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地元民から見た映画『MINAMATA』 これは本当に水俣病公害を伝える映画だったのか?

映画『MINAMATA』が公開された。というか、そろそろ上映終了している映画館がほとんどだと思う。個人的にネガティブな感情とポジティブな感情の両方を併せ持った映画なので、なるべく他人に影響を与えづらいこの時期をわざと狙って記事を書いたところはある。

この映画を観て、率直な感想としては「これは本当にジョニー・デップ氏が言うような、水俣病を伝えるための映画なのか?」というところだ。そして、私はそれにYESと言うことができない。これはユージン・スミスという一人の人間が水俣の地で自分を取り戻していく物語ではあるものの、今を生きる人間に水俣病を伝えるための物語ではなかったと思う。

成人してまだ何年も経たない人間が「水俣の人間を代表して」などと御大層な看板を掲げて主張するつもりはないですが、映画を観て思うところがあったのでつらつらと書いていけたらと。水俣病を伝える映画としては不足している部分があると感じており、それを補うために文章の大半が映画というよりは水俣病や公害を取り巻く環境のことに言及しているため、長くなってしまうかもしれないですが遅れてやってきた社会の授業だと思ってお付き合いください。興味があったらAmazon Primeとかに来た段階で映画を観たり、少しでもいいので水俣病のことを知ってもらえると嬉しいです。


1. 映画のおおまかなあらすじ

ユージン・スミスは、第二次世界大戦時に戦場カメラマンとして名を馳せたが、現在は酒に溺れ無気力な生活をしていた。ある日ニューヨークに住む彼のもとを訪ねてきた女性・アイリーンから「日本の水俣にあるチッソ工場から出る有害物質が海を汚染している」と聞かされ、写真を撮ってくれないかと頼まれる。来日してユージンが見たのは、有機水銀中毒に冒されて苦しむ子供たちだった。初めは写真を撮ることに気乗りしていなかったユージンも、アイリーンや水俣病被害者らと共に工場側の賄賂や暴力沙汰、暗室への放火など様々な困難と闘いながら、徐々に正義感を取り戻し自ら抗議デモに参加するまでになる。最終的には本国の新聞社が水俣病の様子を収めた写真を掲載し、世論の煽動にも後押しされながらチッソから勝訴を勝ち取っていく―――。

2. 水俣病という病気

大多数の日本人は社会の授業で習ったと思うので割愛しようかとも思ったが、一応おさらいとして。水俣病はメチル水銀(有機水銀)の中毒である。空気や接触、食べ物を通じて他人にうつるようなことは一切なく、遺伝も認められない。工場で触媒として利用した水銀を適切な処理が為されないまま海に流してしまったために、海洋生物がそれを取り込み、かつ食物連鎖の過程でその濃度がどんどん高まってしまったところを人間が漁で獲り、食べてしまったのが原因となる。現在では水銀は主に毛髪に蓄積することが知られており、髪の毛1本あればおおよその摂取状況を知ることができる。実は有機水銀というものは、微量ではあるもののほぼ全ての魚介類の体内に存在し、今の私たちも当たり前のように摂取しているものだということは意外と知られていないのではないだろうか?

水俣病の症状は主に中枢神経系に及び、麻痺(手足を動かせない)、振戦(ふるえ)、視野狭窄(見える範囲が少ない)などの症状が現れる。上手く手足を動かせないため奇怪な動きになってしまうこともあり、別名「猫踊り病」とも呼ばれた。水銀を摂取した本人はもちろんのこと有機水銀は妊婦の胎盤を通過するため、産まれながらにして水俣病として生を受けてしまった方(胎児性水俣病)も多数いる。大昔の話のように聞こえるかもしれないが、例えば胎児性水俣病患者として啓蒙活動に努めていらっしゃる坂本しのぶさんも今年で65歳と後期高齢者になったばかり。月日が経ちお亡くなりになってしまう患者さんも多い中、まだまだ今を生きる問題だ。

3. 水俣という土地

前提としてまず水俣がどの辺りにあるのか、皆すぐに想像できるのだろうか?いわゆるリアス式海岸が広がり海と山に挟まれるようにして成り立っているこの水俣市は熊本県本土の最南西に位置し、九州南部の鹿児島県と県境を分ける小さな市だ。この「小さな市」というのは単に謙遜などではなく、ちょっとした事情がある。

