かなり疲れて弱っています。

 結構無理してきて、疲れているなぁと、そのことでかなり精神的にも肉体的にも弱っているなぁと感じています。

 一昨日好きなバンドのライブに行って、辛くなったり、嬉しくなったり夢中になって音楽を聴いている間に浮かんだアイディアがあって、それを形にするために四苦八苦しながら、新しい生活を作るための努力を少しずつ始めています。

 でも弱っているから、失敗も多いし、そのことで落ち込んで、苦しく、辛い気持ちになってしまって、どうにもならなくて辛い、そういう今です。

 生きる事は苦しい。
 ずっとそうでした。

 でも、生きていること自体は、私にとってはとてもありがたく歓びを伴うものだと感じ続けてもいます。

 生きていれば、生きてさえいれば可能性が残っている。
 それが、私の心の中のしあわせを感じる部分に呼応して、会社の気持ちや幸福感を呼び覚ましたりしています。

 私は大体幸せで大体恵まれていて、大体運の良い人間だと考え続けてきました。

 すごく苦しい思いや情けない思いやたまらなく、悲しい思いやそういうものにいつもさいなまれている部分は確実にあります。
 かなりあります。

 だけど、それは私だけではなくて、多分ですが、生きている人みんなが感じていることで特別なことではないような気がしています。

 生きている事は歓びだけど、苦しみも伴います。確実に伴います。

 その苦しみに耐えられなくて逃げ出してしまったり、死んでしまったりする人のことを否定したくはありません。
 だけど、私は逃げないこと、生きることを選び続けていきたいです。

 私を産んで育てるために、自分を全部後回しにして暮らしてくれた人がいます。
 その人たちが、すべての面において完璧ではなくても、私はその人たちの努力に感謝して、自分をしあわせな方向に運んであげないといけないような気がしています。

 それは私にも1人だけ大切な子供がいて、その子供がしあわせだと思いながら暮らしてくれるように、自分を全部後回しにして頑張ってきたから、その子供がしあわせだと思える人生を生きて欲しいと思っているからです。

 しあわせだと思いながら感じながら生きて欲しい。

 心からそう思うから、私を育ててくれた人たちもそう思っていると感じて、その人たちの努力に報いるためには、自分がしあわせだと心から思える人生を歩まなくてはいけないし、歩みたいと思うからです。

 疲れて終わっているけれど、だからこそ前向きでいたいと言う気持ちが強くあります。

 父は亡くなってしまったけれど、それでも私のしあわせを願ってくれていると信じています。

 私は一人ぼっちだけど、見えないところで、父も母も私の本当のしあわせを願ってくれていると信じています。

 だから、諦めてはいけないと思います。


 本当に好きな人とずっと一緒にいられるようになりたいし、本当に願っている生活をしたいし、本当に願っている仕事をしたい。

 それを現実にするために、具体的にどうしたらいいのか見えなくなってはいるけれど、それでもそれらを実現するために行動したいと思うのです。

 私の子供にもそれをしてほしい。
 しあわせになってほしいから。

 だからまず自分が具体的にできることをして前に進んで行きます。

 疲れているので、とりあえず寝ます。

 おやすみなさい。

  

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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。

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