大切なもの
今日、古くから私を知る旧友と話していた時のこと
「なんか、悟り開いたね」
そんな風に言われてびっくりした。
というのも、私はブッダのいう「悟り」とはどんな心境なのかをずっと考えてきて色々な出来事が起きた後、悟りが開けたのではないか?と自分で何度も思った。
悟りとはどんな感覚なんだろう?無になること?何か超越したようなタフな心?それとも大きな慈悲の心なんだろうか?
私が、悟り、と思ったものは、どんな感覚なのかと言われたらうまく説明出来ないのだけど、今まで苦しんでいた事が、一瞬
「ふぅ!」
と軽くなる感覚だった。
悟りというものを経験している人がいれば、どうか、こんな考えもあるのか、という風に受け止めていただけたらと思う。
けど、それは多分違った。
その後も似たような感覚は何度も何度もあって、だから、感じる前には結局「苦しみ」というものがあった。
それで過ごしてきた今日までの日々。
友達に
「悟り」
なんていう言葉をかけてもらって本当に嬉しい。だって、開けているかどうか今でもわからない。正解だと思ったこともそうなのかさえ分からない。
昔との違いといえば、不要な事はやめて、不要な物は処分したくらい。
だけど人は、物だけではなく、事柄を手放す事が出来ない。見栄だったり、不安だったりだ。そういう事を救ってくれるような言葉は世の中にたくさん溢れているのだけど、溢れすぎていて、そんないい言葉達もいつの間にか不要な物になってくる。
自分で決めて処分していく。その繰り返しだ。
そしたら私の中に溢れる思いや、言葉が変わってきたようだ、少しずつ。
行動も。その変化が嬉しくて帰ってきた帰り道。前なら一杯飲んで帰っていたけど、その考えはやめた。
「一杯飲むなら、UNIQLOでお得な一枚見つけられそう」
そんな風に話して(笑)娘と二人でUNIQLOへ。
私の悟りはそのようなものだった。一杯のお酒がUNIQLOの服一枚に代わったようなものだったけど、何か人から、悟りだなんて、お釈迦様とお揃いの言葉で誉めていただいた事がすごく嬉しかった1日で、また、そのような私になる前に支えてくれた人達をもっと大切にしたくなった。
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