大吟醸の青い瓶のお酒だった。原材料のコメは山形県産で、ぬるかったが癖が無く、とってものど越しがいいお酒だった。食事前なので、あまり飲んでは歩けなくなるため、コップに5mlずつ味見をして、「食事から帰ったら絶対あの純米大吟醸を飲もう」と決めて、夕方の鶴岡市内へ出かけた。
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旅行の計画の中で、鶴岡市では鶴岡駅前の「つるおか食文化市場FOODEVER」で鶴岡名物を食べようということにしていたのだが、行ってみると何やらイベントが開催されていて貸し切りで、店で食べることができなかった。仕方なく、ホテルでもらっていたおすすめ飲食店一覧のチラシを見て、駅近くの飲食店を見て、今夜の夕飯を食べるところを決めることにした。しかし、ついてないのか、次に思うところは店休日で閉まっており、駅前に戻ろうかホテルに近いところで何か探そうか迷って、最終的にホテルのチラシにあった「和定食 滝太郎」というところで予約が取れたので向かうことにした。
滝太郎に着くと、午後7時を過ぎていた。子ダヌキたちは「おなかすいた~」と不機嫌そうに畳に座り込む。兄ダヌキは「マックのポテトで良かった」とふてくされていた。個室で足を伸ばせるところでご飯が食べられるので、「ポテトがあったら頼んでいいから」となだめつつ、山形名物をメニューで探した。しかし、特に珍しいものはこれと言って無く、刺身にしても山形独特のものがあるわけではないようで、兄はとんかつ定食を、弟や父母ダヌキは、シュウマイや地元産の枝豆、刺身など何品か見繕って食べた。すごく山形っぽいものではなかったが、イカゲソのフライも、突き出しの貝の煮たのも、すべておいしく頂けた。とにかく、朝から12kmは歩いているので、機嫌が悪くなってもしょうがないので、うまいものを食べて明日に備えることにした。
ホテルに帰ると、ウェルカムドリンクの終了の午後9時少し前だったので、子ダヌキたちは好みのジュース、親ダヌキたちは山形県産の青い瓶の大吟醸酒をカップに入れて部屋に戻った。明日も暑い中歩くようになるので、お風呂に入ってすぐ就寝となった。このホテルには、温泉もついているので、人の少ない週の半ばはプライベート温泉のようになっていて最高であった。一つ後悔するのは、あまりに美味しすぎて、飲むことに集中していしまい、お酒の写真を撮り忘れ、青い瓶の純米大吟醸酒の名前がわからないことであった。
第2章 庄内人の中に育まれる致道館精神
旅行2日目は、朝早く起きてホテルで朝食を取り、午前8時15分ごろチェックアウトし、鶴岡市役所前にある鶴岡公園へ向かった。ここ鶴岡は、母ダヌキの大好きな作家 藤沢周平の出身地で、この公園内に「鶴岡市立 藤沢周平記念館」あるからだ。公園近くの駐車場に午前8時半に着いたため、少し公園周りを散策して、藤沢周平記念館へ向かうことにする。朝早いのに太陽がギンギンと照っており、暑くて子ダヌキたちは、「どこいくの?暑くて歩けん」と、もうバテ気味であった。とりあえず公園内に入り、鶴ケ岡城本丸跡に建立されている荘内神社にお参りすることにした。
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敷石までも熱くなっている参道を歩いて行くと、手水舎に何やら涼しげな青い花が沢山浮いていた。アジサイだ。先ほどまで感じていた暑さが-2・3度は下がるほど、涼しげで美しい風景であった。あたりを見渡すと、青だけでなく、薄桃色や黄色などきれいなアジサイの花で美しい花手水を作り、参拝者をもてなしてくれている。ここまでこれたご縁を大切にできるように、5円をお賽銭にしてお参りした。
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神社のすぐそばにある藤沢周平記念館は、まだ開館しておらず、鶴岡公園から道を挟んで建っている「庄内藩校 致道館」に行ってみることにした。子ダヌキたちはスポーツドリンクを飲み、扇子で仰ぎつつ「暑いよ~」とうめきながらついてくる。鶴岡市役所のすぐ傍なので、致道館前を仕事に向かう職員の人たちであろうか通行人が多かった。致道館も午前9時開館であったが、タヌキ一家が暑そうに入口で待っているのを見ると、管理事務所の人が5分ほど早く開けてくださった。
