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【2025年冬ドラマ】 国内ドラマ、いま何が面白い? 〜1月ドラマ35本から読み解くトレンド&課題〜
2025年1月クールに放送される民放の地上波ドラマの第1話を全部見ました。その数なんと35本。多かった……………(疲)
仕事と生活を除いたほぼ全ての時間をドラマ視聴に当てても、見られていないドラマが溜まり続け、最終的にTverの無期限見逃しや、Netflix・UNEXTの配信に大変助けられました。文明の発達に感謝の正拳突き……
ということで、会社員で、フェミニストで、一介のドラマ好きである私が、今期のドラマを全部見て感じたことを、ご紹介していきたいと思います!
※この記事は信じられないくらい長いです。
企画を始めた理由
そもそものきっかけは、「ドラマを全部比較して、昨今の制作や演出の傾向を考えたい」という思いつきでした。
本来私はドラマよりも映画が好きな人間で、毎年アカデミー賞の予想を楽しみにしています。大きな映画賞のノミネーションや受賞の結果は、人々が何を支持したいと思っているかを露骨に反映させ、社会の情勢を読み取るのに非常にいい教材になるからです。あとシンプルに競馬みたいで面白いし。
一昨年の「Everything Everywhere all at once」のオスカー受賞などはまさに好例で、あの時期のハリウッドではアジアンエンパワメントの追い風が吹き荒れていました。
もっと前だと#Me tooがあります。ハーヴェイワインスタインを告発したあの活動の後、女性たちの連帯をテーマにした作品は明確に増えました。ノミネーションにも女性作家の名前が上がる機会が多くなっています。
日本のドラマもその例外ではありません。特に、多くの人の目に触れるテレビドラマは、もっともその変化を反映させるのに相応しい場所だと言えるでしょう。
調べたところ、1月から始まる新作民放ドラマは全部で35本。シリーズ全てを見るのは難しくても、第1話だけなら何とかできそうな本数です。
こうして私はこの研究を始めることを決めました。
なぜ1話だけなのか?
もちろん、第1話を見ただけではそのシリーズを全て理解したと言えないことは重々承知しています。しかし、観客にとって「第1話」こそがその作品の視聴継続を判断する重要な要素になることも間違いありません。
そして、そのことは当然ドラマ制作者たちも理解しているはずなので、お客さんに「このドラマはこういうものですよ!」ということを分かりやすく伝え、引き留めておくためのありったけの工夫をするはず。だとしたら、第1話は各ドラマシリーズの本質を理解するためのもっとも重要なサンプルになると考えました。
実際、企画を始めてみるとこの考えはかなり当たっていたように思います。考えているドラマは第1話から考えてるし、逆もまた然り。第1話だけで決まるわけではなくても、第1話から読み取れる情報もかなり多いのです。
35作品から考える国内ドラマの傾向
ということで、早速このクールのドラマを通して見えてきた、個人的傾向をまとめていきたいと思います。
1: 棲み分けが進む「恋愛ドラマ」
「恋愛」離れが顕著なプライム帯
もともと国内ドラマでは扱われることの多い恋愛ドラマ。しかし、この「恋愛」に対するスタンスが「プライム帯」「深夜帯」で大きく変わってきているという印象を持ちました。というかプライム帯の恋愛離れが顕著に進んでいます。
今期のプライム帯ドラマのうち、恋愛を主軸に扱っているものは「アンサンブル」「フォレスト」の2本のみ。14本中2本なので全体の1割強といったところ。
昨年1月クールのプライム帯が「君が心をくれたから」「婚活100本ノック」「Eye Love You」「大奥」「アイのない恋人たち」と5本も恋愛ドラマがあったことを考えると、大幅にその数を減らしたと言って間違い無いでしょう(※去年も全体本数は14本)
とはいえ、主演俳優の性別に偏りがあったりするわけではなく、なんなら男女バディが出てくるドラマは逆に多くなっているのでは無いかと思います。(「プライベートバンカー」「119」「ホットスポット」「法廷のドラゴン」「問題物件」「アイシー」「クジャクのダンス〜」「相続探偵」)
しかし、いずれのドラマにおいても、彼らにはあくまでビジネスパートナーという線引きがされており、今後とも恋愛的に結ばれる気配はありません。ただ、男女が出てくるだけなのです。
個人的にはこれはとても良い傾向だと思っています。むしろ1990年代から続く国内ドラマが、男女と見るや否や恋愛をさせようとしすぎていました。
