心斎橋そごう名残りの一席
よしなしごと【気まぐれ選43】
天下の台所、大坂の地に心斎橋というところがございます。
心斎橋は、南にトントントンと下りますと、芝居小屋が立ち並ぶ道頓堀。反対に北に向かって長堀を越えますと船場、三筋目が順慶町通りで、そこを左に曲がって、小倉屋山本さんの前を、「や、こんにちは」てな具合でご挨拶して尚もツツツーと行きますと新町橋。橋を渡れば日本三大遊郭と呼ばれる新町遊郭・・。トテチンシャン。
と、話が横道にそれましたが、心斎橋というところは、それはそれは大坂の中でも、とくに賑やかなところでございます、と言いたいわけで。
さて、時は徳川八代将軍吉宗の頃。京は伏見に一軒の呉服屋さんがありまして。下村彦右衛門正啓が当主を務める大文字屋と申します。
享保11年、西暦で言えば1726年、「天下の大坂で商いをして見んとす」てなことで、心斎橋に店を出します。目印に大の字にくるっと丸を書いた。それが「大丸」になるわけですな。天下の大坂の、天下の大店(おおだな)でございますから、寛政10年(1798)に描かれた『摂津名所図会』にも出てまいります。
一方、大坂の船場の西の方、南御堂の裏手に坐摩神社がございます。「ざま」ではなく「いかすりじんじゃ」と読みますが、その門前に見世物やら物売りが集まっております。とくに古着屋さんが多く、「坐摩の古手屋」と言われていたそうで。今で言うと、アメリカ村みたいなものですか・・。
文政13年(1830)、徳川第11代将軍家斉の御代、そこに一軒の古着屋さんが店を出します。十合伊兵衛の店、本当の名は大和屋ですが、皆からは「そごう古手屋」と呼ばれておりました。
元号が明治に変わって1877年、大和屋さんは満を持して心斎橋に出てまいります。名前も十合呉服店と改めました。一応念のために言っておきますと、「十合」は「そごう」と読みます。やはり心斎橋ですから、古着屋では具合が悪い。いつの間にやら「呉服店」になっております。
十合呉服店が店を構えましたのは、何と、こともあろうか名代の老舗、大丸呉服店のお隣・・。普通ならば「うっとおしいなあ、何すんねん」というところ、しかしながら大丸さん、京都出身だけに懐が深い。「お宅はお宅、ええようにしはったらええんとちゃいますやろか・・」
というようなことで、仲良う2軒並んでやってまいりましたが、時は流れて2009年。とうとう心斎橋からそごうが消えることに。
「お名残り惜しいですなあ、そごうはん」
「大丸さんにはいろいろ良うしてもろて・・」(涙)
「で、これからどうなさる? 坐摩神社に戻られますのか」
「いや、そういうわけにはまいりません」
「そらまた何でです?」
「ざま、ない」 テケテンツクテケテン・・(下げ囃子)
【よしなしごと0302・2009年2月 5日 (木)掲載】
2024年追記:
~~そごう心斎橋本店は2009年8月31日に閉店した。
隣接する大丸心斎橋店とともに、心斎橋筋商店街の「顔」として1877年からこの地で営業を続けてきた老舗の歴史が幕を閉じる。
今後は大丸心斎橋店 北館として、若者向けブランド中心の展開を予定。
そごうは2000年に経営破綻により一度目の閉店、2005年の再起をめざし、1935年(昭和10年)に竣工した村野藤吾設計の旧館を取り壊してまでこぎつけた再オープンだったが、5年余りの空白期間の影響はあまりにも大きく、一度失った顧客を取り戻すことは出来なかった。~~
『Нет 大阪建築』より
http://www.hetgallery.com/sogo-closed.html