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「ありがたい」と言いながら入った致道館は、時代劇で見るような古い建物で、藤沢周平も作品の中で書いている建物であった。
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致道館とは、江戸時代に天下泰平が続き、武士の風紀が乱れた1700年代後半、庄内藩酒井家9代藩主酒井忠徳が心を痛め、郡代の白井矢太夫(やだゆう)に相談。その際、矢太夫は、忠徳公に「このようなことは恥を知らないのが原因なので、すぐにはなかなか直らないでしょう。このような乱れを根本から直そうとするなら、時間がかかるけれども、学校を建てて教育の教えに頼るしかないでしょう。そして、藩の役人も学校の中から採用するようになれば、自然にこのような悪い風俗も改まるでしょう。」と進言した。忠徳、矢太夫、共に、「士風の刷新、有能な役人の育成は、学校を創設して教育の振興に努めるよりほかなし」と共鳴し、文化2年(1805)学問所を創設し、『論語』の一節「君子学んで以て其の道を致す」から「致道館」と名付けたそうだ。幕府が寛政2年(1790)、寛政異学の禁を出し、朱子学を正学にしたが、庄内藩では儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)の提唱する徂徠学を教学にした。これは忠徳と矢太夫の学識と指導力が影響しており、「天性重視・個性伸長」、「自学自習」「会業の重視」を特色とした徂徠学は、当時としては、画期的な学派だったようだ。この教育方針は、庄内の教育的風土を形づくるとともに、今なお変わらぬ学びの精神として受け継がれ、「親子で読む庄内論語」という冊子が作られ、現在も鶴岡市内の小学校で論語が学ばれているという。一人ひとりの個性に応じてその才能を伸ばすことを基本にしながら、知識を詰め込むのではなく、自ら考え学ぶ意識を高めることを重んじるということは、今の教育に必要なものと思っていたが、200年以上も前からそれに気づき取り組んできた庄内藩の人は素晴らしいと感じた父母ダヌキは、「よしっ!お前たち『庄内論語』を毎日読んで勉強しよう」と、即購入を決定した。
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また、致道館内では施設管理されている方と少し話をすることができた。山口県から来たことを伝えるととても驚かれ、天候とかたわいもないことを、ホテルやお店の人と異なり、庄内弁にてお話しされてタヌキの親子にとっては新鮮で、現地の人と少し交流できた気がした。
第3章 カタムチョでいい
致道館を出ると午前9時を過ぎていたので、張り切って「鶴岡市立 藤沢周平記念館」へ向かう。多分、張り切っていたのは母ダヌキだけだろうが、他の父ダヌキや子ダヌキたちもクーラーのきいた記念館に早く入るために炎天下の中急いで歩いた。
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記念館に着くと、平日であったため、お客は2~3組程度で、年齢層は60代から70代と高めであった。母ダヌキは展示順に、説明や写真等を1人でじっくり見て回った。父ダヌキや子ダヌキたちはさらっと回ると、涼しい待合場所で母ダヌキが帰ってくるのを待っていた。仕事場の展示や、作品の構想をメモしたチラシ、家族との日々の暮らしなど、作家としての藤沢周平だけでなく、鶴岡で生まれ育った小菅留治の生きてきた軌跡がよくわかった。
