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褐色細胞腫闘病記 第41回「アメリカンブルー」

え…今更再発って…13年も経って?

そうだった。その時の私は、この病気がそういう特徴のある病気だということをすっかり忘れ切っていた。それほど油断していた。

「でも、4カ月前のCTの結果ではなんともなかったですよね」
にわかに信じがたい私は、怒りすら覚えながら目の前の自分の肝臓の画像を見る。そうだなあ。確かに肝臓の一部が白く抜けているなあ。しかもずいぶんハッキリとした影だこと。

レポートには読影医のコメントが添えられている。
【悪性褐色細胞腫の術後。肝臓と大腸を繋ぐ門脈付近に3.5ミリの再発がみられる。その他にも3カ所1センチ未満の転移性肝がんが認められる】
な~にが「認められる」だよ。急に何言ってんだ。私はだんだん腹が立ってくる。

佐々木先生がさっきからずっとCTの画像を見ている。
そしてパソコンの画像から目を離さずにゆっくりと口を開く。
「三島さん、前回の結果と比較すると、明らかに数カ月で一気に見えてきたって感じなんですよね」
わかってるがな。
そうだよな、そういう病気だったよな。
私は徐々に同病者のそんな声を思い出す。でも自分にもこんなにピタリと当てはまってしまうなんて。
信じたくない。信じられない。

「褐色細胞腫は10年以上経過しての再発というパターンが多い特殊な癌ですが、今回の腫瘍は非常に進行が速い可能性が高いです。一刻も早く治療しないといけません。どうしましょう、抗がん剤を使った治療という選択肢もありますが」

この病気の抗がん剤治療というと、CVD治療だ。
でも、これほどハッキリ見えている腫瘍なら外科的手術のほうが確実ではないだろうか。
「先生、私は手術を希望します。この病気の第一選択は手術ですから、できれば摘出していただきたいです」
私は芳河さんの「切れる場所があるなんて幸せよ」という言葉を思い出していた。そう、ここは確かにに「切れる場所」じゃないか。

佐々木先生が目を閉じる。
「う~ん…それがですねえ…」
しばしの沈黙。いったいここへ来て何を躊躇するというのだろう。

「肝臓は再生する臓器なので摘出しても大丈夫なんですが、もう三島さんは以前何度か肝臓を切っていますので、いわばフレッシュな肝臓ではないんです。ですから再生能力も落ちている。そして、今回、かなり腸に近いところに腫瘍があって、大切な門脈という血管を巻き込んでいます。これを繋げるのは高度な技術が必要です」

えっ、ここにそれをできる医師はいないのということだろうか。
「佐々木先生にオペをお願いすることはできないのでしょうか」
私は単刀直入に尋ねる。
回りくどい言い方をしても話が遠回りになるだけだからだ。

「僕は移植が専門でしてね。肝臓全部を入れ替えることはとても得意だけれど、血管を巻き込んだ腫瘍を部分切除して繋げるオペは、僕よりもっと慣れている技術の高い先生がいます。その先生に依頼します」
そんな医師がこの病院にいるのだろうか。一抹の不安を覚える。
セカンドオピニオンを考えたほうがいいのだろうか。

家に帰って母と野乃子に再発を打ち明けた。
家族も「なんで今頃」という反応だった。母は「何かの間違いじゃないのかい。他の病院に行ってみたら」と診断結果を疑っていたし、病気の詳細を伝えてこなかった野乃子に至っては「今までも頑張って手術して治って来たんだし、今度もきっと大丈夫だよ」と明るい笑顔を返してくる。

さすがにその頃になると検索すれば多くの褐色細胞腫の情報が得られるようになっていた。しかも正確で専門的な情報も多い。同病の方のブログもたくさん見つかった。
ただ、私ほどオペを繰り返している褐色細胞腫の患者さんは見つからなかった。私はどうしても今回は同じ病気の人の意見が聞きたかった。だがなかなか【褐色細胞腫の会】のメンバーにさえも同じ経過をたどっている人は少なく、相談できる人がいなかった。
一方で、褐色細胞腫の研究は進み、専門医と言われる医師が各地におられるようになっていた。
特に東京のK病院の田辺医師は有名らしかった。
一度、他の先生の意見も聞いてみようか。

