マレーシアを夢見る理由。
この夏、息子をサマースクールへ参加させるため念願のマレーシアに行く。目標だった移住にはほど遠いが、マレーシアの空気、雰囲気を肌で感じられるこの機会が本当に夢のようだ。
noteを購読させてもらっている野本響子さん。最近のVoicyでは発達障害とマレーシアについてお話されていることが多く「私がマレーシアに行きたいと思うようになった理由」に通じる部分もあって聞いていて胸が熱くなったので、忘れないうちにここに書いてみようと思う。
3年前、野本さんの著書を読んで衝撃を受けた。あの日から私の価値観はガラリと変わった。息子の不登校で職を失い貯金どころか毎月督促に追われていた母子家庭でも、マレーシアという国を息子に体験してほしい!という夢を捨てずにいられたのは、マレーシアに教育移住をされた方々の生の声と、根拠はないけど自信だけはある自分の直感、そしてそれを後押ししてくれるかのような、いくつかの本だった。
息子は現在小学校5年生。小学校1年生のGW明けから不登校になった。支援学級を利用するにあたり病院を受診。自閉症スペクトラム、限局性学習障害、協調性発達性運動障害の診断名がつけられた。現在は不登校仲間とのオンラインゲームと放課後デイサービスの2本立てで生活している。
今でこそ、放デイのスタッフさんからもお墨付きが付くほど穏やかに毎日過ごしているが、不登校になった当時-発達障害の特性が強く出ていたーは思い通りにならなければ癇癪を起すことはしょっちゅうだった。
マレーシアに行こうと思ったのは、超簡単に言えばここなら自己肯定感が上がるに違いない!と思ったからだ。(なぜ数ある中で「マレーシア」なのかはまた別で書こうと思う。)
最初は癇癪を起こし怒られると素直に泣いていた息子が、回を重ねるごとに顔を真っ赤にして下から私を睨みつけるようになり、数か月後には少し低いトーンで話しただけ(感情的にならないように気を付けて、諭そうとしていただけ)で布団をかぶり肩を震わせ泣くようになっていった。
明らかに怒られることに耐性がなくなり、自己肯定感が極限まで低くなっている息子を見て、学校に行かせるとか勉強なんかよりも心に栄養を与えることが最優先だと強く感じた。
そして何より、息子の自己肯定感を奪ってしまったのは自分だということに懺悔の気持ちでいっぱいだった。母子家庭で大変だったなんてことは言い訳で、私の言葉や態度は彼の心にガラスの破片をグサグサさしているのと同じだった。私は彼を傷つけていた。
今の状況では息子の自己肯定感を高めるのは私だけでは無理だ。人に頼ることができない私が珍しく「誰かに協力してもらおう」と思った。
一番に実家が思いついたが、当時ジジババは「学校は行くべき」「行かせないと!」という考え。私自身の自己肯定感の低さを作ってくれた人たちで、褒める事より批判が得意な彼らにお願いするのは無理な話だった。
学校はどうかと考えた。変化を嫌う片田舎の小学校。支援級ですら出る杭は打たれ、みんなと同じことを求める先生もいる。
ならば福祉と考えた。お世話になっていたソーシャルスクールカウンセラーの先生が思い浮かんだ。とある施設にいて、息子も何度か遊びに行ったことがある。ただ、ここの施設の最終的な目標は「学校への復帰」で、先生は教育委員会の組織の一人でもあった。うまく丸め込まれそうで、今は相談する相手ではないと思った。
じゃぁもう社会全体??少しづつ多様性が認められてきているとは言え、一歩外に出れば世間の目は急に厳しくなる。ひとりひとりは優しいのに「社会」という箱に入った途端手に平を返したように冷たくなる、それが日本だ。
一人では無理。家族も無理。学校や福祉は信用ならない。社会は冷たい。
これ・・・日本という国が無理なんじゃ?
