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小栗風葉著『深川女房』

石川悌二著『近代作家の基礎的研究』が終わったところで、今回は短い作品をご紹介したいと思います。青空文庫にもある小栗風葉著『深川女房』です。


小栗風葉とは

小栗風葉は、尾崎紅葉門人で硯友社に参加していた作家です。その立場は泉鏡花と谷崎のところで引用した

夜、風葉を招き、相率て鏡花を訪ふ(匿妓を家に入れしを知り、異見の為に趣く)、彼秘して実を吐かず、怒り帰る、十時風葉来る。右の件に付再人を遣し、鏡花兄弟を枕頭に招き折檻す、十二時放ち還す。

石川悌二著『近代作家の基礎的研究』掲載の尾崎紅葉の日記

に現れています。入門時期は鏡花が明治24年に対して風葉が明治25年と1年遅く、作品も鏡花の『外科室』が明治28年に対して風葉の『寝白粉』が明治29年なのですが、港区ゆかりの人物データベースを見ると次のように書かれています。

明治25年(1892)に上京し、尾崎紅葉に弟子入り。当時の紅葉は大変な流行作家で門弟は200人にも達していましたが、その中でも風葉は泉鏡花、徳田秋声、柳川春葉とともに紅葉門下の四天王と呼ばれました。明治28年に紅葉の発表した『青葡萄』の主人公は風葉がモデルになっており、青ブドウを食べて疑似コレラになった風葉を懸命に看病した紅葉の様子が偲ばれます。風葉は紅葉の死によって未完となっていた『金色夜叉』を補筆し、明治42年(1909)に『金色夜叉終編』を出版しています。

港区ゆかりの人物データベース

紅葉に可愛がられていた様子が見えます。

『青春物語』に登場

谷崎の『青春物語』には、風葉が次のように登場します。

私が今でも感謝してゐるのは、一高時代の同窓に岸巌と云ふ男があつて、彼がしば/\私を激励してくれた一事である。此の男は杉田直樹君や私と一緒に一高の文藝部委員をしたことがあり、帝大の政治科を出てから暫く東京日日の記者を勤め、後に朝鮮銀行に転じて現に平壌の支店長をしてゐるが、彼は元来新聞記者として成功すべき素質を持つた、筆力、弁力、併せ備へた俊才であつた。そして私の試作的に書いたものを一々丁寧に読んでくれて、「兎に角君は小栗風葉ぐらゐにはなれるよ」と云つてくれた。私は彼の批評眼を頼んでゐたゞけに、此の言葉は実に非常な力になつた。今朝鮮にゐる岸は、もうそんなことを覚えてもゐないであらうが、此の一言は私に唯一の光明を与へた。私は此の、「小栗風葉ぐらゐ」と云ふ彼の評価をその後も始終忘れずにゐて、「あゝ、ほんたうにさうなれるかなあ」と思ひながらも、それだけを頼みの綱にしてゐた。

青空文庫 谷崎潤一郎著『青春物語』

『青春物語』というタイトルには、そのままの意味もありますが風葉の代表作『青春』に掛けているものと考えています。というのは、谷崎は『文壇昔ばなし』江見水蔭に触れているのですが、江見水蔭の自伝に『自己中心 明治文壇史』があるからです。

『文壇昔ばなし』から該当個所を引いてみましょう。

『少年世界』の愛読者であった私は、小波山人と共に江見水蔭が好きであったが、この人には遂に会う機会を逸した。小波山人が死ぬ時、「江見、己は先に行くよ」といったという話を聞いているから、当時水蔭はまだ生きていたはずなので、会って置けばよかったといまだにそう思う。小栗風葉にもたった一遍、中央公論社がまだ本郷西片町の麻田氏の家の二階にあった時分、滝田樗陰に引き合わされてほんの二、三十分談話を交した。露伴、藤村、鏡花、秋声等、昭和時代まで生存していた諸作家は別として、僅かに一、二回の面識があった人々は、この外に鴎外、敏、魯庵、天外、泡鳴、青果、武郎くらいなものである。漱石が一高の英語を教えていた時分、英法科に籍を置いていた私は廊下や校庭で行き逢うたびにお時儀をした覚えがあるが、漱石は私の級を受け持ってくれなかったので、残念ながら謦咳に接する折がなかった。私が帝大生であった時分、電車は本郷三丁目の角、「かねやす」の所までしか行かなかったので、漱石はあすこからいつも人力車に乗っていたが、リュウとした対の大嶋の和服で、青木堂の前で俥を止めて葉巻などを買っていた姿が、今も私の眼底にある。まだ漱石が朝日新聞に入社する前のことで、大学の先生にしては贅沢なものだと、よくそう思い思いした。

