新たな船の舵輪を握り始めた日。宮城仙台にて新チーム『BULLETIS』を結成しました。
2024年5月1日。
TANAYANです。この度、『BULLETIS』(読み方:バレッツ)という名の新チームを結成しました!
今の私の等身大の気持ち残しておきたく、記事を書いておきます。
BULLETISって?メンバーは?
BULLETISとは、私「TANAYAN(タナヤン)」と「Naofumi(ナオフミ)」からなる、写真・動画好きの2人組チームです。
宮城仙台を拠点に、「旅」を軸にした発信をしていこうと思い、2024年5月1日、結成に至りました。私たち2人とも、同じWeb制作会社に所属する会社員です。
メンバーのNaofumiについて。出会いと、思わぬ再会。
Naofumiとの出会いはバンドマン時代
Naofumiとは、10年ほど前の私が20代前半のバンドマンをしていた頃、ライブハウスで出逢ったのが最初だと思います。お互いバンドマンで、わたしはギター、Naofumiはベースとして活動していました。
バンドマンの頃はお互い顔を知っている程度で、会話を交わした記憶すらないほどなのですが、なんだかんだあり私のバンドが解散し、当時のSNSアカウントを閉じたこともあって、お互い連絡先も知らず、このまま会うことは無いだろうと、そんな感じでした。
Naofumiとの再会
そして、たしか私が26歳の頃。真面目に正社員として働くかと思い立ち、とあるWeb制作会社の面接を受けることに。そして面接が終盤に差し掛かった頃、面接官(その会社の代表)が「会わせたい人がいる」と。
そこで現れたのが、Naofumiでした。
思わず「え?!」と。面接中の会話よりも大きい声が出てたんじゃないかと思います(笑)。それほど驚いた記憶があります。
実はNaofumiは、私が面接に行く半年ほど前にこの会社のコーダーとして入社したとのこと。思わぬ再開。何かの縁でしょう。
※ その後の余談
実はその2年後くらいに、私と同じバンドにいたもう一人のギター兼バンドリーダーが入社。なんだこの縁。 バンドマンがWeb制作会社に集まる事象に名前をつけたい。
なぜこの2人で船に乗り出って出発したのか
そんなこんなで、お互いWeb制作会社の社員として黙々とWebサイトを作り続け約3年ほど。バンドマンという共通の昔事や、写真や動画という共通の趣味もあり、結構な時間を過ごした気がします。
ちなみにNaofumiとのWeb制作は、お世辞なしに仕事がしやすい。(私だけが思っているかもしれませんが)クリエイティブに対するベクトル・考え方・意識が似ている気がします。というか、クリエイティブに対する意識・レベルが私よりも高い。
やはり仕事をしていると、能力の違い、考え方の違い、クリエイティブに対する意識の違い、いろいろある。十人十色な個人の時代、ひとつの目的地に向かおうと集まったチームでもない限り、全員が気持ちよく仕事をできるなんて稀なんだなと。
"メジャーデビュー"を目的地として集まったバンドマンの頃と、今の会社員とを比べて思うのは、「誰と一緒に船に乗るか」ってすごく難しいことだけれども大事なことのように思います。仕事がしやすい人・共通の目標を持って一緒に旅に行ける人っていうのは稀なのかもしれませんし、大切にすべきだなと感じます。
また、Naofumiは、Webコーディングする人材として置いておくのはもったいないと思うほど、映像や写真への才能を感じる。以前、友人の結婚式の前撮りムービーを素人ながら一緒に撮ったことがあるのですが、素人が作ったとは思えない映像。NaofumiのInstagramアカウントで見れるので是非。そして、今回作ってもらったBULLETISのビジュアルアニメーションも流石のもの。
そして気が付けば、私はNaofumiとなら一緒に船に乗って目的地に向かえると確信し、チーム『BULLETIS』を結成。
結成まで約3年間、長かったような短かったような。「今年こそは〇〇をするぞー!」と言い続け、結局何もせず3年間がすぎてしまったとするほうが正しいかもしれません。でも、よくよく考えたら、それまでが下積みのような、本日結成に至ったのは必然のような気もします。
目的地はまだまだ先。起業も考えている。
そんなBULLETIS。今はまだ「チーム」という法律の縛りも何もない状態ですが、いずれは会社として独立を考えています。独立については、私が10年以上前のバンドマン時代から密かに思っていたことでもあります。
