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きっと見えない場所にある。

 今までの生活が全部ゼロかマイナスになってしまってどうしたらいいのかわからなく待っています。

 だけどいきなり何かを見つけて、全部がいいようにできるなんてすぐには無理です。

 とても困っているけれど、良い方向に変わっていく事は絶対にできるはずで、それを信じて前を向いていかないといけないと思っています。

 そうして、その時、安易な気持ちで間違ったことをして、その後の方向が見えなくなってしまうのは絶対に嫌なので、冷静にならなくてはいけないと思っています。

 慌ててしまってはいけないということです。

 noteを続けてくるうちに、それまでは全く知らなかったことに直面して、びっくりすることがたくさんありました。

 それを言語化して文章にすることは難しいのであえてしませんが、私の知らない世界がたくさんあったということです。

 世の中は私が思っていたほど美しいものではありませんでした。

 だけどそういう中にも私が知らなかったような、強くて優しくて素敵なものも混じっていました。

 世の中は単一の色で塗り固められたのっぺりとしたしたものではなく、様々なものが混じって別々に存在している、奥行きのある、幅もある、高さもある、大きな大きな空間でした。

 その中で自分の居場所を見失ってしまって呆然としています。

 怖いけど新しい場所を探して見つけて、もう一度やり直すしかありません。


 私は多分最初の段階で選ぶものを間違っていたのだとわかって大きなショックを受けていますが、間違った方向に進み続けてそのまま人生が終わってしまうよりも、今方向転換できる方が良かったのだと考えるようにしようと思っています。

 だけど自分にそんな力があるのか?そう考えたときに即座に自分が大丈夫だとは思えなくて呆然としました。

 今までは良くも悪くも、まず子供、そして母親、その人たちを守らなくてはいけないという気持ちが私を支えてくれました。

 だけどこれからは自分を待つ中心に考えて進んでいかなくてはいけません。

 20年以上そういう気持ちで行動できていない自分がこれから新たに何かを見つけてちゃんと生きていけるのか?
 そう考えたときになんというか、とても果てしない気持ちになってしまって、呆然とするしかありませんでした。

 それは今も続いていて、とても怖いと思っています。

 私の知らないところで勝手に自分をいろいろな形で決めつけられて見られていることに恐怖さえ感じています。

 だからといって誰かに依存しなくてはいけないような状況に自分をもって知ってしまうのはもっと怖いので、何もなくどうしたらいいかわからない状況の中であったから他のもの見つけなくてはいけないと考えてとても困っています。

 それでも今回のタイトルに書いたように、自分にとって必要なものや大切なものは、今は見えていないところにきっと存在していると信じています。

 そう信じて、それを見つけていかなくてはいけないと思っています。

 正直なところ、どうしてこんな風になってしまったのか、全く判りません。

 そうして特別な力が自分にあるわけでもなく、特別に大きな自信が持てているわけでもなく、心許ない気持ちしかありません。

 本当に大丈夫なのかしら?
 そういう気持ちしかないのです。


 私にとって結婚は、ある意味周りから自分を守ってくれるためのシェルターのようなものでした。

 そうして、結婚してからちょうど1年目に子供が生まれて、それからは子供を守って育ててあげるための場所になりました。

 だから大変なことや苦しいことがたくさんあっても、そういう居場所があったことが私の心の支えになって、しあわせを感じることもできました。

 だけどいろんな状況が変わってしまって、それがなくなってしまって、私はただ呆然としています。

 いろいろなびっくりするような状況を目の当たりにして、ショックを受けたり、驚いたり、そういうことに新たに向き合わなくてはいけなくなってしまった自分をどうすることもできなくて呆然としています。

 今までの自分とは全面的に変わっていかないといけないのに、急に和装できなくて卵しています。

 少し前になぜだかわからないけれど夢中になって見ていたドラマの中に、女性は男性に求められることを望んでいる、と主張する人たちに対して、そうではないという意見を言う人が出ていました。

 私も同じ気持ちです。

 誰かの欲望の対象になることを自分の価値のように考えるのは間違っていると思うからです。

 それは恐怖でしかなく、女性にとってあまり望ましいことだとは思えません。

 でもそういうふうに考えている人たちを否定するつもりはありません。

 考え方は人それぞれで、望むことも人によって全く違うと思うからです。

 私が恋愛や結婚に求めているのは誠実な愛情で、お互いの欲望を満たすための道具のように相手を利用することではないからです。

 そういう考え方は子供っぽすぎるのかもしれません。

 でも、もし、平気な気持ちで相手を物のように考えて付き合うことが大人なら、あえて子供のままでいてもいいような気がしています。

 大人の中にも子供の自分が確実に存在していて、子供の中にも大人の自分がそっと含まれているのだと思います。

 お互いの子供の部分の大人の部分も認め合えるような、そうして協力しあえるような、そういう夫婦が理想です。


 台風が近づいているらしく、外では激しく強い風が吹いています。

 こんなふうに風が吹いて、いろいろなものを書き回していくことにももしかしたら意味があるのかもしれません。

 どんなものでも人でもことでも、必要があるからこそ存在しているのだと考えた時、自分にはどんな意味があって今生きているのか? 
 そういうことを少しだけ考えたりもしました。


 新しいもの、場所、どんなふうに見つけるのが自分にとっての正解なのか、そればかりを考えています。


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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。