樋口一葉に割かれているページは他の作家に比較してかなり多く、注目すべきところが多いので何回かに分けたいと思います。
今回はその第1回として、一葉に歌を教えた人物として「一葉の教育 和田重雄と中島歌子」と題したいところだったのですが、和田重雄で思わぬ長さになってしまったため、とりあえず今回は和田重雄について、まだ推測の域を出ないながら書いてみます。
この本には、一葉の教育については小学校の頃からかなり細かく記載されていますが、そこに登場する人脈には小中村清矩や谷崎家周辺と通じるものを見ることができます。
和田重雄については次のような履歴書とその後の辞職願が掲載されています。
この後明治十五年にいたって、次の辞職願を提出しています。
この本に登場する作家に共通する地名として「芝」を挙げてきましたが、「芝大神宮はいわゆる尊王教化の大本山として威令を発していたところであり」というところで合点が行きました。ここがこの本に登場する作家たちの親族が集結したところと思われます。七軒町(江戸切絵図が開きます)は『小中村清矩日記』にたびたび登場する、親族が住む地域です。芝高輪地域(江戸切絵図が開きます)には有馬家の屋敷が3個所もあるのも目を引きます。
それから、八丁堀も興味深いです。谷崎が幼少時代に住んだ南茅場町、祖父の父が酒屋をしていた富島町、渋沢ビルの連なるところ、谷崎の伯母が結婚する時にその結婚相手に与えられた真鶴館が集まる地域(江戸切絵図が開きます)です。
この地域については、東京と印刷工業組合日本橋支部のサイトに日本橋❝町❞物語~江戸・明治から平成の歴史~というページがありました。とても勉強になります。
また、和田姓と清三郎という通称も興味深いです。
細君譲渡事件で佐藤春夫に譲る前に千代夫人を譲るはずだった和田六郎(後の大坪砂男)の父が和田維四郎という人なのですが、さらにその父の和田耘甫について、Wikipediaでは次のように書かれています。
小浜藩酒井家! 紅葉が住んでいた牛込矢来町等、泉鏡花のところで触れています。
長谷川姓だったのですね。長谷川姓で清三郎という名前ならば谷崎の母の弟にいます。生まれた年が大きく異なりますので当然別人ですが、これは興味深いものがあります。
さらに親族の中でも興味深い人物が見られますので挙げてみます。
和田義比 綱四郎の兄。工部省の官僚で歌人です。朧月集という歌集があり、その子供の和田義正が出版しています。
和田信二郎 維四郎の甥、つまり大坪砂男の従兄。この方は小中村清矩と國學院、古事類苑で接点があります。
和田義正 上記の『朧月集』の出版の他、下記の情報を見つけました。
岡山アーカイブ5(PDFです)
目次だけ確認していますが、明治の書簡のところに書簡が8通掲載されています。
まだまだ調べなくてはならないところがありますが、次に引用する谷崎終平著『懐しき人々』の記述で見えるような必然的な出会いからも、和田重雄という人物はそのあたりに繋がるのではないかと考えています。
『夢の浮橋』に登場させる予定だった作品名が出てきますね。伊吹和子著『われよりほかに』では、そこで糺という主人公が読むには『罪と罰』では暗すぎるからと『アンナ・カレーニナ』になったわけですが(そのため、武が遣られたところは黒田村だけではだめで、黒田村の芹生(せりょう)でなくてはなりません)。『大坪砂男全集』の月報もチェックしないといけませんね。調べてみたら、何と渋沢竜彦, 都筑道夫 編集となっています。渋沢龍彦についてはWikipediaで次のように書かれています。
ここに、『夢の浮橋』の一節を引用します。
都筑道夫についてはこれまでもtwitter等で触れています。この一事で「チェックしないと」から「必読」となりました。