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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(51)

こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。

第8章 自己への思いやりの目覚め:自分を支え、支えられる人になる
【思いやりに手を差し伸べる

ラディカル・アクセプタンス週末WSに参加したマリアン。
彼女は、クリスティー(アルコール依存症)の母親で、娘は彼女の2番目の夫である義父から、10代を通して性的虐待を受け続けたばかりでなく、もしこの話を誰かに話したら生れたことを後悔するほど殴るぞと、彼女の妹にも同じ目にあわせ、母親がこのことを知ったら自殺するに違いないと脅すのでした。

このクリスティーの事実を娘の口から聞くたびに、マリアンの魂は底なしの穴に落ち、悪夢の中で毎日生きているような心地になり、気づけなかった自身を非難、惨めさが拍車をかけます。

あるセラピーセッションの最中、クリスティーはマリアンを言葉で攻撃しはじめます。顔を赤く染め、拳を固く握るクリスティー。「…でもどうせあなたはまたいなくなるんでしょう? あなたなんて、大っ嫌い!」。彼女の言葉はマリアンの心に鋭く突き刺さります。

・・・マリアンがようやくセラピーを始め、離婚が成立した頃には、二人の娘は自立し、彼女は2人の娘をいかに失望させたかを今になって理解し、もう生き続ける理由をみつけることさえできない状況にあったのです。

こんな状態の自分への思いやりを見つける唯一の道は、小さく惨めな自分より、より大きな存在に救いを求めることです。打ちひしがれた自分を慰め、安心させてくれる偉大なる愛の意識に救いを求めるのです。

修道士のトーマス・マートンはこう書きます。
「祈ることさえ不可能で、心が石になったときにこそ真の愛と祈りを学べる」マリアンの「とき」はこうして訪れたのです。

マリアンは彼女の大学時代の講師の一人であった年配のイエズス会の神父に助言を求めます。…しばらくして、彼は彼女の片手をそっと取り、手の平に円を書きはじめます…。そして、彼女は神の慈悲に身を委ね、身を委ねることで強い支えを感じます。神の無限な慈悲に包まれながら彼女は自分の心への道を見出すのです。

神父が彼女に伝えたこと…『癒やしの門出となる愛に心を開きなさい』

2週間後……再度、セラピーの場で娘と再会し、彼女の横に無言で腰掛けるマリアン。…彼女に対して、心からの謝罪した上で、これから彼女と共に生きていく決意を伝えます。クリスティーの手をそっと握り、手のひらのまん中に優しく円を描きながら、神父が彼女に語ったことを伝えます。
「痛みを避けるのではなく、あるがまましておく…この慈悲深い神の空間の中で生きること」2人は涙を流しながらお互いを抱き締めます。

自分と娘に優しい思いやりを感じるマリアン。そして思いがけないほど確かな母親の愛の強さに身を委ねきるクリスティー。2人は一緒に癒やしの道を歩み始めるのです。

リルケはこう書きます。
「私はあなたの心という偉大な手に抱かれたいと熱望している
 ああ 自分を今 受け止めてくれ
 私はこの偉大な手に 自分の人生をのかけらを委ねる」
小さく怯える自分よりも大きな思いやりに満ちた存在に支えられていると感じると、苦しみによって砕けた自分の人生のかけらを受け止める心のゆとりを見つけることができるのです。そしてそのゆとりは他の人の壊れた人生のかけらも受け止めることを可能にします。ひとときは「ひどすぎる」と感じた苦しみは私たちに思いやりの喜びを呼び起こすのです。



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