母ダヌキは、旅から帰ってからも藤沢周平について調べてみた。庄内日報社の「藤沢周平書籍作品あれこれ」の中で、エッセイ集「周平独言」が紹介されているのだが、その中で、『「流行嫌い」の章で、歌人の上野甚作がカタムチョだったと評されていることに触れながら「私の流行嫌いも、恐らく荘内農民のカタムチョ(私の母はカタメチョと言っていたようだ)からきている」と述べている。自分もまたカタムチョな人間の1人だと認めているのである。また、同じエッセイ集の「時代のぬくもり」の章では、清河八郎・石原莞爾・大川周明の3人の庄内出身者を取り上げ論じているが、この3人に共通の性格を見出している点が面白い。3人とも予見者であり、カリスマ性をもった三人三様の異能の人だったことなどの他に、庄内人にまま見られる一種の気質の共通性をあげている。奇行や放言が多く、人に誤解されたり反感を買ったりして敵を作り、自滅することもあるその気質を一種のカタムチョである。特に権威を愚弄するかのような態度に出ることもある、と述べている。流行を嫌うことも、ある勢い(権威)から自分を守ろうとする心の作用で、押し付けられること、いばられることを徹底的に嫌う性格が顕れたものだと看破している。』とあり、自分も流行嫌いで意地っ張りと言われるので、藤沢周平と同じだと母ダヌキは喜んだ。誰にも簡単に曲げられない思いがあり、流行だから、普通はこうだからと自分を殺して生きていかなくてもいいという、平凡な生活を送ることを望みながらも、その胸の奥には静かに燃える強い意志の炎が燃えていた人ではないかと、再度藤沢周平という人の人柄を考察してみた。「カタムチョ最高!カタムチョでいいじゃない」と思う母ダヌキであった。
展示の最後の部屋には、藤沢文学世界を思う存分味わえる図書館のようなホールがあった。年パスがあれば、毎日でもここに通ってすべての本を読みたいと母ダヌキはおもったが、父ダヌキや子ダヌキたちを1時間以上待たせることは、今後の予定にも響くため、名残惜しいが、本の表紙だけを見て記念館を後にした。
記念館を後にして、ここからは高速道路に乗って山形市にある山寺を目指す。午前10時半ごろ出発するので、山寺には12時半過ぎに着く予定だ。高速道路は車が少なく、進むにつれて山ばかりの風景となった。長いトンネルを抜けて左手に少し高めの山が出てきた。「あれ湯殿山かねぇ」と言いながら、山ばかりだが、どれがどの山なのかキョロキョロしながら山形市へと向かった。山のいたるところに泥が流れたような場所も見えた。先週あった大雨の影響だろうか。湯殿山と思われる山から少し走ると、山の頂に白い雪を少しだけまとった高い山が現れた。「あれが月山だよ、きっと」と言いながら母ダヌキが叫ぶと、車の中のタヌキたちも車の左手を見る。山口には、夏に雪がかかっているような山は無いので、「おおっ」と言って通り過ぎた。
高速道路のサービスエリアは、ガイドブックによると、ほとんどの場所で「営業施設なし」とあったので、止まることなしで寒河江まで車を走らせた。「寒河江のサービスエリアは、山形自動車道で唯一ガソリンスタンドがあるんだって」と、母ダヌキが言ったので、時間も12時を過ぎたので父ダヌキは「寒河江のサービスエリアで何か食べて山寺に行こう」と提案した。
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寒河江のサービスエリアでは、タヌキ一家の食事のポリシーである「その土地の名物を食べる」という原則にのっとって、「山形牛カレーパン」「月山パン山形さくらんぼ果実入り」「ずんだ餅」「笹餅」などを購入し、暑いがレンタカーを汚してはならないので、サービスエリアの外のベンチで食べた。笹餅は付属の山形産のきな粉をかけて食べる。素朴な味わいで美味しかった。ずんだ餅は、緑を見るとすぐ反応する兄ダヌキは食べるのを強く拒否したが、「せっかくだから」と母ダヌキに勧められ一口食べると「枝豆は無理に甘くしなくても」という感想だった。肉好きの父ダヌキもカレーを食べて「やっぱ牛肉はカレーに入ると(山形牛という)味がわからなくなる」と感想を漏らした。
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お店で落ち着いてその土地の食べ物を食べたかったが、時間的に難しかった。多分、山形牛も焼いたり煮たりしたものを食べれば、じっくり他の肉との違いを感じられただろうが、タヌキ一家には山寺が待っていた。
