林忠彦(著)『写真集・文士の時代』を読む。
(2019年1月に書いた文章です。)
もう平成も終わり。 大正生まれの人たちは百歳になろうとしている。 言葉は時代とともに変化する。「文士」という言葉を使う人はもういない。また、この写真集の作者、の名前も知らないだろう。作者が「あとがき」に書いたアプレゲールという言葉は辞書を引かないと意味さえわからない。
アプレゲールとは戦後価値観が完全に崩壊したことにより、既存の概念を打ち破る無軌道な行動をする若者たちのことだ。アプレな作者は太宰治や坂口安吾。アプレを無頼派とするなら、高見順や壇一雄もこの分類に入るだろ。とにかく平成が終わろうとしている現代では、もう七十年も前の人たちの顔がこの写真集に載っている。この写真集には本人の顔だけでなく、文士のエピソードも書いてあるので読んでいて面白い。
まず気づいたのは気難しいであろう文士の皆さんが、積極的か仕方がないかはともかく、林忠彦カメラマンの前に顔をさらけ出していることである。
開高健などは例の満足そうな笑顔であり、大江健三郎の笑顔も初めて見た。佐藤春夫は家の奥の神棚の前に座っているような写真だ。佐藤春夫のエピソードは写真家らしい文章だ。
小林秀雄はまるで現代の実業家のように堂々としている。あの大作家、武田泰淳は常に伏し目がちで、顔を上げなかったという。
『火宅の人』を書き、(私からすると)火宅の人そのものである壇一雄が、托鉢坊主の姿で笑っているのは何とも言いようがない。よくよく罪作りな人だと私は思うが、この人が皆から愛されているのだなとエピソードを読むとわかる。道徳などその人の評価には必要ないのかしら… … 。
眉間に皺を寄せて、一番難しそうな顔してるのは高見順。最後の文士だと書いてある。私はこの人の文章が好きなんだが、こんなに難しい人だとは知らなかった。この人も皆から好かれた。この気難しい顔でだ。
この写真集で特別有名な写真が、太宰治だ。この写真を撮った時のエピソードが書いてある。みんなが知っている写真です。
その次のページの田中英光という文士は初めて知った。二十四歳の時に太宰治から見出され、熱狂的に太宰に師事した。林忠彦は田中から「太宰治と同じ場所で同じ写真を撮ってくれ」と注文を受けた。林忠彦は何か感じるものがあったのだろう、別の同じ雰囲気のカウンターで、右足を上げた太宰治と同じポーズの写真を撮った。それから間もなく田中秀光は、太宰治の墓の前で睡眠薬300錠と焼酎一升を飲んで、左手首をカミソリで切って自殺した。酒は一滴も飲めなかったという。
田中英光の「さようなら」という小説を読んでいる。死ぬ四カ月前に書いた作品だ。
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