青空文庫 谷崎潤一郎著『文壇昔ばなし』

以前、東京では谷崎と漱石の接点がと石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(2)―夏目漱石と谷崎で書きましたが、挨拶はしていましたね。江見水蔭については谷崎関連でかねてからチェックしていたので、『文壇昔ばなし』で名前を見つけた時は「ムムッ」と思いました。

『深川女房』を取り上げるわけ

前置きが長くなりましたが、この作品をなぜこのマガジンで取り上げるのかですが、谷崎の特に『猫と庄造と二人のをんな』『細雪』をはじめとした関西移住後の作品に『深川女房』の手法の影響がかなり見えるからです。どのように影響しているか、あまり注釈を付けずにいくつか引用してみましょう。
まずは冒頭から。トップ画像(出典:国土地理院)を見ながらご覧ください。作品の舞台を谷崎が生まれ育った地域を含めて切り出しています。

 深川八幡前の小奇麗な鳥屋の二階に、間鴨か何かをジワジワ言わせながら、水昆炉を真中に男女の差向い。男は色の黒い苦み走った、骨組の岩畳な二十七八の若者で、花色裏の盲縞の着物に、同じ盲縞の羽織の襟を洩れて、印譜散らしの渋い緞子の裏、一本筋の幅の詰まった紺博多の帯に鉄鎖を絡ませて、胡座を掻いた虚脛の溢み出るのを気にしては、着物の裾でくるみくるみ喋っている。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

「九さ、たまらねえじゃねえか、来年はもう三十面下げるんだ。お光さんは今年三だね?」
「ええ、よく覚えててね」と女はニッコリする。
「そりゃ覚えてなくって!」と男もニッコリしたが、「何なんしろまあいいとこで出逢であったよ、やっぱり八幡様のお引合せとでも言うんだろう。実はね、横浜はまからこちらへ来るとすぐ佃へ行って、お光さんの元の家を訪ねたんだ。すると、とうにもうどこへか行ってしまって、隣近所でも分らないと言うものだから、俺はどんなにガッカリしたか知れやしねえ」
「私ゃまた、鳥居のところでお光さんお光さんて呼ぶから、誰かと思ってヒョイと振り返って見ると、金さんだもの、本当にびっくらしたわ。一体まあ東京を経ってから今日までどうしておいでだったの?」
「さあ、いろいろ談はなせば長いけれど……あれからすぐ船へ乗り込んで横浜を出て、翌年の春から夏へ、主に朝鮮の周囲で膃肭獣を逐っていたのさ。ところが、あの年は馬鹿にまた猟がなくて、これじゃとてもしようがないからというので、船長始め皆が相談の上、一番度胸を据えて露西亜の方へ密猟と出かけたんだ。すると、運の悪い時は悪いもので、コマンドルスキーというとこでバッタリ出合でッくわしたのが向うの軍艦! こっちはただの帆前船で、逃げも手向いも出来たものじゃねえ、いきなり船は抑えられてしまうし、乗ってる者は残らず珠数繋ぎにされて、向うの政府の猟船が出張って来るまで、そこの土人へ一同お預けさ」

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

「私?」女はちょっと言い渋ったが、「今いるとこはやっぱり深川なの」
「深川は分ってるが、町は?」
「町は清住町、永代のじき傍さ」
「そうか、永代の傍で清住町というんだね、遊びに行くよ。番地は何番地だい?」
「清住町の二十四番地。吉田って聞きゃじき分るわ」
「吉田? 何だい、その吉田てえのは?」
「私の亭主の苗字さ」と言って、女は無理に笑顔を作る。
「え!?」と男は思わず目を見張って顔を見つめたが、苦笑いをして、「笑談だろう?」
「あら、本当だよ。去年の秋嫁づいて……金さんも知っておいでだろう、以前やっぱり佃にいた魚屋の吉新、吉田新造って……」
「吉田新造! 知ってるとも。じゃお光さん、本当かい?」
「はあ」と術なげに頷く。
「ふむ!」とばかり、男は酔いも何も醒め果ててしまったような顔をして、両手を組んで差し俯むいたまま辞もない。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

