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映画レビュー『正欲』 監督 岸 善幸
私の小中の同級生にグレースケリーがいる。
彼女は農家の四姉妹の長女。中学の頃からずっと仲良しだった。みっちゃんと呼ばれている彼女はいつも母親に切ってもらった散切りヘアで、いつもどことなく埃っぽく、前歯は虫歯で黒く、着ているものは母親が作った、なんだかよくわからない色合いの水玉のシャツやスカートだった。どこにでもいる田舎の農家の子。
だが、彼女の顔。
彼女の類まれな美貌は狭い田舎にはあるまじきものだった。グレースケリーにそっくりな目鼻立ち。長くて濃い睫毛と日本人離れした美しい鼻筋。少ししゃくれた顎と薄い唇。
だが、不思議なことに誰一人として彼女の美貌に気付かない。綺麗な顔に憧れを抱く思春期の私には、みっちゃんの無頓着が、そして何より周りの無理解がどうしても納得しがたく、不可解でしかなかった。
「みっちゃんってすごい美人だよね」と言うと私が皆に笑われる始末。
いつしか私はその話題は避けるようになった。
時が経ち、二十歳の時の同窓会でみっちゃんに会った。相変わらずものすごくダサい。化粧もロクにしていない。髪型もなんだかよくわからない。なんなんその服はどこで売ってるの。
だけど顔は相変わらずグレースケリーだ。
同級生の男子がポツリと言った。
「俺昔から思ってたけどさぁ、みっちゃんってすげー美人だよな。だけどなんであんなに地味で目立たないのかな…もったいない」
嬉しかった。私と同じことを思っている人がいたんじゃないか。
私は好意でそのままをみっちゃんに伝えた。でも彼女はこう言ったのだ。
「ありがとう。お世辞でもうれしい」
みっちゃんはそう言いながらも、口は笑っているが目が笑っていない。
微塵も嬉しそうに見えないみっちゃんに、私は「どうしてもっと素材を生かしたメイクをしないの」と、とても失礼なことを言いまくってしまった。彼女は下を向いてただひたすら薄く笑っていた。
おっと、随分と前置きが長くなってしまった。
この映画に出てくる新垣結衣を見て最初に思い出したのが、かつての同級生「みっちゃん」だった。とにかく驚いた。だって、新垣結衣が、新垣結衣であって新垣結衣でないのだから。
新垣結衣がフェティシズムの混沌を抱えて生きづらさを演じるという前情報を耳にしたとき、正直「あんな清楚で爽やかな正統派美人に ”倒錯の苦悩や複雑性” を表現できるわけないやん」と頭から否定していた。石原さとみの『ミッシング』で失望していた私は、「美人女優」は所詮そのガワを脱ぐことなど無理なのでは、と思っていたところもあった。まあ、ぶっちゃけこれは甚だしい偏見ではあった。そして半ば揶揄するのを目的で見始めたといっても過言ではない。
しかし、私の意地悪な目算は容易に微塵に砕かれた。
もう、彼女の佇まいから一瞬で「屈折」が読み取れる。立ち姿だけでも「美人」の匂いなどどこからも漂わない。まず目に光がない。口元だけでボソボソは話す覇気のない声色と薄いオーラ。これだけ顔が整っているのに、美しいという形容詞が全く心に浮かばない。正直、これほどまでに陰惨陰鬱を体全体で表現できる女優だったっけと思いながら、私はどんどん彼女の演技に引き込まれていった。
監督が彼女の陰の部分を引き出すのが上手いというのもあるだろう。緊張感のあるカメラワークと闇と光の色のバランス、すべてが計算しつくされている。脚本もいい。間違いなく彼女の新しい世界を拓いた作品だと思う。
水へのフェティシズムを抱えて生きづらさを持て余す彼女と、同じフェティシスト役の磯村勇人も上手い。別作品『渇水』では皮肉にも水を止める水道局員役だったのは妙に可笑しいが、彼の特筆すべきところは演技に仰々しさがないところだ。どんな役を演じさせても器用にこなすが、悪目立ちは決してしない。どこか観る者に余白を持たせてくれるのである。この若さでそれができる俳優はあまりいない。
そして、稲垣吾郎は融通の利かない堅物を演じさせたら右に出るものはいないのではないか。これもハマり役である。
それと、幼少時に家族から性虐待を受け、男性に対してトラウマを抱える役を演じた東野絢香さん、映画初出演だというが非常に良かった。今後も注目したい。
『渇水』と比較してナンだが、この作品では同じ水を描写する場面でも水の声、色、匂い、そして水への欲望すら理解できそうなくらい、水の動き自体が官能的に映るのは驚きであった。男女の絡みなど一切なくても、観ているこちら側の琴線が揺らされる。
比して、劇中で二人が疑似セックスを試すシーンがあるが、ベッドで絡む様子を見てもおおよそ官能からは一番遠く、むしろ微笑ましい。この辺の対比が非常に上手い。
キャストの素晴らしさに目が行きがちであるが、この映画自体、とても質が良い。原作は未読だが、原作とどう変えてあるのか読んでみたい。
さて、冒頭に書いた「みっちゃん」であるが、一昨年同窓会で再び会ったとき、こう言われた。
「私を美人って言ってくれてありがとう。でも私ね、化粧が嫌いなの。オシャレが嫌いなのよ。だからどうしていいかわからなくて」
そうか、ごめんね、と言いながら、何故嫌いなのとは最後まで訊けなかった。
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