現実世界を見れば、男女だからと言ってすぐさま恋に落ちるわけでもないですし、なんなら恋愛というものが生活に占める割合などごくわずかという人の方が多いように思えます。それなのにこれまでドラマは不自然なくらい「恋愛」だけを描いて来ました。
観客もドラマからの「恋愛をしろ」という圧にいい加減疲れていたのか、はたまたNetflixやUNEXTなどの海外ドラマを見られるサービスが広く普及したことで「どうやら面白いドラマは恋愛だけではないらしい」ということに気づいたのか分かりませんが、プライム帯のドラマでは「恋愛はウケない」が常識化ていることは確かなようです。
深夜帯では恋愛需要がまだまだ根強い
一方、深夜ドラマでの恋愛の扱い方はというと……プライム帯とは驚くほど真逆!なんと全21本中、恋愛を主題にしたものは11本、何らかの形で恋愛を含むものを入れたら15本。なんと3/4近くを占め、依然最強ジャンルとして君臨し続けています。
とはいえ、内訳を見るとラブコメディ、ラブサスペンス、ラブミステリー(?)、不倫もの、復讐ものといったラブ×〇〇(別要素)とかなり細分化されており、直球なラブロマンスはほとんどありませんでした。
単体では成り立たないのに、なぜわざわざ「ラブ」の要素を入れようとするのか……なんだか不思議な現象なのでちょっと考えてみることにしました。
深夜枠で恋愛が盛んな理由:仮説① 主演の年齢層が若い?
最初仮説として考えたのは「深夜ドラマは若手のチャレンジ枠だからではないか?」というもの。もちろん個人差はありますが、恋愛の中心になりやすいのは10〜30代くらいの年齢層。だとしたらこの年齢層が主演を務めやすい枠に恋愛ドラマが固まるのは自然な気もします。
実際に調べてみたところ、深夜ドラマ主演の平均年齢は31歳。しかし、地上波ドラマ主演の平均年齢も35歳と、意外にも大きな誤差はありませんでした。これならプライム帯でも恋愛ドラマがわんさか作られていないとおかしいはずです。
ちなみに深夜ドラマの最年少は「ふったらどしゃぶり」の伊藤あさひさん(22歳)、地上波ドラマの最年少は「クジャクのダンス誰がみた?」の広瀬すずさん(26歳)、深夜ドラマの最高齢は「最高のオバハン 中島ハルコ」の大地真央さん(68歳)地上波ドラマの最高齢は「プライベートバンカー」の唐沢寿明さんでした。ここもあんまり大きな違いなし。
深夜枠で恋愛が盛んな理由:仮説② アイドル俳優が多い?
続いて、考えたのは「主演俳優のアイドル性」について。アイドル業を兼ねている俳優さんは、需要的にも恋愛ドラマを演じる可能性は高そうです。
こちらについて比較してみたところ、深夜帯では主演31人中10人(約32%)、一方プライム帯では主演17人中4人(約23%)がアイドル(元も含む)でした。こうしてみると、絶対数でも割合でもアイドル率は高いか……?
さらに、このアイドル俳優たちの年齢をそれぞれ見てみると……深夜ドラマは10人中9人が20代と年齢層が非常に若く、さらに渋谷凪咲さんを除く8人が恋愛ドラマに出演している結果に。
一方、プライム帯では4人中、20代は内田理央さん1人のみ。内田さん主演の「問題物件」は恋愛ドラマではありませんし、内田さんもアイドル活動をされていたのは一時的でアイドルのイメージは強くありません。
深夜ドラマは「クラスタ向け作品」を売る場
ここまでの結果から、深夜ドラマはプライムドラマと比較して「比較的若年層(主に20代)」の「アイドル出身俳優」を中心に恋愛ドラマが制作されていることがわかりました。
アイドルはそれぞれクラスタ(つまりファン)がついているため、大勢の人に見るプライム帯でなく、深夜帯であっても一定の視聴が確保できるはず。さらにこちらの記事によると「コア層」と呼ばれる最も広告投資効率が高いのは20〜30代女性だそうです。20代アイドルのファンも同世代に集中していると考えるのは自然でしょう。
アイドルファンがなぜ「恋愛」を好むのかについてはちょっとまだ物証がありませんが、いわゆる「ガチ恋ファン」と呼ばれる層がいたりすることを考えると不自然ではありません。
「アイドル主演の恋愛ドラマ」を作ることで、アイドルの主なファン層である20〜30代女性という広告還元率が高い層の視聴を確保。さらに彼らは「熱烈なアイドルクラスタ」なので深夜帯という弱みもカバー(ファンは何があってもドラマを見るため)。しかも多少演技が拙く、プライム帯には出せない芝居歴の浅い俳優もクラスタ以外の視聴が少ない深夜帯であれば出して経験を積ませられる。一石二鳥、いや三鳥すぎる!
