『Limbo』で遊んだ
お粥と豚汁で朝食を済ませ、時計を見やると午前4時だった。道理で日の一筋も昇る気配がない。夜である。
『よふかしのうた』でいうなら、1日にして「夜守コウ」から「朝井アキラ」の生活リズムになったような心地だ。ひとまずシャワーを浴び、なんとなくクイックルワイパーをかけて回り、軽くスプラトゥーンを触ってはみたものの、何分こちとら朝の過ごし方を知らない夜型人間。頭もまだ覚醒には至っていないようでうまく動いてくれず、ただ部屋の真ん中で立ち尽くすだけの時間が続く。
そうだ、『Limbo』だ。やりかけのゲームを懸命に思い起こす。
『Limbo』とは白と黒の静かな世界を舞台とした流麗な横スクロール死にゲーのことである。起動してみると、自分が幾度となく躓き、躓いては死んでを繰り返し、挙句の果てには匙を投げたあの忌々しい画面が顕現した。これだからオートセーブは。
手順はわかっているのだ。あとはタイミングだけ。久方ぶりの真剣勝負。
あんなに苦しんだ「トロッコ飛び降り、からのダッシュしてジャンプ」がものの数分でクリアできるとは。前回は確かここで1時間以上泥試合を繰り広げていたはず。自宅練習をサボりにサボり、1週間ぶりにピアノ教室で恐る恐る弾いてみた課題曲の山場が何故か弾けるようになっていて自分で自分にビビるときのあの気持ち。
そこからはスムーズで、30分もしないうちにエンディングを迎えた。クリアまでの総プレイ時間は6時間半といったところか。
美しいゲームだった。
コントローラーの操作が効かなくなると、それはムービーパートへの突入を意味するというのはこの類のゲームのセオリーであるが、かといって特段そこから何か物々しい物語が始まるわけでも終わるわけでもないというのが『Limbo』というゲームである。
「え、これで終わり…?」と言わざるをえないほど、呆気ないラスト。考察の余地があるかないかといえば、それすらもよくわからない。エンディングに至るまでにプレイヤーに与えられた情報はあまりに少なく、おそらく断片ですらない。
どこからが現実で、どこからが夢で幻覚で、そのような全ての境界が曖昧になっている世界が「Limbo(辺獄=天国でも地獄でもない場所)」というわけである。
とどのつまり、このゲームをプレイしてみての感想というのは一言「味わい深い」に収束してしまうのだ。
とはいえ数多の障壁をくぐり抜け、やっと辿り着いた最後の地がスタート地点と同じ景色だった、という衝撃の事実はやはり鳥肌モノだし、この作品が12年前のものであるということにも同様にゾッとする。
言おうと思えばいくらでも、言葉は尽きない。心地良い読後感、とでも言おうか。要は「味わい深い」のである。
ただ何となく考えていた中で一つ最後に述べるなら、『Limbo』の開発元Playdeadがデンマークの会社だと知ってどこか腑に落ちたということくらいか。デンマークといえば、家具をはじめオシャレで洗練されたデザインが真っ先に頭に浮かぶ。『Limbo』の静謐で洗練された美しさもそれに通ずるところのあるような気がした。
さて、今日は講義やら打ち合わせやらで長丁場になりそうだからこの辺にしておこう。
もしどこかで暇があれば、実はやりかけているPlaydeadの次作『INSIDE』も進めたい。こちらはこちらで豚に追いかけられたり、人を操れたりとよくわからなくてこの先の展開が楽しみなのである。
これは2022年12月5日の記録。