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本稿は、弟の句をご紹介するシリーズ物の第三段である。続けてご覧いただく方が多くいらっしゃることは、兄弟共々何よりの励みであり、読者諸賢に心より感謝申し上げる。 第一段は昨年春、第二段は同年秋―― そして、今回は冬である。選び出した句は、冬の情景を写実的に切り取っている。あれこれ妄想しがちな筆者は、相も変わらず俳句に疎い為、句に添える解釈は、初学者の感想に過ぎないことをご承知おきいただきたい。 親愛なる弟の句を一人でも多くの方にご紹介できれば、本望である。 まず目
前回(本年春)に引き続き、今回は秋の句を取り上げたい。芸術の秋と言われるように、俳句も今が旬というか、味わい深い頃ではないだろうか。もののあわれを痛切に感じる季節である。 ところが、四季ごとに分けられた季語のうち、最も数が多いのは夏のようだ。興味深く調べてみると―― なるほど、夏は草木も虫も生気に満ちる為、動植物に関する季語が断然多いようだ。 それでも、俳句は秋という、ずぶの素人ながらの印象に自らお墨付きを与えるべく、俳聖と称えられる松尾芭蕉の句を紐解いてみた。
我が兄弟航路は、実の兄弟の二人組である。共有のアカウントを舟に見立て、文学の大海原にしがない航跡を描いている。 だが、昨年の七月に次女を授かった弟は、育休を宣言し、二人の娘の父として日々奮闘している。近々、新しい住まいに引っ越すようで、まだしばらくは、腰を据えて執筆する余裕はなさそうである。 そんな中でも、筆者の作品を航海する直前は、弟が必ずこの舟に戻ってくる。最初の読者という、唯一無二の役割を担うためである。 感想にしろ、指摘にしろ、それは実に朴訥たる、短い言葉
鈴蘭を活けて深まる月明り 蛍火を祈るや森のせせらぎと 古びたる扇子を佩いて新茶買う 旬杯(俳句・短歌・川柳)募集要項
まだ朝晩は寒いですが、日中は汗ばむときも増え、花鳥のあかぬ別れに春暮れて今朝よりむかふ夏山の色(玉葉和歌集・夏・293)と詠まれたように、山々は蒼翠を帯び、風薫る夏の到来を感じます。 本稿では、夏の句をいくつか紹介し、私なりの感想を述べたいと思います。解釈が本筋から外れていることもあるかもしれません。ご参考程度にお読みくだされば幸いです。 穂高とは穂高連峰、穂高岳でしょうか。その険しい山々は今まさに雲を吹きおとしています。その瞬間、作者は立夏、夏の到来を実感したよう
今年は、五月二日が八十八夜、五月六日が立夏になります。早くも惜春の候を迎えて、日によっては夏を先取りしたような汗ばむ陽気です。 前回に引き続き、春の句をいくつか紹介したいと思います。私の解釈が本筋から外れていることもあるかもしれません。ご参考程度にお読みくだされば幸いです。 「隙のなき」の言葉で、どこまでも広がる空の青を実感できます。夏をむかえようとしている朝は果てしなく爽やかです。 山の斜面につくられた田のまわりには、つつじが咲いています。日をうけて光輝いてい
だんだんと暖かくなり、春を実感できる日が増えてきました。花は咲き、草々は芽吹き、虫を目にすることも多々あります。雨が降れば山々は潤い、盆地では田畑の準備が着々と進んでいます。 万葉集の”石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも”と詠まれたように、山滴る時へむかう躍動感ある季節です。 本稿では、春の句をいくつか紹介し、私なりの感想を述べたいと思います。解釈が本筋から外れていることもあるかもしれません。ご参考程度にお読みくだされば幸いです。 周囲を見渡
あけましておめでとうございます。 新年は書道の書初め、将棋の指し初めなど、いつもとは異なる厳粛な雰囲気が漂います。俳句も例に漏れず、新年詠は一年の予祝ともいえる句が多い印象です。 しかし、新年、誰しも明るい状況ばかりではないかもしれません。今回は、歳時記「新年」の明るい句をご紹介し、少しでも皆様のお力になれればと思います。解釈は、あくまで私個人の感想ですから、ご参考程度にお読みくだされば幸いです。 正月の雪真清水の中に落つ 廣瀬直人 正月にふる雪はなにか特別です
虚栗手あつく置きし木こりかな 盆地と空一面のあう葡萄棚 馬の子を秋の七草とりまけり 以下、十六夜杯(主催:十六夜様)ご担当の「みんなの俳句大会」様へのリンクです。 十六夜杯(俳句・短歌・川柳)募集要項とオープニング動画発表
夏の歳時記をながめていると、魚や昆虫など生き物の季語が豊富で、生き物好きの私はワクワクしてきます。歳時記には、季語の説明だけではなく、例句がいくつも掲載されています。テレビや図鑑等の映像でみるのと、また違った魅力があります。たとえば、季語「章魚(たこ)」をつかった句にしても、ちいさな真蛸だったり大きな水蛸だったりと、読者の経験や感性によって、解釈も多様になりましょう。 本稿は”俳句水族館”と題して、海の生き物の句を鑑賞していきたいと思います。句の選定や鑑賞内容は私個人の好
前回の宇宙杯に続き、鶴亀杯に参加できまして、心より感謝申し上げます。拙句の成績はあまり振るわなかったのですが、審査員の皆さまや読者の方々に温かいお言葉をいただき、たいへん嬉しく、大いに励みになりました。 また、投稿された380句以上すべてを拝読しまして、読者側の楽しさも味わうことができました。すべての句に作者の顔といいましょうか、お人柄がみえる思いでした。 短歌を専門とする方々の句は、とても情熱的で、まるで小説の一場面のようでした。また、短詩型を専門外とする方々でも、
山なみの空に溶け込み夕薄暑 連山の流れの果ての瀑布かな 岩壁を亀裂走れり山百足
今回は、短詩型文学を主に扱う飯塚書店出版の『加藤楸邨の一〇〇句を読む』石寒太著をもとに、楸邨句を鑑賞していきたいと思う。 楸邨は苦学の生活のなか短歌や俳句とであい、造詣を深めていった。啄木や茂吉、白秋を学び、俳句では村上鬼城に〇✕の添削をうけていたそうだ。その後、水原秋櫻子との縁を得て、師事することとなる。 「船戸」の前書きがあり、江戸川と大利根川の間の船宿だそうだ。深い雪に沈みながら一歩一歩進んでいくと、船戸の河畔で船をみたという句である。苦労しながら歩む作者と、
※本稿は先日読了した月刊誌、角川俳句令和四年五月号の特集『取り合わせの距離感』を、私なりに上書き、紹介する記事である。 俳句の大半は、「季語」と「何か」で構成される。たとえば、飯田蛇笏氏の句”苔咲いて雨ふる山井澄みにけり”であれば、「苔咲いて」と「雨ふる山井」だ。雨の日、山の井戸周辺に苔の花が咲いている景色である。作者は可憐な苔の花と澄んだ井戸水(もしくは湧き水)の様子に感動したのだろう。苔が咲いたことでいつもの景色が変わった驚きである。 このように、季語と何かの組み