というのが私が考えた「深夜ドラマに恋愛ドラマが依然多い理由」です。
今回は一番証拠が集めやすかったので「アイドル」を例に挙げましたが、おそらく恋愛ドラマの「原作(漫画、webtoonなど)」「カテゴリ(不倫、BLなど)」などもクラスタがつきやすいため、この辺も起因しているのではないかと思います。
つまり、恋愛ドラマが多い理由は「クラスタを確保しやすいから」というのが一番大きい理由なのではないでしょうか。他にもジャンルのファンが多い「グルメ」や「復讐 / 成敗モノ」なども深夜に固まりやすい傾向にあるのも同じ理由でしょう。
それにしても異性愛が多すぎる
また話が「恋愛ドラマ」に戻りますが、同性愛を取り扱うものは「ふったらどしゃぶり」「コールミー・バイ・ノー・ネーム」の2本のみで、それ以外の全てが異性愛のみを扱うものでした。
主演をアイドルにする以上、そのファンはおそらく異性が多数を占めるはず。そうなると、やっぱりまだまだ「恋愛=異性愛」という前提を崩すのは難しいのかなあと思いますが、脇役でも背景でもいいから異性愛以外の恋愛を描くことはできるはず。ドラマにはぜひ恋愛に対する思い込みを壊す一助になってほしいものです。
2 : 「男性とケア」を扱う作品の増加
ドラマをクール通してみていると、「今これが流行っているのだな」というテーマが見えてくることがあります。今クールについては「男性とケア」がそれなのではないかと思います。
「ケア」の物語で”脇役”にされ続けていた男性たち
今でこそ一般的になった「ケア(労働)」という言葉。主に、育児や介護など、家庭内で家族の世話をする活動や、他人の世話をすることを指します。最近では、家族に限らず他人を気遣ったりすることもケアに含むことが多いですね。
これまで「ケア」は、主に女性の役割として見られていました。しかし、2010年代後半ごろ、これまで女性たちが無償でやらされてきたさまざまな役割に「ケア労働」という名前がついたことで、「ケア労働にも対価を!」いう動きが起こるようになりました。
この波はドラマ界にも押し寄せました。
最初の皮切りになったのは2016年放送ドラマ「逃げるは恥だが役にたつ」だったのではないかと思います。主人公・みくりが、家事代行先で出会った平匡と「雇用主と従業員」という形での偽装結婚をするというこの物語では、家事労働の対価などについて2人が話し合うシーンが描かれ、話題になりました。
その後も、「私の家政婦ナギサさん」「西園寺さんは家事をしない」「虎に翼」など、ケア労働について考えたドラマは増え、女性たちを無性のケア労働、またはそれを強いるジェンダーロールから解放しようというムーブメントが続いています。
しかし、今まで「ケア」を主題に描かれてきたドラマは、主に「女性たち」が主語のものばかりでした。家政夫やシングルファザーが出てくることはあれど、それは「家事が苦手な女性」との対比として描かれるだけの存在。
今まで「ケア」を担わされてきた女性たちを解放する、という話はあってもこれまで「ケア」役割から遠ざけられてきた男性たち、を主語にした物語はほぼありませんでした。
男性たちは、望むと望まざるにかかわらず、「ケア」の物語においては常に脇役にされ続けていたのです。
「男性とケア」を描いたドラマがようやく現れた!