清住町二十四番地と書かれていますが、永代橋の傍とも書かれています。

 男はわざと元気よく、「そんなら俺も安心だ、お前とこの新さんとはまんざら知らねえ中でもねえし、これを縁に一層また近しくもしてもらおう。知っての通り、俺も親内と言っちゃ一人もねえのだから、どうかまあ親類付合いというようなことにね……そこで、改めて一つ上げよう」
 差さるる盃を女は黙って受けたが、一口附けると下に置いて、口元を襦袢の袖で拭ぬぐいながら、「金さん、一つ相談があるが聞いておくれでないか?」
「ひどく改まったね。何だい、相談てえのは?」
「ほかではないがね、お前さんに一人お上さんを取り持とうと思うんだが……」
「女房を? そうさね……何だか異りきに聞えるじゃねえか、早く一人押ッ付けなきゃ寝覚めが悪いとでも言うのかい?」
「おや、とんだ廻り気さ。私はね、お前さんが親類付合いとお言いだったから、それからふと考えたんだが……お前さんだってどうせ貰わなきゃならないんだから、一人よさそうなのを世話して上げたら私たちが仲人というので、この後も何ぞにつけ相談対手にもなれようと思って、それで私はそう言って見たんだが……どうだね、私たちの仲人じゃ気に入らないかね?」
「なに、そんなことはねえ、新さんとお光さんの仲人なら俺にゃ過ぎてらあ。だが、仲人はいいが……」と言い半さして、そのまま伏目になって黙ってしまう。
「仲人はいいが、どうしたのさ?」
 男は目を輝かせながら、「どうだろう? お光さん」
「え?」
「せめてお光さんの影法師ぐらいのがあるだろうか?」
「何だね、この人は! 私ゃ真面目で談はなしてるんだよ」
「俺も真面目さ」

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

 永代橋傍の清住町というちょっとした町に、代物の新しいのと上さんの世辞のよいのとで、その界隈に知られた吉新という魚屋がある。元は佃島の者で、ここへ引っ越して来てからまだ二年ばかりにもならぬのであるが、近ごろメッキリ得意も附いて、近辺の大店向きやお屋敷方へも手広く出入りをするので、町内の同業者からはとんだ商売敵にされて、何のあいつが吉新なものか、煮ても焼いても食えねえ悪新だなぞと蔭口を叩く者もある。
 けれど、その実吉新の主の新造というのは、そんな悪でもなければ善人でもない平凡な商人で、わずかの間にそうして店をし出したのも、単に資本もとでが充分なという点と、それに連れてよそよりは代物をよく値を安くしたからに過ぎぬので、親父おやじは新五郎といって、今でもやっぱり佃島に同じ吉新という名で魚屋をしていて、これは佃での大店である。
 で、店は繁昌するし、後立てはシッカリしているし、おまけに上さんは美しいし、このまま行けば天下泰平吉新万歳であるが、さてどうも娑婆のことはそう一から十まで註文通りには填まらぬもので、この二三箇月前から主はブラブラ病いついて、最初は医者も流行感冒の重いくらいに見立てていたのが、近ごろようよう腎臓病と分った。もっとも、四五年前にも同じ病気に罹かったのであるが、その時は急発であるとともに三週間ばかりで全治したが、今度のはジリジリと来て、長い代りには前ほどに苦しまぬので、下腹や腰の周囲まわりがズキズキ疼ずくのさえ辛抱すれば、折々熱が出たり寒気がしたりするくらいに過ぎぬから、今のところではただもう暢気のんきに寝たり起きたりしている。帳場と店とは小僧対手に上さんが取り仕切って、買出しや得意廻りは親父の方から一人若衆をよこして、それに一切任せてある。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

