歌の『上手い・下手』論
同じ人の同じ曲を一緒に聞いていて、隣にいる人間に「この人、歌上手いよねぇ」と同意を求めた際、「そうかなぁ」と言われたことがある人はいないだろうか?
その逆も然りで、誰かが「この人、歌上手いよね」と言われた際に「そうかなぁ」と思うこともある
(以下、何の役にも立たない分析がダラダラ続きます)
この現象について深く考えたことはなかった。その理由は単に「その人ごとに、上手いと感じる基準が違うから」だと思っていたからだ。要は「歌ウマポイント」的な採点基準があるとして、60点以上を上手いと感じる人もいれば、90点以上を上手いと感じる人もいる。それは、それまでにどれほどの上手い歌を聞いてきたかで変わってくるのだろうと。
だが、ふと思った。
これって食べ物の好き嫌いと一緒なんじゃないか?と。
例を挙げてみよう。
僕は物心ついた時からのサザンオールスターズファンなのだが、ある時「桑田さんって50過ぎてんのにめちゃくちゃ歌上手いよねぇ」と言うと、ある人に「でも、サザンってどれ聞いても同じに聞こえちゃうんだよねぇ」という答えが返ってきた。
当時、まぁ、好きじゃない人からしたらそうかもなぁ。クセのある声だしなぁ。と思って「まぁ、わかるけどね」くらいに返したが、よくよく考えたら、これは答えになっていない。
何故なら、僕は「桑田佳祐の歌を上手いと思うかどうか」について問うたのであって、決して「桑田佳祐の歌い方のクセに対してどう思うか」について聞いたわけではないからだ。
ここで前述した食べ物の好き嫌いとして考えてみると、これは「ラムチョップって美味しいよねぇ」という問いに対し「でも、ラム肉ってどう料理しても一緒じょない?」と答えたようなものだ。
これは、見当違いの返答返してんじゃねぇよ!という愚痴ではない。歌の上手い下手も、美味しい、不味いと同じように、それぞれに価値基準を持っており、同様の尺度で測るものではなかった、という気づきの話である。
例えば、料理であれば、美味しい、不味いの基準は旨みや甘み、塩味のような定量で表せる尺度のバランスなどではなく、多くは育った環境などによって形作られる嗜好に左右される。極端に言うと、高級食材を使ったラーメンよりもカップラーメンの方が美味しいと感じる人もいる、という話だ。
翻って、では歌の場合どうなるかと言えば、確かに、音程や声量など、定量で表せる要素で上手い、下手を測る人もいるが、実は多くの人はそこで上手いとは感じておらず、声の質や歌い方、感情表現などによって上手い、下手を判断している人がほとんどなのだ。
先の桑田佳祐の件で言えば、僕は本当に上手いと感じている一方、友人は本当に上手いと感じていない。なぜなら、桑田佳祐が持つクセを、僕が大好きな一方、友人は嫌いだからだ。
歌の上手い、下手は、一般的な会話において、限りなく、好き、嫌いに近い意味で使われている。
勿論例外はあるが、断言して差し支えないと思う。専門家が上手いと思う歌手と、一般人が上手いと思う歌手のランキングに乖離が出てくるのもこれが理由だろう。
ちなみに、勿論下手だと感じる人に対してもこれは当てはまる。実際に音程が云々よりも、声や歌い方の聞き心地のストレスで下手認定されていることが多いはずだ。
納得行かないという人は、ぜひジャイアンの歌を改めて聞いてみて欲しい。彼が全く音程をを外さない歌手であることに気付くはずだ。
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