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現在でこそザックリと大きな自治体に分かれているが、熊本南部はもともと小さな村や町が密集してできた土地であり、税収などの理由から平成に至るまでの市町村合併によって現在の形になってきた。水俣市の人口が23000人弱であるのに対し、すぐ隣の津奈木町・芦北町を合わせた葦北郡の人口は20000人弱と、周りの自治体と比べても水俣市はやや人口密度が高いことが分かると思う。「市」を冠していることからも分かるように、辺鄙な地方ながら1955年ごろは50000人近くを擁した大きな自治体だ。それだけに他との大規模合併の話もチラホラ出ていたようだが、結果として水俣はそれをしていない。その理由の一つには、水俣病による風評被害があったとされている。水俣病患者への補償給付業務の一部を県ならびに市が請け負っていることからも、それを嫌がったという線もあるだろう。元々チッソにより発展してきた側面も間違いなくあるものの、水俣の地は良くも悪くもチッソという企業とともにあった。

4. チッソという企業

チッソという化学工業メーカーは社会の授業で聞いたことがあるだけで、今も現存している企業だと知っている人もあまりいないのではないだろうか?現在も化学肥料などの工業製品を多数手掛けており、昨今のニーズに応じて液晶材料の生産を増やしていたり、水力発電業務で利益を出していたりもする。私も何度か見学にいったことがあるが、カーボン繊維を使った「破れない紙」など面白い製品を開発していたりもする会社だ。関連会社も含めると一時は数千人規模の職員を擁していた大企業であり、先の人口の話と合わせてもその地域密着度は伺い知れると思う。

ただ2011年にその製造業務の全てを子会社のJNC株式会社に受け渡し、現在のチッソ株式会社はというと残った数十人で水俣病被害者への補償給付業務のみを行っている名ばかりの企業だ。それを「名前を変えただけの責任逃れだ」と批判する声もある。しかしながらこれも難しい問題で、水俣病を引き起こした責任は確かにあるにせよ現在までの補償総額1,661億円を捻出できるだけの企業がどれだけあるか?という話でもある。特措法(被害者の救済について国と定めた取り決め)に基づきながら、チッソは将来的にはJNCの上場および持ち株売却によって国や別法人に補償給付業務を委託し、水俣病問題からは手を引く構えを見せている。しかしながら昨今の業績悪化と相まって、幸か不幸かそれもまだしばらくは先の話になりそうだ。

5. 感情ファーストすぎる映画

前置きが長くなったが、この映画の一番の問題点は上記のような公害が引き起こされるまでの複雑な文脈を全く無視してチッソを明らかな悪者として描き、感情のみを煽動的に盛り上げようとしている点にあると思う。描写が一面的すぎるのだ。誤解を恐れずに言えばとてもハリウッド映画的というか、ヴィラン的思想が垣間見えるシーンが多数あった。

象徴的だと思ったのはユージンとアイリーンが水俣病患者の写真を撮るため、収容施設に潜り込むシーン。変装をして隠密行動で施設に侵入し、見つかりそうになれば仲間の手引きで秘密の通路から抜け出す。悪の組織に対峙して力を以て悪を制すハリウッド映画であれば楽しいスパイシーンかもしれないが、この映画では新聞掲載や裁判に使うための証拠を集めている段階であり、これは当然のことながら「違法に集めた証拠は無効である」という基本的法理に違反している。もちろんこれは19世紀以前から日本だけでなくアメリカでも違法とされている。

自分たちを正義と信じて疑わずチッソを悪と断定しているからこそ、こういった描写の仕方をしているのだなと感じてしまったワンシーンであった。

「映画として2時間に収めるためには仕方ない描写だ」という声もあるかもしれない。それに対しては特に否定せず部分的に同意見で、そもそも水俣病の問題を2時間の映画に収めること自体が難しいと思う。ただ単にユージン・スミスの半生を描く映画であれば上記のように個人の感情にフォーカスするのも頷けるが、ジョニー・デップ監督はこの映画の初めに「Based on true events(事実に基づく映画)」とテロップを入れ、映画の最後には水俣病以外のチェルノブイリやサリドマイド薬害などの痛ましい映像を差し込みながら「チッソと日本政府は十分な責任を果たしていない」などと水俣病についての強いメッセージ性と問題提起を持ってこの映画を送り出そうとしている。だからこそ、感情だけを盛り立て無遠慮にチッソを悪役にするこの映画には素直に賛同ができない。デップ氏は、上記のような機微を本当に理解して「水俣病患者のために」などという文言を出したのか?