そんな時、偶然Twitterで野本さんの本を知った。
ただタイトルと「野本さんて面白そうな人だな」という興味で買っただけだった。
目から鱗とはこういうことを言うんだろう。これを読んだとき、まさに自分が息子のために求めていた場所があった!!!と感激した。支援級や学校、家庭というコミュニティから出ても、「自分は自分でいい」と思える環境。杭が出まくってていい、そもそも杭なんか気にしない。「あなたはあなた、それでいい」と認めてもらえる社会で育ったら、この子はどんな木になってどんな花を咲かせるんだろう。
もう一度ここで子育てをやり直してみたいと思った。
そしてなにより、私自身がマレーシアにいることを想像したときに、体も心も緩まるようでとても心地よかった。
日本から出る、その手があったのになぜ海外に行くことを考えなかったんだろう。日本に生まれたら日本にいなきゃいけない理由なんて、ない。当たり前の事過ぎて考えたこともなかったことに笑ってしまった。地球人なんだから地球のどこかにいればいい。世界中探せば、息子が輝く場所が必ずあるはずだ。この日から視野がどーんと広くなった。
ところで、野本さんの本を読む前から、ずっと気になっていたことがあった。発達障害と診断されている子の数が多すぎないか?ということだった。医療の進歩で診断が増えたことはあるにしろ、診断されすぎじゃね?と正直思っていた。血液検査のように数値などで明確に判断できるものはなく、親からの話と子供の様子で先生が診断を下す。息子の時はそうだった。線引きがいまいち分からない。
発達障害は遺伝だとか脳のなんかがどうとか言われている。でも私は、息子は発達障害以前に自己肯定感の問題のような気がしてならなかった。「うちの息子は本当に発達障害なのか???」そう思うようになった。
そんな時、岡田尊司さん著の「発達障害と呼ばないで」という本を読んで単なる母親の勘は確信に一歩近づいた。
乱暴だが一言で要約してしまうと「発達障害の診断の中には愛着障害の子も含まれている」というものだ。愛着障害というと一般的に「母親からの愛情が足りない」というイメージを持たれてしまうので私は好きではないが、言い換えれば「養育環境に影響を受けた」ということ。
読めば読むほど心当たりしかなかった。息子は我が家の「養育環境」によって表面上発達障害のように見えてしまっている、きっと間違いない。
となると息子に限らず今受けている支援は本当のその子のためのものなのかという疑問が出てくる。
表面上は同じように見えるけど、原因は違うところにある。間違ったアプローチをされて、全くお門違いな支援をされている子供たちがいるということだ。骨折して腫れてるのに虫刺されだと思われてムヒ塗られてるみたいな。例えがアレだけど。
また、先生は情報処理の認知タイプにも触れていて「視覚空間型」の息子がはみ出てしまうのもうなずけた。黒板の前で座って先生の話を聞いていられるのは別のタイプの子だ。認知タイプが違うだけではみ出しっ子にされてしまう。
支援が全く意味がないというわけではないが、これに気づいている関係者は一体どれくらいいるのだろう。後に息子の診察で病院を訪れた時、先生のこの話をしたら案の定知らなかった。
マレーシアの雰囲気は「なんとなく」彼にプラスになる気がする。自己肯定感が自然に上がる国だと思うし、その環境にいたら根っこに栄養が行き渡り、今問題になっている勉強面や人間関係なんかすべてクリアになる気がする。誰かを説得するには自分に都合のいいことを並べただけと思われても仕方がなかった私の言い分だったが、読み進めていくほど自分の直感の信頼度が増していった。
もし息子が愛着障害で発達障害のように見えてしまっているのだとしたら、環境さえ彼に合っていれば本来の自分を取り戻せるということになる。
岡田先生によれば環境を変えたことで以前とは別人のように人が変わる子もいるようだ。息子は果たしてどうなのか。実験してみる価値はある。そんな風に思った。
息子は放課後デイサービスに通い出して1年になる。学校ではいまだに「借りてきた猫」のようにうつむいて黙り込んでしまう息子だが、放デイでは徐々に自分を出せるようになり、仲良しの友達ができてふざけ合ったりお調子者の息子が顔を出している。年下の子には優しく、乱暴な子には取り合わず、バランスよく過ごしていると報告が来る。
まさにこの本に書かれていた通り、相手に心を許し、緊張が取れ不安が消えたことで、人間関係を築けるようになってきている。
今は放課後デイサービスという小さなコミュニティだが、これが社会全体に広がっている国ならどうなるのか。試す時がきた。
果たして息子はマレーシアをどう感じるのか。
私の勘は当たっていたのか。
私自身、マレーシアは肌に合うのか。
コロナに負けず、無事マレーシアまでたどり着けますように。
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