手紙という伝達手段が素敵な理由
20数年生きてきて、手紙を書いたことがない。ただ、最近手紙を書きたいなと初めて思うことがあった。その時、手紙って無償の感情表現なのでは? と、ふと感じた。
今の世の中、何かを伝える手段はたくさんある。直接会う、電話、メール、LINE、そして手紙。それぞれに、それぞれの特徴、良さがある。
直接会えばその空間、体験を共有できるし、ふれあうことだってできる。電話は離れていても声が聞けて、姿が見えないからこそ言葉選びが丁寧になったり独特な間があったり。メールやLINEは、場所もタイミングも選ばず、何より手軽にたくさんのやりとりができる。
じゃあ手紙の特徴は? 直筆でぬくもりがある。実物が残るから思い出にとっておける。時間をかけて考えられる。
だいたいこんなものだろうと、僕は思っていた。けれど、いざ書こうとして気づいた。これ、返事を想定していない気がする。
「既読無視」なんて言葉があるように、LINEやメールを送れば返信が待ち遠しいし、来ないと悲しい気持ちになる。電話だってかけても相手が出てくれなきゃ成り立たないし、出てもずっと無言だとよく分からない状況になる。直接会って無視され続けたら誰だって傷つくのが当たり前。
こんな風に、ほとんどの伝達手段は、相手の反応ありきで使われている気がする。
でも、手紙はそうでもない気がするのだ。手紙を書こうと思ったとき、少なくとも僕は、相手が返事をくれるかなんて考えてなかったし、何かこの手紙に対しての反応を僕に返して欲しいとも思わなかった。ただ、自分が伝えたいこと、思っていることを純粋に綴った。
絵はがきなんかもそれに近い気がする。旅先できれいな景色に出会った時、写真をLINEで送るときは、やっぱり相手から「きれいな景色だね」というような言葉を待っている。でも、あえて「絵はがきを送る」という手段を選ぶときは(僕は絵はがきを送ったことはないから想像だけど)、純粋にこの景色を相手にも見てほしいという衝動だけで、それに対する反応が帰ってくることなんて全く期待していないように思う。
まあ当然、渡した手紙にお礼を言ってくれたり、絵はがきを送った相手に旅から帰ったときに「あれ綺麗だったね」なんて言ってもらえたりしたらとっても嬉しいから、全く反応を期待していない訳ではないかも知れない。
けれど、他の伝達手段に比べれば、確実にそういう期待は、少ない気がするのだ。
こういった返事を想定していない、いわば無償の感情伝達手段であるという側面が、現代においてわざわざ手紙という手段が選ばれる理由のひとつのような気がしてならない。そして無償だからこそ、掛け値なしの、純粋でまっすぐな感情が伝えられる。そんなところも、手紙の魅力なのかなぁ、なんて、ふと思った。
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