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本当はとても怖かった。

 私は弱い人間です。
 本当に、怖がりで、泣き虫で、苦しいことからできることなら、逃げ出したい。本当にそう考えてしまう人間です。

 だけど必要に迫られて普通ではない状況の中で、必死に生きてきました。

 そうしてそれは私だけではなくて、すべての人が同じなのだと思います。

 どんな人も生きるために、生き抜くために、自分自身として戦って、恐怖と戦って、頑張っていると思います。

 その形は人によって全然違うと思うけどそうじゃない人は人もいないと思います。

 だから仕方がないから諦めて頑張るしかないと思って暮らしています。

 みんな戦ってるんです。
 そうして、自分を無理矢理納得させるために、いろいろなことをして自分の気持ちを守っているだけで特別なことなんてありません。

 その身も蓋もない現実をのまま受け入れて、きちんと自分を整えて大切にしている人がしあわせな人なのだと思います。

 いろんなことがめちゃくちゃになってどうしたらいいかわからなくなっているけれど、私は大体しあわせです。

 その理由は、今生きていて、そこに希望があるからです。

 自分の希望を大切にして、それに向かおうとしている自分を好きだからです。

 めちゃくちゃで足りないものだらけで何一つ良いことなんてないけれど、それでも私にはまだ命があって可能性があって希望に向かっていくことができている。

 そのかけがえのなさに私は本当に感謝できるようになりました。

 逃げないであきらめないで生きてきて、本当によかったと心から思えるようになれるまで頑張らなくてはいけません。

 それを考えると、絶望的に落ち込むこともあります。

 本当にできるのかわからないことに向かって心細い状態のまま生きている自分をどうしていいのかわからないような苦しい気持ちになることもたくさんあります。

 でも逃げてしまったら、諦めてしまったら、全部が終わってしまいます。

 自分自身がそういう状況になってみて、母や祖母や祖父や父親がどんな気持ちで働いて子供を育てて暮らしていたのか、理解することはできないけれど、自分以外の誰かのために苦しくても、辛くても必死で生きてくれない人たちがいたからこそ、今の自分があり、今の生活があることに感謝をせざるを得ない気持ちになり続けてきました。

 みんな苦しくて辛かった、だけど頑張ってないでくれた。

 そのことに感謝するためのきっかけが、先祖の供養なのかもしれません。

 私は自分が希望に向かうことができることに、もっともっと心から感謝できるようになりたいです。

 そうしてひたむきにまっしぐらに、それに向かっていきたいです。

 それこそが私の生まれてきた意味なのかもしれないし、今生きている意味なのかもしれない。

 そう思うからです。

 こんなにひどい状況で苦しみながら必死に生きている自分を羨ましがったり僻んだり妬んだりしている人の気持ちはわかりません。

 そしてもしそれが私だったら、たとえ少し位ずれていたとしても、何か具体的に行動を起こして、その気持ちを振り捨てるような気がしています。

 人を羨んだり妬むよりも、私は自分が具体的に行動して、自分なりのを出して、そのことから満足を得たり、学び終えて次の行動につなげていきたいと考えるからです。

 人を妬んでいじめても自分が汚れていくだけで何も良い事はありません。

 そうして自分の生活に必要以上の不満を持つのは嫌なんです。

 もしそういう気持ちがあったら、それをどうしたら解消できるのか考えて、具体的に何か前向きな行動をしたいと思うのです。

 どうにもならない状況だと考えて、人をいじめなくなってしまう気持ちを持つ人がどうしているのか、何回も何回も命の生活も消えてしまうような状況の中で、必死に生きてきた私には正直理解ができません。

 私はそういう状況の中で、子供を育て、家庭を守り、ギリギリの生活を続けてきました。

 その生活に不満を持つことより、それでも生きていることに感謝して、未来に希望をつなぐことで、心も体も生活も守り続けてきました。

 だから他の誰かと自分を比べるよりも、ほんの少しでもいいから、今日よりも良い明日、今よりも良い未来を作るための努力を続けるしかありませんでした。

 その途中は本当に苦しくてどうしたらいいのかわからないような気持ちに何回もなりました。

 だけど諦めてしまったら自分だけではなくて、心の底から大切だと思っている子供の未来もつぶしてしまうことになります。

 だから、どんなことがあっても諦めることができませんでした。

 それほど大切にしてきた子供を取り上げられてしまって、大切に守ってきたお金も取り上げられてしまって、人としてきちんと尊厳を大切にもしてもらえないまま何もかも終わってしまいました。

