木枯らしが吹いていた
「ありがとうございます」
「いいえ、こんなことしかできなくてごめんね」
「いや、本当に助かります、申し訳ないです」
保育園の帰りに太郎と一緒に近所の八百屋に寄るのが習慣になっていた。
何かしら果物と、足りなくなった野菜を買って帰って夕飯を作る。
昨日から寝られずに疲れが取れずにぼんやりとしていた。
顔色が悪いと父に心配されたけど、保育園のお迎えと八百屋での買い物はしないわけにはいかないのだ。
毎日の食事の支度はそんなに苦ではなかったが、こんなふうに疲れている時はきついなと思ってしまう。
そのことに気づいているのかいないのかわからないのだけれど、八百屋のおばちゃんが僕にしっかりとした透明のビニール袋に入れられたおでんをほいと渡してくれた。
「はい、これ」
「え?」
「大根がたくさん売れ残っちゃってね、煮たの。食べきれなくて困ってるから手伝ってもらおうと思って」
「いや、悪いから」
「お願い、こんなに作りすぎちゃって、食べきれなくて腐らせちゃったら家族に怒られてしまうから、どうしても持ってってもらわないと困っちゃうのよ」
「…そうですか、申し訳ないです、いただきます」
とても恐縮してしまう。
おばちゃんは笑顔で「ありがとう。助かったわ。これで全部食べ切れる」と言ってくれた。
八百屋のおばちゃんは本当に優しい人だ。
ここに来る度に感じる。
ここに毎日来るのは太郎がとても喜ぶから、ということもある。
母親がひどいつわりで起きることができなくなってから、少しずつ元気がなくなっているから。
心配ではあるのだけれど、どうしてやることもできなくて。
「おばちゃん、ありがとう」
太郎はおばちゃんにお礼の言葉を言っている。
「太郎ちゃん、えらいね」
おばちゃんにそう言われてなんだか嬉しそうだ。
僕は今日買って帰る物をものを探した。
このところ寒い日が続いている。
冬物のあたたかい衣服を押し入れの中から沢山取り出したのはいいけど、全然片付けられなくて、イライラとしてしまう。
疲れているのだ。
仕事と、家事と、太郎の世話と。
どれも最初はなんとかなっていたのだけれど、何かにひとつつまづいてしまったら歯車がくるったようにうまくいかなくった。
本当に一体どうしたらいいのか、正直全然わからなくて困っているのだ。
「あんまりがんばりすぎちゃだめだよ」
「え?」
「だいじょうぶだからね」
「はぁ」
「ときぐすりって言うでしょう。 時間が過ぎていくことでしか解決しないこともあるのよ。 焦っちゃだめよ。 ゆっくりとまわりをよく見てごらんなさい。 みんな同じだよ。 みんな似たようなことで悩んだりしてるよ。 だから焦らないで、まず落ち着きなさい。 必ず変わっていくから」
何気ない様子で優しい声で話してくれるおばちゃんのことばを聞いていたら、僕はなにも言えなくなってしまった。
焦っていたし、苦しんでいた。
まず、自分自身を責めて、こうなってしまった運命を責めて、もう少しで周りの人達を責めそうになっていた。
もしかしたらおばちゃんはそのことに気がついていたのかもしれないと少し思った。
毎日会う、ってそういうことなのかもしれない。
「お父さん、どうしたの?」 太郎が心配そうな顔をして僕に聞く。
両方の目から涙があふれてぽろぽろこぼれ出していた。
ただ泣きたかった。
恥ずかしいとかそんなことはどうでもよかった。
おばちゃんがティッシュの箱とごみ箱を僕に渡してくれた。
店の奥に入れてもらって、僕がひとしきり泣いて顔をあげたら、おばちゃんは太郎と僕にりんごを剥いてくれた。
新鮮なりんごは酸味と甘味の加減が絶妙にバランスが取れていて、爽やかで美味しかったし、しゃくしゃくとした気持ちのいい歯触りは僕の気持ちを立て直させてくれた。
思わず「美味しい」と言ってしまったら、おばちゃんはにこっと笑って、袋にりんごを6個も入れて僕に手渡してくれた。
「奥さんにお見舞い」
僕は黙って受け取った。
太郎はそれを黙って見ていた。
「お父さん、よかったね」 太郎が言った。
「お母さん喜ぶね」
「ああ、」
「おばちゃん、ありがとう!」
太郎がそう言うと、おばちゃんはにっこりと笑って、
「またあしたね」 と言ってくれた。
おでんの袋とりんごの袋はずっしりと重たくて、僕はまた泣いてしまった。
。。。
『花ちゃんち』の続編の続編です。
よかったら続けて読んでみてください。
読んでくださってありがとうございました。
^_^