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静かな夜に

 静かです。

 こんなにぼんやりとしている時間を取ることができたのはかなり久しぶりだと思います。

 5、 6年ぶりかなぁ。

 静かです。


 自分の気持ちが落ち着かない、世話しない日々が続いていました。

 私にとって大切なのはこういうぼんやりとした時間だと思います。

 お部屋の中がきれいに片付いていたら、もっと落ち着いて、何かに集中することができるのかもしれないのですが、ぐちゃぐちゃです。

 それは毎日朝早く出かけていって、体がひどい人になるような仕事を続けているからです。

 でも、今の私にとって、その仕事に集中する事は本当に大切で必要なことです。

 それをすることで、もっと恐ろしい状況に陥ってしまうことを防ぐことができているからです。

 私がこんな状況になってしまったのは、自分が選ぶべきものを間違ってしまったからで、だから、これからそれを解決していきたいと考えて努力していますが、なかなかうまくいきません。

 本当に辛いです。

 だからこそ具体的に体を動かして働けていることは、今の私にとってものすごく大切で必要です。

 私を弟のように陥れて、何もかも奪おうとしている人たちから、自分を守るための今唯一できる行動だと思っています。

 私の実家の土地やお金を奪うことに執着して追いかけてきている以前結婚していた人とその母親は、私にとってある意味敵で憎むべき人たちなのですが、そんなことを考えているよりも今を充実させて、これから先の人生を納得できるものはしていくために前向きな行動を取り続けることの方が今の私には大切で絶対に必要なことです。

 だから体を駆使していた人になるような仕事をしながら、自分の夢を叶えるために文章書くことを実現しなくてはいけません。

 どうしても私はそうしたい。

 そしてそれを実現する事は、現実に不可能ではないと思っています。

 私にはきっとそれができるだけの力があるはずだと信じています、

 そうすることで無念のまま亡くなってしまった私の母の本当の気持ちを守ることができるような気がしているのです。

 noteを書き始めた頃、自分の人生が今のようになるなんて想像もしていませんでした。

 だからきっとこれからも、想像もしていないような出来事が私の身に起こり続けるのかもしれません。

 その想像もしていない出来事が、自分にとって素晴らしいものであるように、自分なりに精一杯努力し続けることが私にとって今しなくてはいけない大切なことです。

 だから私は、今の仕事を続けながら本当に描きたい文章を書いて、その先の人生を作っていくことを諦めてはいけないのです。

 家庭に入って主婦と母親をしていた頃も、とにかく子供を幸せにしたい、そうして自分も落ち着いた暮らしがしたい、そう考えて努力し続けていました。

 その努力はある意味きちんと実りましたが、結婚していた人の母親の狂ったような妬みのせいでみんなめちゃくちゃにされてしまいました。

 私の実家も潰されました。

 だから私はもうその人たちのもとに戻るつもりはありません。

 その人たちの都合の良いようにも動くつもりもありません。

 私は自由になるために、前を向いて歩き続けて行きます。

 子供にも自由になってほしいと思っています。

 だから、今子供がしなくてはいけないことは自分の人生がきちんとした形で先につながっていくように、きちんと勉強したり、納得のできる就職ができるように努力し続けることだと思っています。

 私はそれを邪魔しないために子供に近づこうと思っていません。

 そして自分が本当に心からしたいことに向かって努力し続けていくこと、実際に勇気を出して自分の理想を叶えるための行動を取り続けていくことで、子供にも頑張らないといけないという自覚を促したいと思っています。

 本当に子供を大切に思っているからこそ、その事は絶対に譲ってはいけないと思っています。

 大切にし合う事は大事なことだと思います。
 でも、ズルズルべったりになって甘え合うことが良いことだとは思いません。

 みんな大人なのですから、自立した大人同士がきちんと協力しちゃえるようなそういう体制を作ることができる人たちと暮らしていくことの方が私にとっても子供にとっても必要なことだと思うのです。

 たとえ血のつながりがなくても、自分も相手も大切にして、寄り添い合えるような人たちと暮らしていこうとの方が、お互いにとって絶対にいいと思うのです。

 ズルズルべったりになって甘え、会いたい人たちを批判するつもりはありません。

 だけど私と子供はそういう人たちの中で暮らすのは納得できないので嫌なのです。

 良い形で自立した人間として暮らしていける方が発展性があると思います。
 そう思うから子供が望んだように手放してあげました。
 そうして自分もきちんと自立した形で暮らせるように仕事を探して見つけて働いて頑張っています。

 それを信じられないような汚いやり方で、壊そうとして、傷つけ続けてくる人たちに対して私が思うのは、どうして自分に集中しないんだろう?ということです。

 私を追いかけたり私を傷つけたりすることよりも、自分自身に集中して自分を良いように書いていくことの方が簡単に自分を大切にして幸せにすることができる行動だと思うからです。