 今日は不漁で代物が少なかったためか、店はもう小魚一匹残らず奇麗に片づいて、浅葱の鯉口を着た若衆はセッセと盤台を洗っていると、小僧は爼板の上の刺身の屑をペロペロ摘つまみながら、竹箒の短いので板の間を掃除している。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

 お光は店を揚がって、脱いだ両刳りの駒下駄と傘とを、次の茶の間を通り抜けた縁側の隅の下駄箱へ蔵うと、着ていた秩父銘撰の半纏を袖畳みにして、今一間茶の間と並んだ座敷の箪笥の上へ置いて、同じ秩父銘撰の着物の半襟のかかったのに、引ッかけに結んだ黒繻子の帯の弛み心地なのを、両手でキュウと緊め直しながら二階へ上って行く。その階子段の足音のやんだ時、若衆の為さんはベロリと舌を吐いた。
「三公、手前お上さんの帰ったのを知って、黙ってたな?」
「偽うそだよ! 俺はこっちを向いて話してたもんだから、あの時まで知らなかったんだよ」
「俺の喋ってたことを聞いたかしら?」
「聞いたかも知れんよ」
「ちょ! どうなるものか」と言いさまザブリと盤台へ水を打っ注かけて、「こう三公、掃除が済んだら手前もここへ来や。早く片づけて、明るいうちに湯へ行くべえ」
 後は浪花節を呻なる声と、束藁のゴシゴシ水のザブザブ。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

 二階には腎臓病の主が寝ているのである。窓の高い天井の低い割には、かなりに明るい六畳の一間で、申しわけのような床の間もあって、申しわけのような掛け物もかかって、お誂えの蝋石の玉がメリンスの蓐に飾られてある。更紗の掻巻を撥ねて、毛布をかけた敷布団の上に胡座を掻いたのは主の新造で、年は三十前後、キリリとした目鼻立ちの、どこかイナセには出来ていても、真青な色をして、少し腫みのある顔を悲しそうに蹙めながら、そっと腰の周囲をさすっているところは男前も何もない、血気盛りであるだけかえってみじめが深い。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

上記は特にポイントだと考えます。

「いいや、もう少し待って見て、いよいよ利きが見えなかったら灌腸しよう」と下腹をさすりながら、「どうだったい、お仙ちゃんの話は?」
「まあ九分までは出来たようなものさ、何しろ阿母おっかさんが大弾みでね」
「お母の大弾みはそのはずだが、当人のお仙ちゃんはどうなんだい?」

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』


「本当にね、私もそう思うのさ。第一気楽じゃないか、亭主は一年の半分上から留守で、高々三月か四月しか陸にいないんだから、後は寝て暮らそうとどうしょうと気儘なもので……それに、貰う方でなるべく年寄りのある方がいいという注文なんだから、こんないい口がほかにあるものかね。お仙ちゃんが片づけば、どうしたってあの阿母さんは引き取るか貢ぐかしなけりゃならないのだが、まあ大抵の男は、そんな厄介附きは厭がるからね」
「そうさ、俺にしても恐れらあ。だが、金さんの身になりゃ年寄りでも附けとかなきゃ心配だろうよ、何しろ自分は始終留守で、若い女房を独り置いとくのだから……なあお光、お前にしたって何だろう、亭主は年中家にいず、それで月々仕送りは来て、毎日遊んで食って寝るのが為事としたら、ちょいとこう、浮気の一つも稼いで見る気にならねえものでもなかろう」と腰をさすりさすり病人厭言を言う。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

 と、言っているところへ、階子段はしごだんの下から小僧の声で、「お上さん、お上さん」
「あいよ。何だね、騒々しい!」
「お上さん!」
「あいよったら!」
 小僧はついにその返事が聞えなかったと見えて、けたたましく階子段を駈け上って来て、上り口からさらに、
「お上さん!」
「何だよ! さっきから返事をしてるじゃないか」
「そうですか」と小僧は目をパチクリさせて、そのまま下りて行こうとする。
「あれ、なぜ黙って行くのさ。呼んだのは何の用だい?」
「へい、お客様で……こないだ馬の骨を持って来たあの人が……」
「何、馬の骨だって?」と新造。
「いいえ、きっとあの金さんのことなんですよ」
「ええ、その金さんのことなんで」
「金さんだなんて、お前なぞがそんな生意気な口を利くものじゃない!」

