
大学生に「友だち」は必要か?
1 背景
「実は、友だちがいないんです」という学生が増えたように感じる。これは私と何度か話しているうちに、ふと話してくれることが多い。そんな時は、「あーそうなんだね。友だちがいないんだね」と受け止めるだけで、ほとんどが次の話になる。友だちがいないので私に話しているとか、そういう自分をわかってほしいという意味だと思っているからである。しかし、ごくたまに、「友だちって必要なんですかね、親は友だちが多い方がいいと言うんですが」と言われることがある。今回はこれを考えてみる。
2 友だちと仲間
上記の学生がいう「友だち」とは、他愛のない話ができる人、気軽に相談できる(解決を求めないケースを含めて)人、愚痴を言って発散できる人を指すだろう。だとすると、いた方がいいが大勢いなくてもいいし、無理につくらなくてもいい。無理につくっても、他愛のない話はできないし、気軽に相談できないし、むしろ相手に気遣いして、相手に合わせるだけの関係になりがちであるからである。先日も、とある学生から、「友だちに送るメールの文面を、これでいいか見てほしい」という相談を受けたが、このくらい気を遣う友だちは本当に必要なのかと思う。
一方、学生は、授業でも課外活動でも、グループで課題をすすめることがある。この時、ただのメンバー同士の関係性から、「仲間」という関係性になっていると良好な成果が出ることが多い。「仲間」になると、お互いの強みを活かしたり、弱みを補完したり、相互に刺激を受けて高めあったりできるからである。さらに、グループは「チーム」という組織に発展すればいいが今回はこれ以上言及しない。
3 私の考え
「友だち」は、いればその方がいいが、いなくてもいい。大勢いる必要はない。大学など毎日行く場所に、他愛のない話ができる人がいるといい。友だちでなくても、自分が気軽に話すことで相手も話すくらいの関係の人がいると気分がいい。それには、自己開示が必要で、相手との対話を通じて関係をつくっていくことで、「友だち」でなくても「友だち」のような関係になると考える。
「仲間」は、期限があると考えて付き合うといい。「仲間」がいた方が頑張れることがある。「仲間」は助けることができる。そして、「仲間」は、課題を提出したり、発表したりすることで区切りができる。区切りがあった方が頑張れることがある。さらに、「仲間」から「友だち」になることがある。この「友だち」は他愛もない話だけでなく、困ったときに頼れる「友だち」になりやすい。
「友だち」はいなくてもいいが、「仲間」はもっと大切にしてほしいと考える。