第4章 暑さしみ入る山寺登山
再度高速にのり、走ること10分。山形北のインターチェンジで高速道路を下り、山形市内を山寺へと進む。道の両脇にフルーツ王国山形と言われる由来の、サクランボやリンゴの木が沢山あった。リンゴの木には実が沢山なっているが、山口のリンゴと違い小ぶりで、山口ならば6月ごろからリンゴの実に虫や防除の薬から守るために袋をかけるのだが、こちらはかかってないのだなと母ダヌキは思った。20分程度で山寺に到着し、駐車場も登山口に近いお店の駐車場に300円で停められた。駐車場のすぐそばの川の上に河川橋があり、仙台へと続く仙山線が走っていた。
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午後1時ちょっと過ぎから、山寺の登山口を上りだす。登り口に「名勝史跡 山寺」とある。山寺は、正しくは「宝珠山立石寺」といい、貞観2年(860)清和天皇の勅願によって慈覚大師が開山した天台宗の寺である。登山口からすぐに「根本中堂」という国指定重要文化財で日本最古のブナ建造物があり、この堂内には比叡山延暦寺より移された「不滅の法灯」がある。織田信長の焼打で延暦寺を再建した際には逆に立石寺から法灯を分けたという。
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ここから少し歩いたところに、奥之院を目指す山門があり、入山料はここで納める。山門まで歩く間に、俳聖松尾芭蕉と門人曽良の銅像があった。ここで読まれた有名な俳句「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」は聞き覚えのある方も多いだろう。それにしても出羽三山もこの山寺も、あの有名な奥の細道であり、芭蕉はとっても健脚な人であったのだなと思わずにはいられないタヌキ一家なのであった。
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山門から3分ぐらいの「姥堂」は、ここから下が地獄で、その先が極楽とされた浄土口にあたるお堂。かつては、そばの岩清水で心身を清め、新しい着物に着替え極楽に登り、古い衣服は姥堂の奪衣婆に奉納し、一つ一つの石段を登ることによって、欲望や汚れを消滅させ、明るく正しい人間になろうというもので、この山寺は悪縁切りの寺としてとても有名である。タヌキ一家も病や悪運とサヨナラして、良縁を得るために一段ずつ石段を登って行った。
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石段を登る度に、蝉の声というより、夏の暑さがしみ入り、大きな木や大きな岩、かわいらしい表情の石仏などに囲まれた整備された石段を登るのだが、汗が噴き出るような暑さのため、一歩足を上げて登るたびに消費するカロリーは、夏以外の季節の5倍はあったのではないかと思われる。
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一番上の大仏殿まで登ると、タヌキたちは飲み物を飲み干して一服し、風景を見た。遠くに山々が見える。石段の途中で、子ダヌキたちより小さな男の子が「もう登りたくない!」と暑さでバテて、大きな声で駄々をこねているのが聞こえる。「そりゃ、そうなるわな」と母ダヌキは思った。そこまで登ってきただけでも褒めてあげたい。
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そこから少し下って、「開山堂」と「納経堂」に向かう。そこは、山寺が紹介されるときによく使われる風景だ。開山堂のそばの巨石の上に小さな朱塗りの納経堂がある。
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「見たことがある」と思いながら、その右側の石段を少し登ると「五大堂」があった。ここからの展望は素晴らしく、もっとよく見ようと体を乗り出すと落ちそうなので気をつけなければならない。なんでかわからないが、五大堂の屋根に近いところには名前の御札のようなものや名刺が貼ってあった。あとで調べてみると、そうすることで出世するらしい。