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

「さあ、金さん」と差し出されたのを、金之助は手に取って見ると、それは手札形の半身で、何さま十人並み勝れた愛くるしい娘姿。年は十九か、二十にはまだなるまいと思われるが、それにしても思いきってはでな下町作りで、頭は結綿にモール細工の前挿し、羽織はなしで友禅の腹合せ、着物は滝縞の糸織らしい。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

「そんないい娘が、私のような乱暴者を亭主に持って、辛抱が出来るかしら」
「それは私が引き受ける」と新造が横から引き取って、「一体その娘の死んだ親父というのが恐ろしい道楽者で自分一代にかなりの身上を奇麗に飲み潰してしまって、後には借金こそなかったが、随分みじめな中をお母と二人きりで、少さい時からなかなか苦労をし尽して来たんだからね。並みの懐子とは違って、少しの苦しみや愁いくらいは驚きゃしないから」

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

 医者は帰った。お光は送り出しておいて、茶の間に帰るとそのままバッタリ長火鉢の前にくずおれたが、目は一杯に涙を湛えた。頬に流れ落ちる滴を拭いもやらずに、頤を襟に埋めたまま、いつまでもいつまでもじッと考え込んでいたが、ふと二階の呻り声に気がついて、ようやく力ない体を起したのであった。が、階子段の下まで行くと、胸は迫って、涙はハラハラととめどなく堰き上あぐるので、顔を抑えて火鉢の前へ引っ返したのである。
 で、小僧を呼んで、「店は私が見てるからね、お前少し二階へ行って、親方の傍についておいでな」
「へい、ただついてりゃいいんですか?」
「そんなこと聞かなくたって……親方がさすってくれと言ったらさすって上げるんじゃないか」
「へい。ですが、こないだ腫んでた皮を赤剥けにして、親方に譴られましたもの……」と渋くったが、見ると、お上さんは目を真赤に泣き腫はらしているので、小僧は何と思ったか、ひどく済まないような顔をしてコソコソと二階へ上って行く。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

上記もわかりやすいですね。

 金之助の泊っているのは霊岸島の下田屋という船宿で。しかしこの船宿は、かの待合同様な遊船宿のそれではない、清国の津々浦々から上って来る和船帆前船の品川前から大川口へ碇泊して船頭船子をお客にしている船乗りの旅宿で、座敷の真中に赤毛布を敷いて、欅の岩畳な角火鉢を間に、金之助と相向って坐っているのはお光である。今日は洗い髪の櫛巻きで、節米の鼠縞の着物に、唐繻子と更紗縮緬の昼夜帯、羽織が藍納戸の薩摩筋のお召しという飾かし込みで、宿の女中が菎蒻島あたりと見たのも無理ではない。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

 お光の俥は霊岸島からさらに中洲へ廻って、中洲は例のお仙親子の住居を訪れるので、一昨日媼さんがお光を訪ねた時の話では、明日の夕方か、明後日の午後にと言ったその午後がもう四時すぎ、昨日もいたずらに待惚け食うし、今日もどうやら当てにならないらしく思われたので。
「今まで来ないところを見ると、今日も来ないんだろう、どうも一昨日行った時のお光さんの様子が――そりゃ病人を抱えていちゃ、人のことなんぞ身にも入らなかろうけれど――この前家へ来た時の気込みとはまるで違ってしまって、何だか話のあんばいがよそよそしかったもの」と娘を対手に媼さんが愚痴っているところへ、俥の音がして、ちょうどお光が来たのであった。
 親子は裁縫の師匠をしているので、つい先方弟子の娘たちが帰った後の、断布片糸屑がまだ座敷に散らかっているのを手早く片寄せて、ともかくもと蓐に請ずる。請ぜられるままお光は座に就ついて、お互いに挨拶も済むと、娘は茶の支度にと引っ込む。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