そんな中、今期は「男性だけ」で描かれるケアの物語が突然2本も現れました。「日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった」と「晩餐ブルース」です。
プライム帯ドラマのホームコメディドラマと、深夜帯のしっとりしたヒューマンドラマという全く異なるジャンルであるものの、それぞれに「男性とケア」を描いた作品として画期的な点があると思いました。
『日本一の最低男』〜男性たちが「ケアの先輩」になれる時代〜
こちらでは、香取慎吾さん演じる主人公が、市議会議員選挙に当選するために、義弟家族を利用してケア労働をしているアピールをしようとする話です。
主人公は全く家事に興味がなく、なんなら家族にも興味がないので、ケア労働をしているポーズだけをして点数を稼ごうとします。この筋を見る限り、今後「ケア労働に全く興味のなかった男性が、その重要さに気づいていく」という話になるのだと思います。それだけでも、「男性」を主語にしたケアの物語である点は結構画期的です。
しかし、このドラマでさらに面白いのは、このダメダメ主人公の対比として出てくるのが、女性ではなく「義弟」、つまり男性という点です。
この手の作品でよくありがちなのは、「女性に教わる」というパターンです。
例えば、今期やっている「御曹司に恋はムズすぎる」では、第1話で身の回りのことが一切できなかった主人公が、会社の上司である”まどか”から味噌汁の作り方を教わるシーンがありますが、これなどはまさに典型的な例です。
なぜ女性かというと、単純に「ケアの先輩」が女性のことが多いからです。CMとかでありがちな「母から娘へ」的な女性同士が家事を教えあるのも「ケアの先輩から教わる」、の文脈ですね。
この文脈の中では、「ケア」の新規参入者である男性たちは基本的に生徒側であり、教える立場にはなれないことが一般的でした。
(※注釈)一部、家事の苦手な女性が、家事が得意な男性に教えてもらうパターンもありますが、これは「スパダリとの恋愛」的な場面を絡めていることや、職業的労働を行なっている人から教わる(プロの家政夫や料理人など)という場面が多いので、「ケアの先輩から教わる」という文脈からは少し外れると考えています。
だからこそ、「日本一の最低男」に出てくる志尊淳さん演じる義弟の存在は画期的でした。職業こそ保育士とプロですが、それ以前に彼は二児の父という側面が強く、香取さん演じる主人公にとって、まさに「ケアの先輩」。ようやく「ケア」の先輩と後輩が両方とも男性の作品が誕生し、女性を交えなくても男性間だけで「ケアの伝授」を完結させられるようになったのです。
それが違和感なく物語として受け入れられたのは、社会において、それが一般的なものとして受け止められる環境が整ったからでしょう。ついに、女性たちの男性への「ケア」の引き継ぎは終了し、性別関係なく、男女ともにその当事者なのだという意識が出来上がったのだと思います。
『晩餐ブルース』 〜男同士の親密を恋愛に結びつけない重要性〜
今期のドラマの中で「男性のケア」を描いたものとして、私が最も推しているのがこの「晩餐ブルース」です。テレビドラマのディレクターとして忙しく過ごす主人公は、多忙さゆえに自分自身の生活をいつの間にか蔑ろにし、いつの間にか心身の安寧を崩してしまいます。そんな折、彼の友達が彼を夕食に誘います。有名料理店でシェフをしている友人の作る料理を共に食べ、語り合うことで、主人公のボロボロになっていた心は少しずつ元気を取り戻していきます。
このドラマについて素晴らしい点はあげればキリがないのですが、最も紳士だと思ったのは男性同士のケアを恋愛として書かなかったことです。
みなさんご存知の通りかと思いますが、近年「BLドラマ(ボーイズラブ)」と呼ばれる若い男性俳優同士が恋愛関係になるジャンルのドラマが一定数制作されています。大体毎クール1〜2作といったペースでしょうか。今期も「ふったらどしゃぶり」などがBLドラマに該当します。また、明言されていませんが「秘密 〜TOP SECRET〜」もBL的な演出をところどころに盛り込んでいます。
そもそもBLというカテゴライズ自体がやや差別的なので私はあまり好みではないのですが(まるで異性愛だけが本来「LOVE」であり、男性同士の恋愛を注釈付きの愛であるかのように矮小化する呼称なので。主演の性別に関わらず「恋愛ドラマ」といえばいいと思います)、今回はカテゴリーとして指し示す際に便利なのでBLという呼称を使います。
個人的にBL作品を観測している範囲での話になりますが、BL作品では度々、男性が男性に対してケアをする様子が一般的なものとして描かれます。例えば看病をしたり、誕生日や記念日にお料理を作って食べたり、感情的になったパートナーを慰めたりといった場面です。女性同士の漫画でこういったシーンが描かれることもあると思いますが、それがLOVEとして見られることは少ないのではないかと思います。これは「ケア」という概念を通した男女の非対称性です。
男性同士のケアはいわゆる恋愛に結びつけられやすい傾向にあります。男性には「本来であればケアをしない」というジェンダーロールが押し付けられているため、少しでも男性同士がケアをするような関係性を描こうとするものなら、男性同士は「ブロマンス」など関係で括られます。
女性同士がケアをする関係性は「シスターロマンス」などと書くことは聞いたことがありません。「友達」の範囲です。シスターフッドという呼称がありますが、これはブロマンスが含むような親密さよりも、共闘関係に近い乾いたイメージがあります。