 私のような自分を見失いかけている人間でもそう思うのですから、しっかりしているはずの、その人たちにできないわけはありません。

 人の持っているものを取り上げて、自分たちのわがままに使ってしまうようなそんなことばかり考える中身の腐った人たちと一緒に生きていくなんて絶対に嫌です。

 今私がしている仕事を、もしその人たちがものすごく馬鹿にしているのであれば、私はその人たちを逆に軽蔑すると思います。

 私がしていることは大きなことではないけれど、具体的に確実に誰かの役に立っていると思います。

 その仕事をして生計を立てている人たちに対しても、本当に失礼だからやめてほしいと思います。

 ただズルズルと遊んで暮らして、人を馬鹿にしているなんて人間として最低だからそんな人たちと一緒に暮らすのは嫌なんです。 

 そして自分がnoteも書くことで、自分も表現をする人になりたいそう思うようになってから、この人のように表現ができる人になりたいと言う人が何人も見つかりました。

 そういう人たちに対する憧れの気持ちを、自分が表現をすることにおいて、精進していく目標に変えて頑張り続けてきました。

 そのことを止めないことが、今の私の心を強く支えてくれています。

 私もただの人間なのでそういうものがないとがんばり続けることが難しいのです。

 そういう私を笑ったり、馬鹿にしたりする人もいることはわかっています。

 その人たちに対して私が感じていることは、そんなことをしているよりも、自分を先に進めるような努力をした方が良いのではないかと言うことです。

 人を馬鹿にすることでその馬鹿にした人は確実にだめになっていくような気がするのです。

 自分を向上させるための努力を怠ると思うからです。

 私は人を馬鹿にすることよりも、自分が憧れた人、素晴らしいと思った人に近づいていく努力を続けて行くことの方が好きだからそうしているだけです。

 前に進んでいきたい、坂道や階段を上るように少しでもいいから成長して自分が目指している素敵な表現に近づいていきたいのです。

 思いがけずにそういう表現ができたと思えた時は本当に嬉しくて心が弾みます。

 そういう喜びがあるから、やめることはできません。
 
 私は、そうやって生活の中に喜びの部分を取り入れることで苦しい人生を何とか乗り切ってきました。

 結婚していた時は、子供の成長が喜びでした。
 好きな料理雑誌にお便りを投稿してお便りのコーナーに掲載してもらうことが喜びだった時期もあります。

 毎日の食事を作ることも私にとっての喜びでした。
 いろいろ工夫して家族が喜ぶ様子を想像しながらお料理をするのは本当に楽しかったです。

 高価なものは買えませんでしたが、たとえ値段は安くても自分が気に入った洋服を選んで買って、自分なりにおしゃれをすることも楽しいことでした。

 何かをすること全てが楽しさや喜びの部分を含んでいることに気がつけた時、生きていることは本当に素敵なことだと思えるようになりました。

 高価なものを持つことよりも、本当に信頼できて大切だと思える人生のパートナーと生きていけることの方が私にとっては必要で大切なことです。

 いろいろなことやいろいろなものに恵まれて、必要であれば高価なものも持って、それも大切なことだとは思いますが、本当に大切にし合える人と心のこもった生活をできることの方が私は嬉しいような気がしています。

 本当にありふれた普通の生活の中に自然に含まれている愛情や、心のこもった暮らしの方がブランド物を持つことよりも私にとっては必要なのです。

 だからできることならハイブランドのものを持つよりも、上質な手作りのもの、伝統工芸のようなもの、長く愛用できるような靴やバック、そういうものに囲まれて落ち着いて、地に足のついた生活ができる方が私は嬉しいです。

 人にみせびらかすようなことやものは私には必要ありません。

 そんなことしなくても、心が満たされているような暮らしがしたいのです。

 お金をたくさん使わなくても、新鮮な取り立ての野菜をたくさん使った料理を食べて、素直に笑って、素直に泣いて、素直に怒って、素直に喜べる。そういう暮らしの方が私にとっては高価なものに囲まれていることよりも必要です。

 表現をしたいということも、目立ちたいというよりも自分が感じたことや、思ったことや考えたことを、何かの形に表して、人の心を動かしたい、そういう気持ちの方が大きいです。

 そうして、人の気持ちを動かすことで何か世の中の役に立てたら、さらに嬉しいと思っています。

 自分以外の周りの人にもキラキラとした明るい気持ちを持ってもらいたい。悲しんだり苦しんだりしている人にその悲しみや苦しみを和らげることができるようなお手伝いができたら嬉しいと思っています。

 そういう自分になりたいし、慣れたら嬉しいと思っています。

 他の人がどうかということではなく、自分なりに自分として精一杯頑張る。

 それが私のしたいことで、それが私の生き方です。

 誰かの思い通りになんて、絶対になりたくありません。

 そう感じているから、そういう生き方を支持してくれる人を好きになって、その人と生きていきたいと思うようになりました。

 それが実現したら本当に嬉しいです。

 その暮らしの中にも悩みや苦しみは確実にあると思いますが、それでもいいから私はもうやりたいです。

 本当に生きたいんです。
 自分らしく素直に。
 そのままで、そのままに。

 

 


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