私はセカンドオビニオンを受けにはるばる田辺医師に会いに行った。
とても柔らかな印象の、でもとてもテキパキとした医師だった。褐色細胞腫の研究の第一人者で、全国から田辺先生を頼ってやってくる。
だが、4回成功してこうして生き永らえてきた私に、今更田辺医師が他の治療法を提案することはなかった。手術が可能なら手術が一番です、と背中を押され、私は5回目の手術を受けることに決めた。

13年ぶりに入院した。
そして手術を担当してくれる医師に初めて会った。
「は、は、はじめまして。担当の崎森です」
さきもり? どっかで聞いたことがあるな。それにしてもなんて頼りない風貌の人だろう。目も合わせず、体がゆらゆら揺れてオドオドしている。若いのか年配なのかもよくわからない。
本当にこの人、大丈夫なんだろうか。
不安に包まれた私はつい「大丈夫ですか」と訊きそうになってしまうが、さすがにそれは言えない。

「僕、実は野乃子ちゃんの同級生の桃花の伯父です。崎森こずえ、ご存じですよね」
えーーーっ!?
嘘っ!  そういえばこずえさんの旦那様にはお兄さんが二人いてしかも同居していると聞いたことがあるな。ということはこの方はこずえさんや桃花ちゃんと同居してるのか。
「いえ、今は家を出て病院の近くに所帯を構えています。でも桃花から野乃子ちゃんの話はずっと良く聞いていましたよ」
一気に安心する。彼女の親類ならきっと信頼できる方に違いない。
こずえさんとは今でもずっと親交がある。良識があり優しくてとても素敵な女性だ。だが、身近に医師がいるという話は聞いたことがなかった。私も彼女も必要以上に互いのプライバシーに踏み込まなかったということが大きいだろう。

術前の説明には妹だけを呼んだ。
妹の玲衣子は遠くから崎森先生の風貌を見て「え、大丈夫なのあの人」と言って、スマホで検索する。
すると「東京大学医学部卒業」のプロフィールと共に、彼の書いた実に充実した医学論文が検索結果にずらっと並ぶ。私は面食らう。これは、もしかしてすごい先生なんじゃないか?
「なんか、いろんな病院にヘルプとして呼ばれてる凄腕の先生みたいよ」玲衣子が検索結果を見て興奮している。
え、こんなに素晴らしい実績があって、なんであんなに威張らないの。なんでこんなに頼りないの。

手術説明室に入り、崎森先生が自己紹介する。どうやらオペの直後らしく、若干フラフラしている。
「先生、なんのオペだったんですか?」
興味本位で私が尋ねる。
「膵臓癌の、…ぁっ、守秘義務があるので言えませんっ!」
その様子を見て玲衣子がクスっと笑う。
「では、手術の手順をご説明します」
「先生、褐色細胞腫のオペは何人目ですか?」妹が意地悪な口調で尋ねる。
するとすかさず「良性3人、悪性は今まで1人です」と答える。
おお、経験があるのか。一気に頼もしく見えるから私も現金なものだ。
「でも三島さんのようなたくさんの手術をしてきた人は初めてです。癒着を剥がすのに10時間はかかると思います。難手術です」
えっ、10時間ですか。先生大丈夫ですか、と私は自分のことより先生の体力を心配する。
「術後の痛みが何より見ていられません。痛みを最大限に取っていただきたいです」玲衣子が切々と訴える。

「そうですよね、僕はたくさんの手術をしてきましたけど、自分では虫垂炎の手術も経験していません。だから患者さんの痛みが本当にはわからないんです。だからこそ、術後のケアを大切にしようと常々思っています」
小さいけれど、はっきりとした声で妹に応える。

かつてあれほど尊大だった北野医師のひどい扱いを受けた私にとって、この謙虚で慎ましい態度の崎森医師は好感が持てるし信頼ができる。
芳醇な香りを放つ派手派手しい蘭や薔薇の花もそれはそれで素敵だけれど、香りもない、花弁も小さい、だけどとても深い青色を湛え、慎ましく雨に耐えるアメリカンブルーの花。
崎森先生は、そんなアメリカンブルーの青の凛を連想させる。私はこの花がとても好きだ。きっとオペ室に入ると別人になり、キリキリとリーダーシップを発揮するタイプなんだろう。
私は信じる。崎森医師を。
そして、私自身をも、信じるんだ。

今まで通り私はきっとこの手術を乗り越えて、また生きて見せる。

必ず、生きて見せる。


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