乱暴にまとめると「本来、男性はケアをしない。だから、ケアをするような男性同士は恋愛関係の可能性が高い」ということなのだと思います。本当に乱暴です。消しゴム拾ってやったなんて、お前〇〇のこと好きなんだろー!という小学生レベルの飛躍です。人に親切にするのは人として当たり前のことです。
さて、前提が長くなりましたが「晩餐ブルース」はどうかというと、主演2人はお互いの話を聞いたり食事を作ったりとケアをしますが、今のところ「恋愛」にはなっていません。おそらくこの先も恋愛関係にはならないのではないかと思います。
お友達同士の主人公と友人は、ただ夕食を共に囲みます。それぞれに辛い日常があり、心のバランスを崩す時もあります。そんな時にただ一緒に食事をかこみ互いを思いやっていることを伝える。これは立派なケアであり、恋愛関係でなくても、お互いがかけがえのない存在であることを伝え合う大切な時間です。
もちろん今まで描かれてこなかった男性同士の恋愛を描くというのは現代ドラマにおいて求められている大事な視点です。男性に限らず同性愛を描いた作品は、これまで描かれてこなさすぎました。しかし、私はそれと同じくらい「ケアをしあう男性同士が恋愛にならない物語」も必要だと思っています。
男性同士でケアをすることは決して特殊なことではなく、一般的なことであるということを示すべきだからです。もちろん恋愛にすぐに結びつけられるべきでもありません。女性同士のケアがすぐに恋愛に結びつけられないように、男性同士のケアを恋愛に結びつけようとしないことが重要です。
何度も言いますが、これは男性同士の恋愛ドラマをどんどん増やしていくことと両立ができることです。
ちなみに、「晩餐ブルース」ではないですが、アニメ「メダリスト」6話の司と加護の関係性も男性同士のケアを描いたものとして素晴らしいと感じました。これからこうして「男性同士のケアし合う非恋愛関係」が一般的になることで、男性も女性も同じように他者のケアをすることが当たり前の世の中になっていくことを願わずにはいられません。
3:説教がしたい年寄り &全部なんとかしてほしい若者
さて最後になりますが、この項目が私が今期ドラマを全部見て最も感じたことです。中高年、みんな説教したがりすぎ。そして若者は全部人任せになってほしすぎ。
これだけだと意味わからないと思うので、具体的にどういうことが一つずつご説明します。
「コスパ」「タイパ」の誤用(乱用?)に感じた違和感
少し前提からお話しします。今期のドラマを見始めて何本かたったとき、ある違和感を覚えました。それは「なんかコスパ / タイパみたいなのをやたらバカにする風潮があるな……?」ということです。
例えば、「アンサンブル」などは主人公がコスパ/タイパを重視していることを冒頭インタビューで話します。しかし、実際生活はズボラでバタバタ。とてもコスパ/タイパを意識できているようには見えず視聴者には「アララ……」という印象を与えます。
また、「こんなところで裏切り飯」では、自信過剰な新入社員が社長に昼ごはんのプレゼンをするのに、コスパ/タイパを意識してネットで調べた名物を得意げにプレゼンしますが、肝心の社長(老年)からは見向きもされません。
この二つに共通するのは「若者がコスパを意識するあまり失敗する」という描写です。しかし、私はこの二つの「コスパ/タイパ」描写にやや違和感を感じました。私は1990年代生まれで自分をギリ若者だと思っていますが、周りの人間で「コスパ / タイパ」という言葉をわざわざ口にする人間をあまり見たことがないからです。
もちろん良いものが安かった時に「うわ!これコスパいいね〜」的なことを言うことはあります。でも、わざわざ「コスパとタイパを意識してます!」などと明言している友人や後輩を私はこれまで1人も見たことがありません。コスパやタイパというのは、そういう表だった使い方をする言葉ではないからです。
言葉の方向性としては一昔前の「テンション」とかに近いと思います。元気な人に「テンション高いね〜」ということはありますが、自ら「私は日々テンションを高くすることを心がけています!」的なことは言わないじゃないですか。それに近いというか……コスパもタイパもテンションも基本的には事象を表す言葉で、意志を表明する言葉ではないんですよね。
だからこの二つのドラマを見て「多分これ、コスパって言葉あんま知らない人が書いてるな」と思いました。実際、ネットで「コスパ」と調べるこんな感じの記事がたくさん出てきます。
本当のZ世代は「Z世代が〜」という見出しの記事は読まないので、おそらく中年以上に向けて書かれているのだと思います。おそらく「アンサンブル」や「裏切り飯」もこういう言説を鵜呑みにして、「Z世代はコスパ・タイパを重視しているんだ!」と思ったのではないかと。そして、おそらくですが、こういうタイパ/コスパ重視の価値観を「けしからん!」と感じたのではないかと思います。じゃなきゃ、コスパタイパを重視したキャラクターが恥ずかしい目に遭うところは書かないと思うので……
なので、この「コスパ」に関する違和感を分解していくと、
おそらく中高年以上で
「コスパ/タイパ」という言葉にあまり馴染みのない人が
「コスパ/タイパ」を重視している(らしい)Z世代を
けしからんと思っている
らしいということがわかってきました。これは由々しき事態です。
だって、本当はZ世代がコスパタイパを意識しているかなんて、インターネットの外側ではわからないんですから。というか、Z世代なんて本当に雑な括りなので、Z世代に含まれる個人がどう思っているかは、マジで個人によります。つまり、ドラマの中の「コスパ/タイパ」をけしからんという風潮は、蜃気楼に向かって吠えている犬と一緒なのです。
本当のことはわからないのにイメージだけで怒っている。それって……現実に危機感があるというより、本当はただ怒りたいだけなのでは……?
