ショートショート「卒業アルバム」
私は眠れない夜、いつも引き出しの奥からアルバムを出して眺めている。
1ページ目にはこの世界に入学したての赤ちゃんの写真。そう。これは私だ。ここから私が始まった。
私はお父さんの顔を知らない。ずっとお母さんと暮らしてきた。
2ページ目からはそんなお母さんとの写真が綴られている。
黄色い帽子と青の制服を着た私とお母さん。
大きなピカピカのランドセルを背負った私とお母さん。
中学校の校門前で撮った制服姿の私とお母さん。
高校の校門前で撮った制服姿の私とお母さん。
大学前で撮った私とお母さん。
ウエディングドレスを着た私とお母さん。
私と夫と子供とお母さん。
そして、私とお母さん。
初めて、幼稚園に行った時、私はお母さんと離れるのが、怖くて幼稚園の先生を押し退けて、裸足で仕事に向かうお母さんの背中に飛び付いた。
びっくりしたのか、お母さんは私を抱きかかえると、幼稚園に戻りながら、「聖ちゃんは今から沢山のお友達を作らなきゃ行けないのよ!それにね、お母さんが聖ちゃんを置いて何処かに行くわけがないじゃない。お仕事終わったら新幹線より早く帰って来るからね」っと幼稚園の先生に預けると、大きな手で私の涙と鼻水を拭いてくれた。
お母さんは絶対に約束を守ってくれた。
毎日決まった時間に新幹線より早く来てくれた。そして、私を抱っこすると、幼稚園で習った歌を歌いながら帰った。
お母さんはその時、いつもはぁはぁと息を切らせていた。
私は小学生になった。ピカピカのランドセルを背負い、お母さんと手を繋いで写真を撮った。友達も沢山できた。
でも、私が家に帰ってもお母さんはまだ帰って来ていない。
アパートの廊下の歩く音でお母さんかそうじゃないか分かった。
お母さんの足音がすると、私は玄関でお母さんを出迎えた。お母さんは帰って来ると、夕日よりも眩しい笑顔で私を抱きしめてくれた。
でも、いつも息を切らせていた。
高学年になると、お母さんは夜の仕事も始めた。夕方に帰って来て、私とご飯を食べて、私が眠りにつく頃に出て行った。
羊を沢山数えた。
1000匹数えたら、お母さんは帰って来る。
2000匹数えたら、お母さんは帰って来る。
5000匹数えたら、お母さんは帰って来る。
そして、私はいつの間にか眠っていた。
気づかないうちに私は爪を噛むようになっていた。
噛みすぎて痛くなった時、お母さんは絆創膏を貼ってくれた。「大丈夫よ。絶対帰って来るんだから」お母さんは毎回そう言っていた。
中学校の校門でお母さんと写真を撮った。
お母さんの顔は凄く幸せそうに映っている。
でも、私とお母さんの間には隙間があった。
沢山、お母さんを傷つけた。
でも、嫌いだからじゃなかった。大好きだった。私の心が素直になれなかった。
お母さんに沢山当たった。
沢山酷いことを言った。
台所でお母さんの背中に沢山酷いことを言った。お母さんは息を詰まらせていた。
お母さんを傷つけるのは痛かった。紙で手を切るように、気づいた時に疼いていた。
謝ろうっと一度、お母さんの背中に小さく「ごめん」っと言った。
お母さんは「聖ちゃんが大人になるためには必要な事だから、お母さんは嬉しいよ」って洗い物の手を止め、私の頭を撫でた。疼いた心が軽くなっていた。流石。私のお母さん。
高校の校門前でお母さんと写真を撮った。
中学校の時より距離は離れていなかった。
でも、私は悪さばかりをしてしまった。学校の先生にも見放されていた。
そして、私はやっては行けないことをして、警察に連れて行かれた。万引きだった。
すぐに、お母さんが迎えに来て、そのまま学校に向かった。
担任と生活主任と校長が待っていた。
お母さんは私を迎えに来る前に万引きをしたお店に謝りに行き、警察署に来て、警察官に頭を下げていた。そして、担任と生活主任と校長にも頭を下げてくれた。
「いやね。うちとしても警察沙汰になってしまう様などうしようもない子供は登校させれないんですよ。他の生徒との兼ね合いもありますし」
先生はそう言って見る目が冷たかった。これが嫌だった。人を区別するその目が。だから、私もこんな学校なんてって思っていた。お母さんはずっと謝っていたけれど、先生から発せられた言葉に刃向かった。
「聖子は悪いことをしました。それは親である私の責任です。でも、この子はどうしようもない子ではありません」
これが、初めてお母さんが私のために怒ってくれた日だった。
それから、私は学校を退学になった。
退学通知が家に来た日。
2人でそれを見て申し訳ない気持ちになった。
橋から落ちて大きな海で溺れてる様な感覚にもなった。これからどうしようって。