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我が家の子ダヌキたちも朝から暑い中歩きまわったので、「早く降りて次に行こう」とさっきの男の子のように段々とイライラし始めた。上まで登ると、降るのが少し惜しい気がするほど天気が良く絶景だった。蝉も耳の中が蝉の声だけになるほど、開山堂の周りではミンミン鳴いていた。
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「もう来られないかもしれない」と思いながら写真を撮る。極楽から地獄へ戻る。「自分が死ぬときは、この山寺の風景を思い出しながらあの世に行くのかな」と思いながら、母ダヌキは緑の中にたたずむ石仏を目に焼き付けた。まだ死を身近に感じていない子ダヌキたちは、さっさと下界へ降りて行った。
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第5章 溶けないアイスで体を冷やせ
午後3時前に山門に着き、お土産を見ようと思ったが、汗をかきすぎていて何も見る気力が無かった。山形名物の玉こんにゃくを売っていたが、暑くて食べる気にならず、飲み物を探しさまよった。根本中堂の近くにレトロな瓶のコカ・コーラの自販機があったので、無類のコカ・コーラ好きの弟ダヌキはすぐに「買う!飲む!」と飛びついた。まだ冷静だった兄ダヌキや母ダヌキは、190mlで130円は高いと思い、もう少しさきの自販機で500ml入りの飲み物を探すことにした。レトロなコカ・コーラ瓶を片手に飲み干した弟ダヌキは、満足そうに笑顔で「この瓶お土産にする」と言って、大事に持って帰ることに決めた。
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運が良ければ猫に出会えるということだったが、どこにも猫が見当たらなかった。情報を教えてあげた母ダヌキを「嘘つき」と責めていた猫好きの弟ダヌキであったが、コーラを飲み干して最後の階段を降りて帰ろうとしたときに、猫が階段の下から登って来た。「ほらっ、いたよ」と言うと、弟ダヌキと兄ダヌキが追いかけたため、猫との遭遇時間はほんの少しであった。
山寺の登山口から出て、何か冷たいものを飲むか食べるかして帰ろうと、あたりを見回すと、自販機があったので近づくと、その近くに「溶けないアイス」とチラシが貼ってある由緒ありそうな和菓子屋があった。「商正堂」というそのお店では、葛粉が入ったアイスを売っており、パイナップル、抹茶、もも、いちご、みかんの5種類(各250円)があった。咽喉が渇いてたまらないので、アイスと言ってもソフトクリームの気分ではなかったし、アイスの中にたっぷりフルーツが入っているのが見た目に涼しそうだったので、タヌキ一家はその和菓子屋で溶けないアイスを食べることにした。
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お店の中はお客が一人だけで、涼しいところでゆっくり食べられた。兄ダヌキはパイナップル、弟ダヌキはいちご、母ダヌキはみかん、父ダヌキは疲れすぎて食欲が無く、みんなのアイスを少し味見するだけで、サービスでいただけるお店のあったかいお茶をいただいた。シャリシャリとした食感と冷たいフルーツが体の中に入ると、体内から涼しくなってきて、お店でサービスで頂けるあったかいお茶は水分補給にちょうど良かった。店内では、山形県産のもち米を使って作ってあるくるみゆべしや、ふもち、柿の和菓子などが試食でき、早くアイスを食べ終わった母ダヌキはいろいろと食べてみた。どれも甘過ぎずやさしい味で、秋に紅葉を見ながら食べたいと思った。冷たいものを食べるのが苦手な弟ダヌキがいちごアイスと長い間格闘していたが、さすが溶けないアイス、お店の中を汚すことなく20分かけてきれいに食べ切った。午後3時半にはレンタカーを返すため、山形駅前のレンタカー屋へ向かい始めることができた。