6. 感情に振り回される水俣病

では感情の問題に落とし込まれることを何故そこまで嫌っているのか?という点についてだが、その答えは水俣病の風評被害がまさにその感情の問題によって引き起こされてきたからだ。当たり前のことだが私も水俣の地に生まれてきたからといって自動的に水俣病の知識を獲得したわけではなく、幼少期から「お前たちの先輩は水俣病のことで差別されて悲しい思いをしてきた。お前たちが正しい知識を身に着けてそれを広めてやらんばいかん」と教育されてきたのだ。幸いにも自身は周りにも恵まれそういった差別に遭うこともなく、今では自己紹介で「水俣の出身です。変な言い方かもしれませんが、あの、水俣病の水俣。」などと話せるほどで、日本の社会科教育に感謝しているところだ。しかしながら悲しい差別は今もたびたび起こってしまっているのが現状でもある。

人がなぜ差別をしてしまうかというと、自身の知り得ない物に恐れを抱いているからだ。理解が及ばないからこそ他者を慮ることができず、判断材料を感情しか持たないために差別的言動を起こしてしまう。これを引き起こさないためにできることはただ一つ、知識を身に付けることだけだ。この映画は感情の起伏にのみ終始し、その知識を付けるに至るまでの導線にはなりえないのではないかと思う。他人の感想もいくつか見てみたが、一番多かったのは「怖い」という感情と、あとは「チッソが許せない」という感情が多く、公害という問題について今後どう向き合っていくかについてはあまり言及されていないと感じた。患者の感情に対してはこちらも真摯に気持ちで寄り添うべきだが、問題全体までも感情で片付けてしまうべきではない。

水俣病はなにぶん小さな地方で起こった公害であり、水俣病患者が住む家の隣にチッソ職員が住んでいるようなこともあったかもしれない。そんな中で、患者が声を上げることがどれだけ難しいか、また職員が周囲からどういった目で見られてきたか、田舎社会を経験したことのある人間なら想像に難くないものがあると思う。一部の人間が「ニセ患者」となり不正に補償金給付を受けようとしたとして騒動になったこともある。ともに水俣を盛り上げてきたはずの人間が分断されてしまうのは、お互いにとって痛ましいものだったと感じている。そんな複雑な事情を鑑み、現在の水俣は「もやい直し(もやい結びと呼ばれる船を係留するための縄の結び方にちなみ、改めて市民同士で手を取り合おうという考え方)」を合言葉に地域の再建に励んでいる。

水俣病問題が浮き彫りになった1980年代に、概要を伝えるためとしてこの映画を発表できていればとても意義があるものだったかもしれないと思う。しかしながら、それから数十年も経ち問題も明らかになって久しい2020年にこの映画を発表したのはどういう意図があったのだろうか?水俣の人間は公害がどのように起こったかを理解し、その先のステップに進もうとしているのに、また数十年前に引き戻されるようなことをされなければならないのだろうか?

特に胎児性の患者などは産まれた瞬間から水俣病に自分の人生が台無しにされてしまったと感じて、恨む気持ちを持つなという方が無理な話だろう。この数十年もの長い年月をかけて無理やりにでも整理をつけてきた患者や地元住民たちの感情を、チッソを悪しざまに描くことでまた掻き混ぜるような真似をされて、手放しで喜べない水俣病関係者も少なくはないのではなかろうか。当の水俣市は、この映画の公開に先駆けて後援の名義貸しや地元での撮影、また先行上映会なども打診されているが、そのいずれも断っている。背景には、そういった事情があるものと見られている。

7. 公害は「人災」である

では、水俣病とは、公害とは何だったのだろうか?私たちはそれをどのように理解し、未来に繋げるべきなのだろうか?

例えば映画の最後に引用されていたエイズやサリドマイドなどの薬害においても、薬剤を使用して異変が起きてからすぐに対処できていれば他の一般的な薬などと同じくただの副作用被害として済んだ話だ。それができずに公害と認められるまで押し上げられてしまったのは、「被害の蓄積」を科学的根拠の一つとして認められず、病禍を拡大させてしまった人間の認識の甘さにほかならない。その点で、公害は「人災」だと言える。公害とは、ただ単に健康被害の程度がひどかった事件のことを指すのではない。

実は「公害を引き起こした者は、これを科料に処す」などといった条文は憲法や刑法のどこにも書かれていない。公害について直接的な罰則は無いのだ(もっとも、そんな科料よりも多くのものを失うことになるだろうが)。これがどういったことかというと、公害の被害が起こった際にそれを放置することをそもそも想定していないのである。歴史を振り返ってみると、公害や薬害を起こした責任を持つ側からの反論として、原因化合物などが特定できていないことを理由に「その症状が起こったことについての科学的根拠が無い」といったような責任逃れの言い分が見られるが、これは適切ではない。未知の有害事象に対して、原因物質とそのメカニズムを特定することには時間と労力を要するからだ。そうではなく公害を引き起こしたのは、その大規模な被害を認められない人間の弱さだったのである。

