ハマの生き証人 「横浜開港記念会館」
横浜に行ったことがある人なら
おそらく見ているはず!
どこからでも見える時計台が
ランドマークになっている「横浜開港記念会館」
以前に大阪の中央公会堂の記事を書いたので
こっちの横浜開港記念会館も紹介しなくては!
と思ったのでさっそく紹介していきます!
西の中央公会堂、東の開港記念会館
横浜開港記念会館は
大正7年(1918)に横浜港の開港50周年を
記念して建てられました。
大阪の中央公会堂と造られた時期や
工事費が市民からの寄付であること
デザイン案がコンペで選ばれたこと
などが共通しているため
大正期の2大公会堂建築と言われています。
赤レンガに白い花崗岩のラインが映え
屋根にはドーム型の冠が乗る
東京駅のような外観。
(このような外観を「辰野式」と言います)
一番の特徴である時計塔は
高さ約36メートルもあります!
登ることはできませんが
階段の凝ったデザインも見どころです!
2度の悲劇
建物が完成した大正7年の5年後
なんと関東大震災が起きます。
せっかく建てたのにーっっ!!😱
建物は時計塔と一部を残して
全て消失してしまいましたが
その後
耐震補強し屋根のドームを除いて
復元されました。
復元できた!やれやれ・・・
と思っていたら
今度は昭和20年の横浜大空襲。
被災者30万人以上の被害が出ましたが
なんと奇跡的に建物は無事でした。
同じ年、終戦をむかえ
建物は米軍に接収されますが
開港100周年の昭和35年に返還。
その後、昭和60年に
創建時の設計図が発見され
平成元年に元の姿(ドーム屋根が復元)
になりました。
ステンドグラス
空襲の被害を受けなかったため
横浜の歴史を伝える
ステンドグラスが残っています!
中央上のステンドグラスには
横浜の「ハマ」をモチーフにしたマークが
描かれています。
わかりますか?
わかった人ー?✋
3日考えても分からない方は
コメントください😄
そして両側には
当時の横浜の様子が描かれていますが
注目は右側!
よく見ると
籠に乗っているのは外国人。
海外との交流が盛んな
横浜らしい風景です!
こちらは別の場所のステンドグラス。
モチーフは「ペリー来航の黒船」
戦時中は敵国の船だからと
幕で覆われていました。
終戦後、米軍が接収した時
敵国のモチーフなのに壊すことなく残していた
ことにとても驚いたそうです。
モチーフが何であれ
壊すのが惜しいと思うほどの
作品であることは
間違い無いでしょう。
建っている歴史書
建物の歴史を知ることは
その土地の歴史を知ることなんだなと
常日頃から感じています。
その建物が造られた理由や
当時そこであった出来事
関わった人々の思いなどなど
でもそれは
建物が残っているからわかることであって
取り壊されていたら
何も知ることなく過ぎていく。
特に歴史の授業中何も話を聞いてなかった
私のような人間には届きません😅
そう思うと
この横浜開港記念会館のような建物は
ただそこにあるだけで
横浜という都市が
どのように現在まで変化してきたかを
知ることができる
貴重な存在なんだなと思います!
未来永劫ずっと
地域の人々に愛されて
残される歴史が続きますように!!
Information
今現在、休館中ですが
4月から見学できるようになります!
実際に訪れて
「ハマ」のマークの答え合わせをしてみては?
ここまで読んでいただき
ありがとうございました!
また次の記事も読んでもらえると
野山を駆け回って喜びます😆
それではまた〜
この記事が参加している募集
サポートしていただけたら飛び上がって喜びます! いただいたサポートは建物探訪の交通費として使わせていただきます!