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「ショートショート」千年の恋。

「僕の前にいるのが、神様って言うなら、僕の命と引き換えに妻を元気にして頂けませんか?」
 シャボン玉の様に薄くなってしまった妻の命をベットと挟んで僕は神様と向かい合っていた。深々と深く積もる雪の様に柔らかく冷たくなる妻の前で僕は神様に震える声でそう願った。
 妻と僕は虹の掛かる橋の上で恋に落ちた。
 最初は僕から妻を好きになったのだと思っていた。でも、妻は「いえ。私からあなたを好きになったのよ。だからね」っと指で空に掛かる虹をなぞりながら「一緒にこうやって渡っていくの」っと白い息を吐きながらはにかんだ。
 その白い息が妻の魂が体から少しづつ抜けていっている様なそんな切なさを抱えるくらい僕は妻に恋していた。
 僕と妻には子供はいない。作らないのではなくて出来なかった。
 僕が原因だった。僕の体の器官が遺伝子を残すことが出来ない不都合な体をしていたらしく医者からも、うーんっと首を傾げられていた。
 それを聞いても妻は「じゃー。私はあなたからずっと1番を貰えるのね」っとケーキを独り占めできる子供の様に笑っていた。その笑顔で、僕は僕を責めることが出来なった。そんな力が妻にはあった。
 魔法使いはこの世にいるの?それは、どこに?っと僕は何処かの誰かに聞かれたら、ここにっと僕は妻を撫でると思う。そして、その魔法使いは、僕の肩に耳をくっつけて笑っているのだと思う。
 でも、そんな妻は力を使い果たしたのか、はたまた、魔法使いの寿命設計が32年間しかなかったのか、今、僕と多分神様的な何かを挟んで細い息で何とかこの世とあの世の空間を繋ぎ止めている。
 僕の前の神様はそんな妻の顔色と僕の表情を何度も交互に目配せし、口許を緩やかに引き上げ、楽しむ様に微笑んでいる。
「千年」その神様的なそれは僕に金色の瞳を向けそう呟いた。
「この女が寿命を全うした後、千年生きよ。そしたらこの女の寿命をのばそう」
 瞬き一つしないその瞳は、僕の恐怖心の内側をくり抜き、表面に浮き上がらせ悪寒を皮膚に刻みつけた。
 恐怖で硬直した首を縦に2度振ると、目の前存在は妻の耳元に顔をやり、雑音が刻まれた言葉を呟き消えた。
 そして、妻は目を覚ました。次の日には何も無かったかの様に退院した。医者はそれを奇跡と言った。僕は妻と医者も含め、昨日あった事実を話す事はやめておいた。
 きっと妻以外の人は、僕を笑うだろう。異常者だと。そして妻はきっと悲しむに決まっている。何故私のためにって。妻が悲しむ顔は心臓を針で刺される様に痛い。だから、自分の心に鍵掛けて閉まっておくことにした。
 一度、離れてしまうかもしれない経験をした僕達はずっと幸せだった。
 朝、仕事に出掛け、終わって帰り妻と食卓を囲む。そして、本を1冊取り、ベットに入ると同じページを読み同じ物語を共有した。
 妻は読むのが早く、僕が1ページ読み終わり横にいる妻に目配せをすると、いつも僕の瞳を待っていてくれた。
 晴れた休日には近くの川に遊びに行った。
 雨の日は僕は木工細工。妻は刺繍を楽しんだ。
 寒い日は二人でシチューを作り、暑い日は団扇でお互いを仰ぎ合った。
 幸せは常に隣にいた。肩を並べて隣り合っていた。手を伸ばせば届く僕の四方八方を埋め尽くしていた。
 そして、僕達は歳を取った。
 妻のほうれい線は深くなった。
 僕のほうれい線も深くなった。
 妻のおでこにシワが増えた。
 僕のおでこにもシワが増えた。
 妻の腰が曲がって行き、僕の腰も少しばかり曲がった。
 時々、「こんなに歳を取っちゃって」っと妻はシワがよる手を摩りながら言った。
 僕はそんな妻も大好きだった。
 でも、妻は一つづつ、空に大人を返して行った。
 妻は記憶を返して僕を忘れた。
 僕はまだ妻の魅力を知っている。
 妻は体力を返して一人では立てなくなった。
 僕はまだ妻をお姫様抱っこできる。
 妻はオムツが手放せなくなった。
 僕のオツムは妻を手放せないようだ。