そんな私にお母さんは「聖子は大丈夫。立派な大人になれるよ」って肩を強く叩いてくれた。私のために朝から夜遅くまで働いてくれているのに。私は申し訳なくなって、初めてお母さんの前で泣いた。
「大丈夫。聖ちゃん大丈夫だからね」
お母さんは私が泣き止むまで離さなかった。
それから、私は新しい高校に受験し入った。
同級生は私の一つ下歳で一年先輩が私と同じ歳だった。
劣等感がないかと言われれば嘘だった。
同級生との距離感が分からなかった。でも、私は友達を作りに来たんじゃない。大学に行く事が目標でまた来たのだ。だから、私は誰よりも勉強した。もうお母さんに心配かけない様に。
大学前で撮った私とお母さん。
私よりお母さんが興奮していた。暴れ出さない様に私はお母さんをギュッと離さなかった。
大学に入ってバイトを始めた。夜のコンビニのバイト。色んなお客さんがいた。夜だから、ナンパしてくるお客さん。態度が悪いお客さん。でも、そんなお客さんも大丈夫だった。お母さんがしていた事だったから。それよりも、私が帰るとお母さんが家にいる。それが嬉しかった。お母さんは私がバイトをはじめたので、夜の仕事を辞めた。これからは、ゆっくりしてほしい。
そして、私は大学を出てネイリストとして働き始めた。大学では保育科専攻なのになぜ?っと聞かれたので、夢ですっと答えた。
その頃に私は将来夫となる人と付き合っていた。お母さんにももちろん伝えた。きゃーっと喜んでくれた。
そして、プロポーズされた。もちろん。っと私はそう返事した。
夫はお母さんに挨拶にやって来た。お母さんは真剣に夫と話した。そして、了承した。
結納式の日、夫の親族をテーブルで挟んで私とお母さん2人。お母さんは夫の親族に向けてこう言った。
「私は聖子が大好きです。だから、この場には相応しくないお言葉がしれませんが、もし、聖子を傷つける様な事をしたら、私はあなた方を絶対に許しません。殺しに行くと思います」
その時、私は息を切らせるお母さんの姿を初めて見た。だから、テーブルの下でお母さんの手をギュッと握った。
ウエディングドレスを着た私とお母さん
28年一緒に住んだ、アパートを出る日、いつもの様に支度をしていると、通帳を手渡してくれた。何?これ?と聞くと、私が産ませた日から毎日100円づつ貯金をしていてくれたものだと手渡してくれた。1039600円入っていた。
いらないって言ってもお母さんは折れなかっただから、私はそれを受け取った。
その2日後、お母さんと結婚式場で再会した。
お母さんは緊張していた。私を見ても緊張している様子だった。だから、私はお母さんと手を繋ぎ写真を撮った。結婚写真を撮る前にお母さんと撮りたかった。
お母さんと離れて暮らすのは寂しかった。
夫と言ったラーメン屋さんが美味しかったから、今度お母さんと来ようとか。一時、私はお母さんの事ばかり考えてた。
そして、私は小さな店を開いた。
子供達が沢山やって来てくれる。
私は100円貰うと、マニュキアで子供の爪を綺麗にしてあけだ。元プロだからって親子で来る人もいた。
時々、爪を噛んじゃった子も来る。
私はそんな子に綺麗な絆創膏を貼ってあげる。
そして、いつも抱きしめて「大丈夫だよ。寂しくないよ。何かあっても、お姉ちゃんが味方だからね」って言っている。
私が、お母さんが夜いなくて、寂しくて爪を噛んでしまった時に絆創膏をお母さんが貼ってくれたから。私もお母さんの真似をしている。
私と夫と子供とお母さん
お母さんは体を崩して入院してしまった。ガンだった。気付いたら頃にはもう手遅れだった。そのタイミングで私は夫との間に子供を授かっていた。「おばーちゃんですよ」っとヒカルをお母さんに手渡すとすっぽりとお母さんの腕の中に収まった。どっちがお母さんなのかわからないみたいだねっと夫は帰りの車で言った。
私とお母さん
お母さんの息は細かった。
お母さんも分かっていた。
最後の力を振り絞ってお母さんは私の横に座った。そして、泣きじゃくる私の頭に手を乗せ「大丈夫。大丈夫」っと何度も頭を撫でてくれた。
「聖ちゃんは優しい子。立派な大人。私の宝物」
そして、私とお母さんは写真を撮った。
私は涙を拭きながら、写真を取り出し裏に書いてあるお母さんのメモをみる。
保育器卒業おめでとう。
赤ちゃん卒業おめでとう。
幼稚園卒業おめでとう。
小学校卒業おめでとう。
中学校卒業おめでとう。
高校卒業おめでとう。
大学卒業おめでとう。
子供卒業おめでとう。
お母さんって呼ぶ事から卒業おめでとう。
お母さんから卒業おめでとう。
このアルバムは眠れない時に見ている。
お母さんに会いたくなった時。
羊を数えてもお母さんは迎えに来ない。
爪を噛んでもお母さんは来ない。
……私は、まだまだお母さんから卒業できそうにないや。
おしまい
-tano-