第5章 実践(7)
こちらのnoteでは、17時30分から15分間、ClubhouseでMBSRトレイニーが読書会を行っている内容をシェアしております。
農夫のたとえ
ある農夫が水牛を使って田んぼを耕しています。
昼ごろ、疲れたので水牛を放し、木陰で涼みながら休み、目覚めると水牛がいません。しかし農夫は慌てることなく、動物たちが集まる水飲み場にゆっくりと歩いて行き、自分の水牛を見つけて連れ戻し、くびきでつなぎ、また田んぼを耕し始めます。
同様に、ヴィパッサナー瞑想を続けていると呼吸が非常に微細になり、呼吸をしている感覚にまったく気づかなくなるかもしれません。
心が鼻孔の縁に集中するにつれ、瞑想が進んでいる兆候に気づき、心地よい感覚を感じますが、経験する兆候は瞑想する人によって異なります。
吸う息・吐く息、そして鼻孔の縁に触れる感覚を観察するのです。
今の瞬間に心を留めること・集中すること「瞬間的集中」「今の瞬間、何が起こっているのか」ということに気づく。
集中した心で自分の身体と心を観察すること、呼吸は身体「物体」であ、呼吸を感じることや感覚を知ること、現象を認識することは心である、ということに気づき、これらは常に変化しているということにも気づきます。
私たちは、吸う息・吐く息によっても「無常・苦・楽」を体験し、呼吸を観察することで、心は穏やかになり落ち着くでしょう。
「身体、いろいろな感覚、さまざまな意識、無数の意志は、心身の集合体(五蘊)の本質を観察する深い智慧を得る目的にだけ使うべきである」。