 そのことを考えると、本当に悲しくて、どうしたらいいのかわからないような気持ちにしかなれません。

 でも、だからといって、、そのことに不満を言い続けても、前向きな現実は何一つ作ることができないとわかっているから、とりあえずそれは置いておいて、今できること、現実的に自分ができることを必死に探して1つずつ頑張っています。

 そういう私を具体的に大切にしてくれたり、守ってくれたりする人よりも、私を傷つけたり、自分の都合の良いように利用しようとする人ばかり、それが現実です。

 私はその現実の中で、それでも希望を諦めたくなくて、必死に生きています。

 それは諦めずに、希望を叶えた姿を子供に見せることが母親として子供にしてあげられる1番大きなことだと信じて頑張っています。

 頑張って大切に守ってきたものを何回も何回も失い続けてきました。

 だからといって、自分が不幸な人間だと言い続けたところで、現実は変わりません。

 その現実を前向きなものに変えていくためには、どんなに怖くても苦しくても辛くてもあきらめないで、がんばり続けるしかないのです。

 ありもしないことを言って困らせてきたり、邪魔をしたりする人ばかりの中で、それでもあきらめないで最後まで頑張り。抜かなくては。今まで自分が経験してきた苦しいことを辛いことを耐えられないほど悲しいことを前向きなものに変えていくことはできません。

 だから、悔しければ悔しいほど、苦しければ苦しいほど、必死に前向きに生きるほかないのです。

 私以前にそうしてくれた両親や祖父母や、もっともっと昔の時代の人たちがいてくれたからこそ今の私がいます。

 私が諦めてしまったら、その人たちが頑張った事はみんな無駄になってしまいます。

 だから私を傷つけたり裏切ったり苦しめたりしている人たちに対して、怒りをぶつけることよりも、とにかく前向きに自分の希望に向かって進んでいくことの方が私には大切なのです。

 私を追いかけて傷つけて、その人たちが一体何をしたいのか、私にはわかりません。

 でもその人たちはもう私とは関係ない人たちです。

 離婚して籍は抜けているし、具体的なお付き合いも全くありません。

 私は自分の希望に向かってがんばります。

 今身近にいる人ではなくて、本当に好きだと思っている。大切な人と暮らせるようになりたいし、自分の本当の希望を叶える暮らしをしたいです。

 そして、子供に対して思うのは、今自分がしなくてはいけないことに集中してほしい、精神的にも経済的にも社会的にもちゃんと自立した普通の人間になってほしいということだけです。

 そのことを代わりにしてくれる人はいません。

 それができなかった時に、子供を本当の意味で助けることができる人なんて存在しません。

 自分のことは自分で責任を持ってやっていく以外に仕方がないのが現実です。

 でも、もしそれをやり遂げることができたら、本当の意味で自分で選んで自分で決めた、そう自覚できる掛け替えのない自分だけの人生を生きることができます。

 子供にそうして欲しいから、経済的に苦しくても、必死にやりくりをして進学をさせました。

 自分はご飯を食べなくても、子供には食べさせて、進学させるためのお金に絶対手をつけませんでした。

 子供にとって、自分で自分の人生を作るための努力ができる進路を歩ませてあげたいと思ったからです。

 大変だとは思うけれど、頑張り抜いたらその先に行くことができます。

 他の誰の為でもなくて、自分自身のためにやり抜いて欲しいです。

 完璧でなくてもいいし、そんなに凄い特別な状況でなくてもいいから、とにかく自分を大切にして生きていってほしいと思っています。

 そのために自分も諦めないで、自分の希望に向かっていこうと思っています。

 楽ではないけど、苦しいけど、まだ生きてます、まだ命があって可能性はあります。

 だから怖いけどがんばります。

 多分みんな同じだから私もがんばります。

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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。

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