中高年、なんかやたら説教するキャラ多いな
そんなことを考えながら、ドラマを見ていたらあることに気がつきました。中高年以上が主人公のドラマ、絶対説教するシーンあるな。
例えば、上川達也さん(59)主演「問題物件」では、もう1人の主人公である内田理央さんの仕事ぶりや発言を上川さんが嗜めたり、評価したり、苦言を呈する場面が何度もあります。
また、プライベートバンカーでも主演の唐沢寿明さん(61)が、助手の鈴木保奈美さんにアドバイスのようなお叱りのようなことを度々言ったり、少し年齢が若いですが、松坂桃李さん(36)の「御上先生」も全編通してやってることは生徒への説教です。
長く続いているシリーズの「家政夫のミタゾノ」も基本的にはミタゾノの説教ベースですし、「最高のオバハン中島ハルコ」も説教がないと始まらないドラマです。
そしてこのドラマで説教されるのは基本的に、年下の部下、助手や生徒など弱い立場にある人たちであり、怒られる内容も「命に危険があるようなことをしようとした」や「人として間違った行動をしている」などの相手のためを思った内容ではなく、助手や部下などがとった行動が「自分の立場や考えと異なる場合」に「人となり」や「態度」を責める内容であることが多いように感じました。
例えば、「問題物件」では、年下の部下から「お前と言わないでください」と注意されたことに対して「”お前”という言葉はもともと位の高い人のことを指す言葉であり、最近では目下を指すこともあるが、自分は前者の意味で使っている」的な屁理屈を捏ねて無視するシーンがあります。
この説教で言いたいのは、「言葉の意味を正確に知らないで抗議するのは恥ずかしい」であるかのように見えますが、本当のところは「立場が上の人間に歯向かうな」だと思われます。年下からの抗議に対してなんか言い返してやりたいけど、「お前と言わないで」という相手の主帳自体には責められる要素がないので、言葉そのものの意味でまぜっかえそうとしているのです。
「お前と呼んでほしくない」と相手が希望したなら、それを受け入れるのがリスペクトです。意味とか関係ないです。やらないでと言われたことをやらないのは人として当たり前のことなのに、「やらないで」と言われたこと自体を自分への盾付きだと思うのはかなり危うい発想です。
「アンサンブル」「裏切り飯」での「コスパ/タイパ」に向けられている「けしからん!」も同種であるように感じます。自分より立場や年齢が下の人間が、自分と違う考えや発想であることを尊重できない。そして、「説教」という形で相手に自分と同じ考えになるように同調を促しているように見えます。自他のバウンダリーが曖昧すぎます。
それを気持ちよく描いたドラマが多いことにも非常に危機感を覚えました。人に説教をしたいという欲自体がかなり不健全であるのは間違いありませんし、それがそれが自分より立場が強い人や社会そのものに歯向かうのではなく、基本的に下方へ向かうタイプでしかも自分の満足のために行われているのは、今の日本社会を体現しているようでなんとも悲しいことです。
こうしたドラマのターゲットが中高年に限られているとは言いません。しかし、「中高年以上の主人公」が「自分より立場が弱い人」に対して説教をするという構図が複数のドラマに存在していることは、ある一定層のニーズを満たしているからだと思います。そして、その一定層には、おそらく主人公と同年代、または近い年代の人たちが含まれていると思われます。
もちろん、ドラマの中で主人公の行動を見ることで「説教したい欲」を発散させるということもあると思います。しかし、逆にこうした主人公の振る舞いがドラマの中でかっこいいものとして消費されることで、「自分より立場が弱い人間を自分と同調させるためにする説教」を現実でしたがる人が増えないことを祈るばかりです。
深夜ドラマにありがち「受け身主人公」
ここまで中高年向けのドラマで描かれる「説教したい欲」について書いてきましたが、一方若年層向けドラマにもとある傾向があるように感じました。