今、尊敬できる人達だけと「これがある世の中のほうがハッピーだよね」と自信を持てる事をやろうとしている。これでお金がもらえて、毎日ご飯が食べられて、家族の生活を支えれるのであれば、本当に羨ましい。
まだまだこれからですが、私たちが羨む目的地ユートピアへ、絶えず船を漕ぎ続けたいと思います。
いずれは船に乗る人を増やし、スピードを上げて、船を大きくして、、、なんて思っています。
安定ディレクター業と不安定チームの2船。舵輪を誰かに握らせるか、自ら握るか。
夢は大きく持って語って良いものではありますが、現実はそうさせてくれないのが世の常。わたしく自身、メジャーデビューという夢が叶わず悔しい思いを味わった過去なので、不安が無いと言えばウソになります。
独立したらそこには、小さい2人くらいしか乗れないボートかもしれません。オールもなければ、地図もなければ、羅針盤もなかもしれない。どこに進めばいいか、わからなくなるかもしれない。
逆に、今現在は安定した給料をもらっている会社員でもある。これが良いような悪いような。オールを漕がずとも漕いでくれる人がいる、地図を書いてくれる人がいる、舵輪 - だりん(船のハンドル)を握ってくれる人がいる。よほどのことが無い限り沈没しない船に乗っている。そう、不自由なく生きてはいけます。
それでも私たちは、小さい船に乗り、オールを持ちつつ、運転席で舵輪を握り始めている。いや、助手席じゃなくて運転席に座らなくてはならない時が人生にはあって、それが今だと思う。
おそらくは、この2つの船を行ったり来たりの日々が続くと思う。新たな船は向かい風で、スピードはすごく遅いかもしれない。
今のディレクター業はいつまで?
ディレクターとしてこのnote発信を始めた手前一応言っておくと、今やっているWebディレクター・今のWeb制作会社をすぐに辞めるつもりはありません。
理由のひとつは、現在やっている「ディレクター」という仕事は知れば知るほど面白い仕事です。"Web"という枠が私には少し足かせのような感じる瞬間はあるものの、まだまだ学ぶことは多いし、発信したいこともあります。
来る30歳。オールと舵輪は20歳の頃より重いだろう。
私は来年30歳。
おそらく、バンドマンをやっていた20代の頃に持っていた舵輪やオールと比べると、やはり重いはずです。
今思えば、20歳の後先考えずに進む力ってすごい。この年になるとバンドでメジャーデビューしたいなんて1mmも思わない(笑)。
もしも、もしも、もしも、20歳くらいの方がこれを読んでいたら、もっと自分の好きなことを突き詰めにガツガツ船を漕いでほしい。オールが軽いうちに。それが失敗の航路だとしても、絶対に良い経験になる。現に私がこうして、バンドマンの頃に培ったであろう粘り強さが、今に生きて、こうして改めて何かに向かおうと、人生を諦めず、感動を求めて、やる気に満ちている。あの時の経験が無ければ、波のない平凡な航路であと50年過ごすだろう。
最後に
これから、TANAYANとNaofumiとBULLETISを、どうぞよろしくお願いいたします。
BULLETISのやりたいこと、結成に至った経緯、名前の理由など、BULLETIS公式noteアカウントで詳しく記事にします(今考えているだけで5記事もある)。そちらも是非!
最後に、私がバンドマンの頃に作詞作曲していた『新世界』を紹介します。なぜ急にと思うかもしれませんが、「新たな~」とか「進む~」とか書いていたらふと思い出し、デモ音源を聞いたら、懐かしくも、自分の想いって昔から変わらないなと。。。よかったら是非。
~ 新世界 ~
一応『新世界』の当時のままのデモ音源も残しておきます。明るくポップな曲です。ボカロに歌わせており、半分打ち込みで、ギターは当時のノリと感覚と手癖で弾いてるので下手くそです。ミックスもほぼしてません。デモ音源中のデモ音源で大変お聞き苦しく申し訳ないですが、時間と耳が許すのであれば。。。
※ URLは、Google Driveの共有リンクです。
※ 曲の容量は10Mほど、曲の長さは4分30秒ほどあります。
※ イントロはドラムからギターソロへ入ります。音量にはご注意ください。
フォローよろしくお願いします!
TANAYAN:https://bio.site/tanayan
Naofumi:https://bio.site/naofumiotsuki
BULLETIS 公式:https://bio.site/BULLETIS