 そして、妻と2度目の別れがやって来た。虹の掛かる素敵な日だ。
「あなたに一杯お土産貰ったけど、あの虹渡れるかしら?」 
 最後の最後に空は少しだけ妻の記憶を返してくれた。
「もう行くのかい?もう少しいいじゃないか?」
 僕は少しだけ引き留めてみた。でも駄目だった。
「先に虹の端っこに行って待ってるから、あなたはゆっくりおいでね。そしていっぱい土産話をしてね」
 それを最後に妻は先に虹を渡った。
 僕達は80歳だった。
 僕はこれから後、千年一人で歳を取らなければならない。
 初めの1年は悲しかった。四季を感じれないくらい。でも、妻の思い出が僕を支えてくれた。瞼の裏には妻がいた。耳の中には妻の声がした。妻の愛用していた毛布には香りが残っている。
 毎日妻のお墓に行った。毎日沢山の花を摘み、沢山のご飯を作って一緒に食べた。
 妻の手料理は美味しかった。作り方を教わっていたけれど、同じ味には出来なかった。きっと愛情が入っていたんだと思う。到底敵わなかった。
 毎日毎日お墓に行った。
 毎日毎日行っていると、少しづつ噂が立った。もう、30年毎日行っていたから。
 初めは「いつも来ているんですね。奥様もきっと喜んでいらっしゃいますよ」っと声をかけて来てくれた。
 でも、僕は100歳を越えていた。普通なら亡くなっても良い歳頃だった。でも、まだ僕は亡くなることが出来なかった。
 妻にはまだ会えない。
 段々と周りが僕を好奇な目で見る様になった。当たり前だ。見た目の歳が妻が亡くなってから変わらないのだから。
 僕は、それに耐えれなくなった。
 そして、お墓を掘り起こして、小さな箱になってしまった妻を抱えると、一人山の奥に入って行った。
 僕は小さな洞窟を見つけるとここに住むことにした。家に戻り、最小限の家財道具と妻の写真と妻の使っていた毛布を持ちまた山を登った。
 妻は洞窟の目の前に埋めた。木の板を削り妻の名前を書くとそこに立てた。
 勢いで家を飛び出したけれど、僕はここの生活を気に入った。
 妻と昔読んだ本の中に動物を捕まえる罠の話があったし、休日妻と森に出かけた時によく、この木の実はジャムにしたら美味しいとか、このキノコは毒があるんだからとか、教えてくれたから食には困らなかった。
 洞窟から少し降れば川もあり、そこで洗濯なんかもした。
 僕はここで、残りの人生を生きる事にした。
 朝は木漏れ日に照らされる妻のお墓に挨拶をして、妻に会える日までの日数を洞窟の壁に刻んだ。昼は森の音に耳を傾け、星を観ながら妻の星を探した。
 そして、僕が妻と洞窟に来て、600年が経った。
 妻の使っていた、毛布はボロボロになって土に帰った。
 妻の写真はインクが落ちてただの紙になり、風に飛ばされた。
 僕は妻の温もりを忘れた。
 声を忘れた。
 妻の料理の味を忘れた。
 大事な記憶の中の妻は写真の様に動かなくなった。
 でも、愛している。
 妻はまだ、虹の端で待っててくれているのだろうか?待ちくたびれてないだろうか?
 時々、薄らと浮かぶ虹を眺めては不安が募った。何度か木に輪っかの付いた紐をぶら下げ、眺める事もあった。でも、妻は待っているに決まってる。僕に最後ゆっくりおいでと言ってくれた。妻の悲しむ顔は心臓を針で刺されるよりも痛い。だから、もう少し、僕もここで頑張るっと折れそうな心を奮い立たせた。
 800年が経った。
 もう、記憶の中の妻はどんな人なのか実態として居たのかさえも分からなくなった。僕の気持ちの中で溶けて消えてしまいそうになっていた。
 こんなに長く生きて来て、こんなに深く愛した人は初めてで、こんなに1人の女性から愛されたのも初めて。僕の人生の初めての半分以上を捧げた特別な人。妻に早く逢いたい。

 その日、僕は深々と積もる雪の上で丸まっていた。空には虹の橋が掛かっている。
 目の前には口許を緩め瞬き一つない目で僕を見つめるあの時の神様。
 僕に近寄るでもなく、遠ざかるでもなく、その時が来るのを待つ様に僕から10メートル先の木の影から体を半分だし金色の瞳を僕に向けている。
 不敵な笑みはあの頃と変わらず、本当は神様ではなくて実は死神だったのではないかと思うくらいその姿は不気味だ。
 でも、今の僕には関係がない。妻に逢える。やっとだ。
 もう、声も忘れた。
 匂いも忘れた。
 温もりも忘れた。
 どんな顔かも忘れた。
 でも、僕は妻と言う人を愛している。
 虹の端で僕の事を待っている人がいる。
 だから、僕は約束した通り沢山の土産話を妻にしてあげようと思う。
 何もかも妻の事は忘れた。でも、会えばすぐに分かる。それは自信がある。
 でも、初めは何て言ったらいいんだろうか?ごめんね。は勿論言わなきゃだけど、それよりも僕は言わなきゃいけないことがある。
 久しぶりって言うより、初めましてに近いかもだけど、これは勇気を出して言う事にしよう。
「千年ずっと君の事だけを考えたよって」

おしまい

-tano-


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