それは、「主人公が(自分の意思によらず)相手の行動に巻き込まれる」という物語パターンの多さです。特に恋愛ドラマに多く、おそらく若年層をターゲットにした内容だと判断しました。
例えば「いきなり婚」。主人公がバーで泥酔した折に出会った男性と意識がないうちに結婚してしまうという内容です。あらすじ書くだけで恐ろしすぎますが、Xなどで感想を調べると「メロすぎる」などの感想がヒットしました。不同意婚姻はメロくないだろ。
「ホンノウスイッチ」では、主人公が一方的に思いを寄せられていた幼馴染に口説き落とされて、第1話で速攻セックスするシーンがあります。また、主人公が元カレに迫られた時も、この幼馴染が勝手に断ってしまいます。
また、これは女性主人公に限ったものではありません「未恋〜かくれぼっちたち〜」では、主人公の男性編集者が、人気売れっ子漫画家に一方的に気に入られてしまい、いきなり半同棲状態になりますし、「五十嵐夫妻は偽装不倫」でも離婚寸前の夫婦が”偶然”同じ職場になってしまい、偽装他人を装うところから話が始まります。「トーキョーカモフラージュアワー」も先輩に連れて行かれたコリドー街とバー、そのあとは年上の女性のリードで一晩の関係になります。
これら全ての共通点は、物語に始点になる部分で主人公が一切行動を起こしていないということです。全て周りや相手に流されるままに物語に巻き込まれていきます。
一方、先ほど挙げていた「説教したい系」のドラマの主人公たちは、「問題物件」「プライベートバンカー」「御上先生」も物語の起点になるのは行動は主人公たちが自ら起こしています。上川達也さんは自ら事故物件に向かうし、唐沢寿明さんは自ら仕事を売り込みますし、御上先生は自分で生徒たちに説教をし始めます。
これだけを見て、「若者層は受け身すぎる!」とは言いません。ですが、プライム帯には自発的な行動をする主人公が比較的多いのに対し、深夜帯には受け身な主人公が多いように感じました。
(1)で考察したように、おそらく深夜帯でメインターゲットとされるのは20〜30代女性、いわゆるコア層だと考えられるので「比較的若年層において受け身の主人公にニーズがある」と考えるのは自然ではないかと思われます。
「説教がしたくて自分で行動しまくる主人公」を求める中高年層、一方「自分からは何も行動せず物語に巻き込まれる主人公」を求める若年層。一体何が原因でこの二つが発生しているのかまではここで考えることは難しいですが、受容される主人公像に変化が生じているというのは一つ面白いことだと思いました。
苦言:作品数が多い割に、平均クオリティが低すぎる
さて、最後の最後にド直球悪口で本当に申し訳ないんですが、これだけはどうしても言わせてほしいので言います。日本のドラマ。好き嫌い以前に集中して見られる作品が少なすぎる。
好き嫌い抜きにして「この作品は全く違和感なく見れるな」と思ったのは35本中たったの13本。なんと打率半分以下。それ以外の作品は、台詞やキャラ設定、舞台、人権意識など、何がしかの違和感を感じてしまい、ドラマの内容以前のところで脱落してしまいました。いわゆるトンチキが多すぎる。
(ここでトンチキを全部書くとキリないので、詳しくは各ドラマのレビュー記事を読んでいただければ……👇)
何より驚いたのは、予算や制作期間が限られていそうな深夜ドラマだけでなく、テレビ局が一番リッチに力を入れているはずのプライム帯でも平気でトンチキが出現していたことです。
例えば「御上先生」の台詞の違和感(質問に対して答えになっていないんですが……)、「アンサンブル」の法廷でのやり取り(弁護士がぶっつけ本番で依頼人に詰め寄るってどういうこと?)、「秘密 〜TOP SECRET〜」でのMRIの扱いなど(人権感覚どうなっているんですか?)など……
私のような素人が見て分かるくらいのトンチキなど、本来であれば脚本打ち合わせとかの段階で制作陣が当たり前に気付いて修正できるはず。それが出来ていないというのは、純粋に時間とか予算とか人員とかが足りていないからなのでは……?
