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【俳句】続・春の句をよむ
今年は、五月二日が八十八夜、五月六日が立夏になります。早くも惜春の候を迎えて、日によっては夏を先取りしたような汗ばむ陽気です。
前回に引き続き、春の句をいくつか紹介したいと思います。私の解釈が本筋から外れていることもあるかもしれません。ご参考程度にお読みくだされば幸いです。
隙のなき朝の青天夏隣 長田群青
「隙のなき」の言葉で、どこまでも広がる空の青を実感できます。夏をむかえようとしている朝は果てしなく爽やかです。
山つゝじ照る只中に田を墾く 飯田龍太
山の斜面につくられた田のまわりには、つつじが咲いています。日をうけて光輝いています。春の作付けに精を出す農人を、まるで祝福しているかのようです。
山吹の黄の忽然と石河原 井上康明
山吹が忽然と咲いている光景に出会ったことがあるのではないでしょうか。群生しているというよりは、一点ぽつんと咲いている印象です。石だらけの河原に、ただひとつ咲いている様は、山吹の黄を強調し、観る者の精神性さえも感じさせるようです。
春筍は犀の角ほど曲がりをり 福田甲子雄
春筍は、”はるたけのこ”や”しゅんじゅん”とよむそうですが、本句の場合は後者でしょうか。掘り起こしたばかりの筍は、生命力にあふれ、勢いがあります。本句と出会ってから、筍が犀(サイ)の角にみえてきました。
惜春のわが道をわが歩幅にて 倉田紘文
静けさのなかに、作者の強い意志を感じる一句です。繰り返される「わ(我)」がそれを代表しています。「道」は今歩いている物質的な道というよりは、作者の人生そのもののようです。今までの道に自信をもち、これからの道もきっと確かなものでしょう。
去りゆきし春を種火のごと思ふ 藤田湘子
種火は火を起こすためのちいさな火です。去りゆく春を音もなく光る赤い種火のように思うのです。春を惜しむ気持ちを種火という言葉に託します。