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光の中で生きていく

私は魚になっていた。
その瞬間、透明な明るい光に照らされた水の中を泳いでいた。

私は明るい光に向かってどんどん泳いで進んでいった。

泳げば泳ぐほど体は水に溶け込んで何の違和感もなくまっすぐに進んでいくのだった。

とても気持ちがよかった。
何の迷いもなかった。

誰にそう教えられたわけでもないのに私はまっすぐ光に向かって泳いでいくのだった。



大きな広間の中に残っていた最後の鳥かごを抱えてあの人の胸に大きく開いた空洞の中に私は自分から飛び込んだ。

私をその中に引き込むための手はその時差し伸べられなかったからだった。

どうしてなのか誰にもそれはわからない。

けれども私は飛び込んだ。

小鳥を輝く魂に戻してあげて元の持ち主のところに返してあげるために。

透明な水は冷たすぎもせず、暖かすぎもせず、大きな波も揺れもなく、まっすぐと泳いでいくのに何の邪魔も入らなかった。

気持ちよかった。

光が私を呼んでいるのが分かった。

私はあの光の中に戻っていくためにここに来たのかもしれない、そんな思いがよぎった。

光は私を呼んでいる。
私はそれに応えて思いっきり泳いだ。

不安はなかった。
恐れもなかった。

ここに戻ってくるために長い旅路を歩いてきたことを私は悟っていた。

何もかも脱ぎ捨てて、何もかもおいて、私は銀色の魚になって光に向かって泳いでいくためにこの場所にきたのだ。

泳げ、泳げ、魚の私。
光の場所に戻って行こう。

そのためにここに来た。
それでいい。
それだけでいい。





消えた。
消えてしまった。

あの子は最後自分から私の胸に飛び込んできてここに帰ってこなくなった。

今までと何かが違う。
一体どうしてしまったのだろう?

森の主は考えた。

あんなに帰りたくないと言っていた小鳥たち。
けれども他の小鳥が私の胸を通して元いた場所に戻っていくのを見ているうちに、
一羽、また一羽と帰りたいと言い出した。

そして時々夢の中でここに戻ってきて森の中を飛び回ったり好きな歌を歌ったりしている。

大きな窓を開けたままにしたこの広間まで飛んできて、ちょんちょんと小さな脚で跳ね回って見せたり、軽やかに羽ばたいたり、歌声を響かせたりしている。

小鳥たちはそれを見てだんだんと鳥かごにいることに疑問を持ったようだった。

あんな風にもっと自由になってみたい。
そう考えるようになったのかもしれない。

そうして一羽、また一羽、と帰ると言い出し、私とあの子に協力させて元いた場所に戻っていった。

空っぽになったこの広間にやってくるのは私とあの子とこの部屋を掃除する人たちだけになってしまった。

そしてあの子も消えてしまった。
最後に残った小鳥と鳥かごと一緒に。

ぼんやりとして座り込む私のところに森の香をのせたそよ風が吹いてきてささやいた。

大丈夫ですよ。と。

一面が大きなガラスでできているこの広間の窓のある森に向かった壁を見た。

森が見える。
その森にぼんやりとした大きなぼんぼりのような光るものが無数に見えた。

暖かく優しい清らかな光。
その光達を見ているうちになぜだかわからないのだけれど心が深く満たされて涙がこぼれ出してきた。

涙が溢れて溢れて止まらない。
止めどなくこぼれ落ちてくる涙は苦くてとてもしょっぱかった。

涙がこぼれ落ちるほどなぜだか心が軽くなっていった。

自覚はなかったのだけれど何か大きな塊。
とても重いものが自分の心の中に置かれていたと言うことにその時初めて気がついた。

その塊が溶けていくのを感じていた。

少しずつ少しずつ涙がこぼれだすのと一緒にその塊は小さくなっていくように思えた。

小鳥がいなくなっていくこと、そしてあの子が消えてしまったこと。
それは私にとって大きな喪失にも感じられたけれども、何か重たい荷物を降ろしてほっとできるようなことにも感じられていた。