35本あれば、日テレ・テレ朝・TBS・フジ・テレ東の5局で割っても、1局平均7本のドラマが作られている計算になります。純粋な疑問ですがそんなに作品数があるなら、統廃合してひと作品にかける予算や制作期間を増やした方がいいのではないでしょうか……
最後に
いつもは自分の興味がある作品や話題になっている作品だけを見ているので、今回クールのドラマ33本を全部見てみて、本当に色々発見がありました。
ドラマを通した、恋愛観の変化、男性のケアの描かれ方の変化、年齢層別に現れてきた好まれる主人公像の変化……そのどれもが10年後に見たらまた大きく変わっているのだと思います。
もしかしたら今回私が長々書いたことはコアなドラマファンが見たら「当たり前じゃん!」と思われるようなことかもしれませんが、ドラマ初心者の私にとってはなかなか新鮮なことばかりでした。
正直、日本のテレビドラマというものはやや終焉に近づいていると個人的には思っていました。本数をやたら増やして制作しているのも「何が当たるのか」というのを模索している結果のようにも思います(それにしても多すぎだと思いますが)。生物が絶滅しそうな時に、一つでも生き残れるようにバリエーションを増やす生存戦略のようです。
しかし、その割に深夜枠はアイドル頼み、プライム帯も医療・法廷・不動産・消防・コンサル・人気シリーズと「確実にウケる舞台」を踏襲したなかで、主演俳優や職業のマイナーチェンジを繰り返している作品が多いように感じます。いわゆる挑戦作がないのです。
もちろん挑戦する体力が今のドラマ業界にないのはわかります。テレビ自体が縮小しつつある今、ドラマの予算が縮小するのは自明です。
しかし、日本のドラマ市場というのは非常にガラパゴスである反面、洋ドラ・韓ドラともまた違う独自の魅力があると思います。もちろん予算や制作体制などの不十分さから、海外作品と十分に戦える土俵にはいないと思います。
一方で、逆に日本のドラマでしか見られないドラマというのもあると思います。ほのぼのコメディや上質な深夜ドラマなどがまさにそうです。下手な洋ドラ・韓ドラフォロワー作品を作るくらいなら「ホットスポット」や「まどか26歳〜」のようなオフビートコメディ系や「晩餐ブルース」などのほっこり癒し系の旨みを伸ばして行った方が、テレビが完全に終わりつつある今の世の中、コンテンツマーケットに場所を変えてなんぼか生き残る道はありそうです。
質も上げられない、制作体制もちゃんとできない、脚本も詰めきれない今、日本のドラマはもう世界と戦わない方向で行ったほうが良いと思います。もう同じ土俵で戦うにはとっくに手遅れです。ニッチ産業で生き残るしかありません。
そして、もう一つ。日本のテレビドラマには明らかに足りてないものがあります。それは人権意識です。もちろん「これは考えて作っているな」というドラマはいくつかあります。「晩餐ブルース」などはまさにそのひとつだと思います。ですが、圧倒的にないドラマの方が多い。
人権意識というのはつまり「相手も自分と同じ人間であり、同時に自分とは異なる他者であり尊重すべき存在である」ということを当たり前に考えることです。男性でも女性でも大人でも子供でも親でも子でも関係ないんです。人間は何人たりともその権利を侵害されるべきではありません。
もちろん殺人事件書くなとか、主人公を辛い目に遭わせるなとか言ってるわけじゃありません。問題は制作者が”何が問題なのかを理解っているか”ということです。差別意識が潜在する台詞を書くなとか、性加害をかわいげとして書くなとかそういうことです。
NOと言われたら素直にNOを受け止める、性差別をしない、加害をしない、相手の考えが自分の考えと違っても尊重する。それくらいのことなんですけど、それくらいのことができてないドラマが多すぎる。
映像作品は社会を映す鏡であると同時に、映像作品もまた社会に大きな影響を与えます。テレビの影響力が下がりつつあるとはいえ、地上波ドラマなどはいまだたくさんの人に見られる巨大コンテンツです。だからこそ、何が問題で、何が必要なのか、今一度制作に関わる方に自分たちが与える影響にについて考えてほしいのです。多様性というのは昨今生まれた言葉ではありません。ずっと存在していたのに無視され続けていた事実なのです。
長くなりましたが、以上が私が今期のドラマ33本を見た感想と、それを踏まえた未来への提言です。これからも面白いドラマが生まれ続け、それがより良い社会への一助となることを祈りつつ、ここらで締めさせていただこうと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。ここまで読んでいる人いたら普通にすごいよ。マジでありがとう。