豊臣秀吉が神様になっている豊国神社の数々の御朱印
豊国神社の御朱印
信長の後をついで天下を統一し、天下人となった豊臣秀吉を祀っているのが豊国神社です。読みは「とよくにじんじゃ」、「ほうこくじんじゃ」の二通りあります。
派手なことが好きだったことで有名な秀吉ですが、御朱印も色鮮やかなものが多く目につきます。御朱印紹介はkazu.kさんのツイートから。
豊国神社の御朱印は、種類が豊富で限定御朱印もたくさん授与されています。ツイッターなどでも多くの写真が投稿されていますよ。
ご利益は 出世開運
豊臣秀吉を神として祀る豊国神社のご利益はなんといっても《出世開運》。水呑百姓から天下人まで昇りつめた秀吉ですからね。
出世開運を望む超前向きなビジネスパーソンならば、一度は参拝を。そして派手な御朱印を頂き守り神としてみましょう(^▽^)/
秀吉の死後、お墓と社殿が立てられる
豊国神社は京都の阿弥陀ヶ峰という高台の麓にあります。
慶長3年(1598)、秀吉の死後その遺命により、阿弥陀ヶ峰に葬られ、社殿も作られました。
死の翌年(1599)、後陽成天皇から「正一位豊国大明神」の神階と神号を賜り、正式に神様として祀られることになりました。
徳川時代の到来
しかし、秀吉の栄華も一代限りのものとなり、元和元年(1615)、豊臣家は滅亡、徳川の時代に変わりました。
徳川家としては、当然、秀吉を神として祀ることは許されることではなく、秀吉の墓も、祠も打ちこわし秀吉を崇めるよすがを消してしまいます。
徳川幕府も力尽き時代は明治へ
時は流れて、明治時代。明治新政府は、戊辰戦争など激しい戦いの末、徳川家から政権を奪取した政府です。
徳川の敵であった秀吉に対する評価の見直しがされ、明治13年(1880)には、明治天皇の命により、現在の豊国神社の社殿が造営されました。
全国各地に鎮座する豊国神社
京都の阿弥陀ヶ峰以外にも、全国各地、秀吉にゆかりのあるところに豊国神社は鎮座しています。
豊国神社 (金沢市)(とよくにじんじゃ)
白鬚神社 (大垣市墨俣町)境内社・豊国神社(とよくにじんじゃ)
豊国神社 (名古屋市)(とよくにじんじゃ)
豊国神社 (長浜市)(ほうこくじんじゃ)
新日吉神宮末社・豊国神社(とよくにじんじゃ)
豊國神社 (大阪市)(ほうこくじんじゃ)
厳島神社末社・豊国神社(とよくにじんじゃ)
豊国神社 (小松島市)(とよくにじんじゃ)
豊国神社 (福岡市)(ほうこくじんじゃ)
豊国神社では、とても素敵なオリジナル御朱印帳も頒布しているので、手ぶらで行っても御朱印を頂けます。
書き置き御朱印帳
また、豊国神社では最近増えてきている書き置きタイプの御朱印も授与しています。書き置き御朱印の収納にとっても便利なのが、四隅に差し込むだけの「書き置き御朱印帳」。気になった人は、是非覗いてみてください(^▽^)/