また風が吹いてきた。
とても爽やかな木々の香りをのせて。

あの子がやってくるまで私はこの香りを深く吸い込んだ記憶がない。

あの仄暗い部屋でうずくまって一体何を考えていたのか今では思い出せないのだった。

私は開いた窓に近づいていってそこから流れ込んでくる爽やかな香りをまとった新鮮な空気を思いっきり吸い込んでみた。

涙はこぼれ続けていた。

胸の奥がチリチリと音を立てずに鳴っている。

小さくなっていく何か重たい塊は涙に変わって私の目からこぼれ出し少しずつ消えていく。

青空がきれいだ。
そこに浮かんでいる真っ白な雲がくっきりと見えた。

もう一度大きく息を吸い込んでみた。

体の中に新鮮な良い香りの空気がたくさん入り込んできて私の体を目覚めさせていくのが感じられた。

涙はまだ止まらなかった。
心はどんどん軽くなっていき、体は何か新しいものを取り入れて今までの古いものが剥がれ落ちていくような感覚に満たされていた。

森の木々の中に見えているきれいな光。
その光は生まれ変わっていく自分を何も言わずに見守ってくれていた。



魚の私はどんどん泳ぎ、明るい光に向かっていった。

光はどんどん近づいてくる。
そして私を包み込む。

光に包まれた私はまぶしくて目を閉じた。

自分の体が光の中に溶け込んでいくのを感じた。

帰ってきたんだ。
ここが私の本当の故郷。

そして私は溶けてゆく。
大きな大きな光の中に、





朝が来たのだけれど私が目覚める事はなかった。
私は夢の中で魚になって泳いでいた。
大きな大きな光に向かって。

そして私の体は二度と目覚める事はなかった。
魚は光の中に溶け込んでいきもう二度と帰ってくる事は無い。

ありがとう。
私は魚にそう告げた。

私は魚の入れ物で魚は私の主だった。
私は魚を見送った。

ありがとう。
さようなら。





森から風が吹いてくる。
だんだん強くなっていく。

その風に吹かれて今までの自分。
暗い部屋にうずくまりこの世の欠けたものばかりを見ていた自分が消えていく。

そうしてまっさらな新しい本当の自分に向き合える自分だけが残ったようなそんな気がしていた。

さようなら。
ありがとう。

新しく始まる毎日のことはまだ考えられないけれど、剥がれ落ちていく今までの自分を惜しむ気持ちもないのだけれど、涙は止まることもなくこぼれ続けている。

こんなに大きく重たく辛い苦しいもの私は抱え続けて生きてきたのか。
その感慨は私からこぼれだす涙の味を苦くをさせ少し甘くもさせていた。

森の中に見えていた光たちがこちらに向かって動いてくるのが窓から見えた。
暖かく優しい柔らかな光たち。

仄暗い部屋に座り込んでいた時には考えたこともないほどのたくさんの光に自分が守られていたことに素直に感謝ができていた。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

胸の奥から感謝の言葉が溢れ出してくることに驚いている。

風に乗って運ばれてくる木々の香り。

こんなにたくさんの美しいものに囲まれていたのにどうして自分はあんな風にかたくなに暗い部屋に閉じこもっていたのだろう?

小鳥たちが帰っていった理由が自然にふに落ちていく。

この部屋で暮らしてみよう。
森を見下ろすことができる明るいこの部屋で。

窓から入り込んでくる新鮮な空気を思いっきり吸い込んで日々を暮らしていたらそれだけで私は生まれ変わることができるのかもしれない。

小鳥たちが遊びに来る。
そして光が包んでくれる、
森の緑は輝いている。

一人ぼっちでは無いのだ。
そのことは私に大きな力をくれる。
命を輝かせてくれる。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。


私は感謝の言葉とともに明るい光の中で新しい空気を吸い込んで毎日生まれ変わりながら生きていくことができるようになった。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。


何もかもにありがとう。

辛かった日々にさようなら。





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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。