8. 公害の裏にある二面性に気付くこと

この映画では、公害という負の側面だけをことさらに強調されており、恐怖を煽るような映像が目立つことが気にかかる。公害を語る上ではその裏にある科学の発展と副次的被害の二軸があることを意識し、0か100かという二元論的に語るべきではない。これを水俣病の映画だと称するのであれば、フェアに語るためにはその栄華とまでは言わずとも、水俣という地で市民とともに発展してきたチッソの姿ぐらいは描くべきではなかったのか。映画内ではチッソの姿は悪の居城のようにそびえ立つ工業施設として描かれており、そこに至るまでの道も高い鉄の門扉で閉じられ心象風景とリンクしている。

特に薬害に言えることだが、薬剤開発において全ての副作用を把握することは不可能である。またその探索に過剰な労力を割いてしまうと、本当にその薬を求めている人間に薬剤が届くまでの時間が遅れ、利益を減らしてしまうことになる。現在は、PMS(市販後調査)と呼ばれるシステムをもって、薬の販売後も定期的に新しい副作用が発見されていないかを監視・報告することになっている。

公害についても同じで、例えば化学農薬が人体に一部有害だからといって、感情のままにその使用の全てを止めるような真似をすべきではない。特に高温多湿の日本では虫害がひどいため化学農薬なしでは現在の人口に対して十分な収穫量を得ることができず、結果として飢えて困るのは私たちだからだ。何事もリスク(副作用)とベネフィット(効果)のバランスを取って成り立っている。

9. 結論

結論として、私の願いとして、この映画を見て「被害者かわいそう」の感想一言で終わらないでほしいと切に願っている。この映画を見た印象として、そういった義憤に駆られるだけの人間が増えてしまうのではないかと危惧している。「公害」というものは「暮らしの便利さ」の反対側についている車輪であり、それが何かの拍子に外れ、さらにそれをヒトに無視されてしまった結果だということを忘れないでほしい。

あまりの公害怖さにだろうか、「水俣の子どもたちは水銀が怖くて魚も食べられない」などと言う人権活動家の講演を聞いたことがある。私の知りうる限り、それは全くの嘘だ。今日び水俣に住んでいて魚食を制限しているような家庭はほぼ無いだろうし、何なら今も水銀が眠る埋め立て地の上で、水俣の子どもたちは楽しく遠足や陸上大会を行っている。エコパークと呼ばれるその広場の下にはたくさんの水銀があることを彼らは知っているものの、一方で現在の海洋の水銀濃度が全く問題ないことも知っている。実のところ大地震などによる液状化や護岸の崩壊によって水銀が再度流出する恐れがあることも指摘されてはいるが、当の水俣の子どもたちは問題を感情で処理せず、正しい知識を持って正しく怖がっている。水俣病問題に限らず、そういった態度を貫くことが重要だと考えている。

10. おわりに

ここまで色々と書いてきたが、こんな令和の世にもなって改めて水俣という地にフォーカスを当ててくれることは素直にありがたいと思う。この映画を観たのを機に水俣病のことを、また水俣のことをもっと知りたいと思ってくれる人間が増えるのであればこんなに嬉しいことは無い。

ただこんな貴重な機会だからこそ、感情に支配され誤った偏り方をしないでほしいと切に願うのである。被害者側に寄り過ぎるのではなく、また企業側にも寄り過ぎるのでなく。公害というものがどういったメカニズムで起こったのか、どのステップを踏み外したがために起こったものかを今一度考えるきっかけになってほしい。またそれは公害に限らず、諸々の社会問題についてももっと多角的に見る機会になってくれたらと思う。

ご高覧いただきありがとうございました、お目汚し失礼しました。ここまで暗澹とした文章を書いておいて何ですが、私も数年前に映画の構想が明らかになった当時「水俣にジョニデが!?」と喜び散らかした人間のうちの一人で、半分はこの映画を純粋に楽しむ気持ちで観たつもりです。以下のTwitlongerリンク先に他に面白かったところなどを挙げてます。よろしければこちらもどうぞ。

(2023/08/20 追記)
Amazon Primeに来たのでようやくエンドロールを観返せました

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