【推薦図書】山本兼一『いっしん虎徹』
鍛冶は天地の玄妙にたずさわる仕事である。木から火を生む。土から鉄(かね)を取りだす。火で鉄を沸かし、鍛える。水に浸けて硬く焼き締める――。木、火、土、金、水の五行がたがいに相生、相克しあって、はじめて強く美しい刀が鍛えられるのだ。
(山本兼一著『いっしん虎徹』より)
日本男子であれば、一度はテレビの剣戟シーンをみてサムライに憧れたり、力強く流麗な日本刀に興味をもったことがあるだろうか。また、高純度の鉄を生み出す出雲の「たたら製鉄」をご存知だろうか。
山本兼一著『いっしん虎徹』は、派手な剣戟こそないものの、ひとりの刀鍛冶の修羅の如き人生、燃え上がる情熱を描いた作品である。職人を主人公にした時代小説である。「たたら製鉄」や刀鍛冶のいろはを知らなくても、十分に楽しめる内容だ。炭切り三年といわれたり、焼き入れで失敗すれば全てが水泡に帰するように、鍛治は地味で根気のいる世界である。しかし、主人公の長曽祢興里(ながそねおきさと、のちの虎徹)の成長や胸の高鳴る数々の出来事により、読者を飽きさせない。文庫本で500ページの長編であるにも関わらずだ。名刀行光(ゆきみつ)をめぐる強盗殺人の下手人を捜す推理小説要素もある。
長曽祢一族は、鉄(かね)の一族、代々名だたる甲冑師(かっちゅうし)である。刀ではない、兜・鎧・籠手を得意とする職人、長曽祢興里が三十代半ばにして刀鍛冶へ転職し、一から勉強し、最後には天下無双の太刀を完成させる。戦のない時代では、鎧兜は売れるわけもなく、生きるための転職ではあったが、熟練甲冑師としての自らの最高傑作を断ち割る刀こそが天下一の大業物(おおわざもの)であると信じる。自己の限界を超えることこそが、自己を成長させる最良の方法なのだ。それは、生活の糧としての次元を超えた、気高き覚悟なのである。
天下の三振り、郷(ごう)、吉光(よしみつ)、正宗(まさむね)や備前長船の長光(ながみつ)、備中青江の恒次(つねつぐ)、伯耆の安綱(やすつな)などの数々の名刀は興里にとっては通過点に過ぎない。人生の最終目標は、やはり天下無双の一振りなのである。三十過ぎた甲冑師が今更、と周囲の反応は冷たい。それでも、夢を夢のまま終わらせずに命を賭して実現するのが、職人の矜持である。
鉄(かね)から一振りの刀を鍛えあげてゆく過程の詳細な描写は、刀に興味のない方にとっては、知識としては面白くないと思うかもしれないが、次々にあらわれる困難を乗り越えようとする、不屈な職人魂に感動するのではないだろうか。一振りの刀をつくるには人生のすべてを賭ける大変な努力、そして僅かな運が必要なのである。
また、興里とその妻(ゆき)の美しい夫婦関係に心を打たれる場面は多い。ゆきは、労咳(肺の病気)と視力の問題を抱えながら、夫の夢と共に歩んでゆく。他、試刀術の腕利き剣客、刀愛好家の大僧都、刀工である親の仇討に燃える弟子、医師を騙る詐欺師など、個性豊かな人物が興里を助けたり困らせたり…。
果たして、興里・虎徹の作り上げた天下無双の太刀は、将軍家綱の前で何を斬るのか。
小説はやはり美しい描写や登場人物の言葉に魅力がある。最後に、私の思う「これぞ、いい一節」を引用してみたい。著作権の考慮もあり、残念ながら僅かな部分しか引用できない。本当はもっと多く紹介したいのだ。また、唐突に小説の一部分をみせられても、文脈がみえず困惑されるかもしれないが、何か直感的に惹かれるものがあれば、『いっしん虎徹』を手に取って損はないと確信している。
たたらに火を入れて三日目の夜半を過ぎた。外はまだ墨より深い闇に沈んでいるが、しばらくすれば夜が明けるだろう。
吹子を踏む男たちの脚に力がこもっている。一日目、二日目より風音が野太く力強い。火の神が、陣痛に呻いている。
風が吹くたびに、濃い山吹色の炎勢がたかだかと燃え上がる。炎の猛々しさがいやましている。
(山本兼一著『いっしん虎徹』より)
「死生を哲理をきわめ、なおそのうえで、実際に人の生き死にをつかさどる道具であるならば、姿にも鉄にも波紋にも、気品がなければならぬ。尊厳がなければならぬ。刀鍛冶は、それを形にするのが仕事だ」
(山本兼一著『いっしん虎徹』より)
太刀を手にした加右衛門が、土壇の前にあらわれた。
肩衣を背に落とし、目を炯々と光らせている。
天地が静まりかえった。
加右衛門の気魄が、全身から凛々と迸っている。
閑かに瞼を閉ざすと、加右衛門は虎徹の太刀を振り上げた。
(山本兼一著『いっしん虎徹』より)
『いっしん虎徹』、生涯大切にしたい文壇の至宝。57歳の若さで亡くなった山本兼一氏に、心より哀悼の誠を捧げる。