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午後4時過ぎにレンタカーを返すと、今夜の宿泊先のある仙台へどのように向かうか家族会議を行った。午後4時台の電車はもう出る時間なので、電車で向かうことにすれば午後5時はじめの電車に乗ることになる。バスであれば、レンタカー屋の近くにバスターミナルがあるので、そこから電車よりは頻繁に仙台へ向かう便が出ているようだ。「もう一度山寺を見たければ電車がいいと思う」と父ダヌキ、「早く仙台駅に行ってポケモンセンター行きたい」と子ダヌキたち。母ダヌキは飲み物も補給したりしないとならないので「すぐバスに乗るより、山形駅に行って飲み物を買って午後5時の電車に乗ろう」と決めた。もう一度山寺を、別の角度から見ておきたいとも思ったのだ。タヌキ一家は、暑さがおさまらない山形市内を駅のほうへ、車のトランクから降ろした大きなリュックを1人ひとつずつ背負って向かった。
第6章 トンネルを抜けると・・・
山形駅では仙台へ向かう切符を買うため、父ダヌキはみどりの窓口へ並んだ。(駅員さんに「wきっぷ」なるものが得と教えてもらった。)母ダヌキと子ダヌキたちは、飲み物をなるべく手ごろな値段で手に入れるため、駅構内でつながっているデパートへ向かった。S-PAL山形の2階から1階へ向かうとマツモトキヨシがあるので、飲み物が安く売ってないか確認したが、ペットボトル飲料自体を売っていなかった。店員さんに尋ねると、「この奥のニュー・デイズというコンビニでしか売ってないかも」と言われたので、そこで麦茶や黒豆茶を調達し、再度2階へ上がる。2階入り口付近でフルーツパフェを売っているのが見えたので、母ダヌキは目をつけていた。山形に来て、全然フルーツを食べていないと思っていたので、最後にフルーツパフェを買ってみんなで食べたかったのだ。切符を購入した父ダヌキも合流したので、「ハタケスタイル」という店でフルーツパフェを食べるか相談した。父ダヌキがお店の人に聞いて、パフェのフルーツが山形県産であるとわかったので、電車に乗る前に4人で1つのパフェを買って食べることにした。リンゴや、もも、メロン、ブルーベリーなどのカットフルーツの上に、大きなソフトクリームがのっている。緑の物にはめっぽう弱いが果物は大好物の兄ダヌキが、勢いよくソフトクリームとその下の果物を食べ始めた。弟ダヌキは兄ほど果物好きではないので、3~4口食べて満足していた。父母ダヌキも何口か食べて、フルーツ王国山形とサヨナラした。
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山形から仙山線で約1時間半の仙台までの電車の旅。途中、今日登った山寺が見えるというので、電車の進行方向左側の座席に座った。山形駅から出発すると、すぐに果樹園や田んぼが景色の中で流れていった。窓から見える風景は全体的に緑だ。20分ほどで山寺駅に着いた。山の上にあるのだろうが、外から見ると大きな木に邪魔されて、開山堂などはどこにあるのかわからなかった。そこからまた緑が続く。山形の面白山高原駅からとても長い間トンネルを通り、宮城県仙台市へと突入していく。トンネルの揺れが強いので、暗い中、本当に安全に仙台へ着くのか不安になったほどだ。このトンネルは5km以上あったようで、県境の山を貫いて走っていたのだろう。また、県境の山間部も仙台市であることに驚く。いつか訪れたいニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所を車窓から確認しつつ、最寄駅から徒歩約40分ということがわかり沈黙。仙台では「牛タン」という目的があるのだが、子ダヌキたちはポケモンセンターに行くことしか考えていない。母ダヌキは初めて食べる牛タンの味を想像し、喉を鳴らすと同時に腹の虫も鳴いた。できれば海鞘も食べたい。少しずつ緑の割合が減っていき、人口100万人を超える大都市仙台市に乗り込んでいった。