どうもちょうどいい車がないとお光さんは動けないようなのです。

 格子戸の開閉静かに娘の出て行った後で、媼さんは一膝進めて、「どうでございましょう?」
「少しね、話が変って来ましてね」
「え、変って来ましたとは?」と気遣わしそうに対手を見つめる。
「始めの話じゃ恐ろしく急ぎのようでしたけど、今日の口振りで見ると、まず家でも持って、ちゃんと体も落ち着いてしまって、それからのことにしたいって……何だかどうも気の永い話なんですよ」
「ですが、家をお持ちなさるぐらいのことに、別に手間も日間も要らないじゃございませんか」
「それがなかなかそうは行かないんですって。何しろこれまで船に乗り通しで、陸で要る物と言っちゃ下駄一足持たないんでしょう、そんなんですから、当人で見るとまた、私たちの考えるようにゃ行かないらしいんですね」
「ですがねえ。私なぞの考えで見ると、何も家をお持ちなさるからって、暮に遣う煤掃きの煤取りから、正月飾る鏡餅のお三方まで一度に買い調えなきゃならないというものじゃなし、お竈を据えて、長火鉢を置いて、一軒のお住居をなさるにむつかしいことも何もないと思いますがね」

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

上記の暮れ正月もポイントですね。もっとも現代とは違うのでしょうが。

 越えて二日目、葬式は盛んに営まれて、喪主に立った若後家のお光の姿はいかに人々の哀れを引いたろう。会葬者の中には無論金之助もいたし、お仙親子も手伝いに来ていたのである。
 で、葬式の済むまでは、ただワイワイと傍のやかましいのに、お光は悲しさも心細さも半ば紛らされていたのであるが、寺から還って、舅の新五郎も一まず佃の家へ帰るし、親類親内もそれぞれ退き取って独り新しい位牌に向うと、この時始めて身も世もあられぬ寂しさを覚えたのである。雇い婆はこないだうちからの疲れがあるので、今日は宵の内から二階へ上って寝てしまうし、小僧は小僧でこの二三日の睡不足に、店の火鉢の横で大鼾を掻いている、時計の音と長火鉢の鉄瓶の沸ぎるのが耳立って、あたりはしんと真夜中のよう。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

 新所帯の仏壇とてもないので、仏の位牌は座敷の床の間へ飾って、白布をかけた小机の上に、蝋燭立てや香炉や花立てが供えられてある。お光はその前に坐って、影も薄そうなションボリした姿で、線香の煙の細々と立ち上るのをじっと眺めているところへ、若衆の為さんが湯から帰って来た。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

「お上さん、お寂しゅうがしょうね。私にもどうかお線香を上げさしておくんなさい」
 お光は黙って席を譲った。
 為さんは小机の前にいざり寄って、線香を立て、鈴を鳴らして殊勝らしげに拝んだが、座を退ると、「お寂しゅうがしょうね?」と同じことを言う。
 お光は喩えようのない嫌悪の目色して、「言わなくたって分ってらね」

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

「まあ! 呆あきれもしない。いつ私が金さんと一緒になるって言ったね?」
「言わないたって、まあその見当でしょう?」
「馬鹿なことをお言い!」
 為さんはわざと恍けた顔をして、「へええ、じゃ私の推量は違いましたかね」とさらに膝の相触れるまで近づいて、「そう聞きゃ一つ物は相談だが、どうです? お上さん、親方の遺言に私じゃ間に合いますめえか……」
「畜生! 何言やがる!!」
 お光はいきなり小机の上の香炉を取って、為さんの横ッ面へ叩きつけると、ヒラリ身を返して、そのまま表へ飛び出したのである。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

 飛び出して、その足ですぐ霊岸島の下田屋へ駈けつけたお光は、その晩否応なしに金之助を納得させて、お仙と仮盃だけでも急に揚げさせることにした。

青空文庫 小栗風葉著『深川女房』

長々と引用しましたが、舞台の地理と神社仏閣は『猫と庄造と二人のをんな』でも『細雪』でも大変重要です。

参考リンク

なんと、石川悌二著『近代作家の基礎的研究』(9)―谷崎潤一郎の生い立ち(その2) 幼稚園、塾、小学校と恩師で触れた澁澤倉庫の発祥の地がありました。


PDFもあります

実は、以前大阪DTPの勉強部屋でお話をした時にこの作品を教材にしまして、その時にPDFを作りましたので、もしよろしかったらご覧いただけると嬉しいです。
InDesignで自動組版しています。

https://mediakiryu.biz/images/fukagawa_nyobou.pdf


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