短編小説|切る馬鹿、切らぬ馬鹿
【1】
「晴子ちゃんー!そっち持ってー、せぇーの!」
梅川さんの掛け声でブルーシートをバサッと敷いた。
会社の近くの高台にある公園。
桜の木の下。
「よしゃあ。じゃあ荷物、四隅に置きますかぁ。」と梅川さんがテキパキと桜の木の下に花見のためのスペースを作っていく。
梅川さんは仕事が出来る頼りになる先輩。 黒髪、ショートカット、パンツルックのスーツ。カッコいいですねと言ったら「えぇ?ありがとー。楽なだけだよー。」と返してきたのまでカッコいい。
元々は別の大手の会社で働いていたらしい。こんな、小さな会社で働いているような人じゃないのは一日一緒にいたらわかる。大学を卒業して一年。一緒に働いてきて、この会社しか受からなかった私とは生まれつき違う人っているんだと感じた。
私と五歳差の梅川さんは、私より五倍生きているんじゃないかって思ってしまうぐらい、大人の女性の余裕と品がある。
バリバリ働くキャリアウーマンになりたかった私は、梅川さんにどうしても憧れてしまう。
「ねぇ、晴子ちゃん晴子ちゃん。」
「あ、はい。なんでしょ。」
「今、ボッーとしてたね。」
「あ、すみません。」
テキパキとシートの上にテイクアウトで買ってきたケンタッキーやいなり寿司、オードブルを並べている梅川さんに見惚れてしまっていた。まるで毎日、並べてるかのように綺麗に並べられていて、楽しげで。何処からでも手が伸ばせる様な配置。梅川さんが心配り出来るから、こんなお料理の並べ方が出来るるのかなって思ってたら。ボッーと腑抜けてしまっていた。
「いいの。あとは車のクーラーボックスを運んだらお花見の準備終わりー。手伝ってくれてありがとうー。」
「あ、いえ。こちらこそありがとうございます!」
何がありがとうなのーと梅川さんが笑う。女の私が見ても可愛い梅川さんは誰からも好かれていると思う。
「梅川さん、お休みの日にこんなに準備してくれたじゃないですか。だから、その、ありがとうです。」
「まぁ好きでやってるからねー。」
「部長に梅川さん手伝ってこい!って朝言われたんです。一人じゃ大変だからって。」
15人ぐらい来る、小さな会社の交流のためのイベントとしての花見。食べ物やお酒の買い出しを一人でするのは大変だ。
「あぁ!そうなの?部長やるなぁ。ケンタッキー最初に部位選ばせてあげよっと。」
梅川さんがお花見柄のバーレルを抱えて言った。
「あ、でも!晴子ちゃんが一番かな!」
「え。私ですか。そんな。余ったやつ一つ貰えたら良いです。全部美味しいです、ケンタッキーの部位。」
「変な言い方だなぁ。わかるけどー。」
梅川さんがシャシャと笑った。梅川さんと話すのは少し緊張しちゃって、上手く話せなくなる。
「あ、晴子ちゃんさぁ。和菓子好き?」
「好きです。甘いものは何でも好きです。」
「じゃあさ。これ!桜餅。ケンタッキーの隣のお店でさ、覗いたら二つだけ残ってて買えたんだぁ。人気ですぐなくなっちゃうの。食べよ!」
「え、良いんですか?」
「準備した人の役得だよー。経費で落としちゃうから、私のおごりってわけでもないけど!」
お茶いれるねーと、大きな水筒から、紙コップに温かい緑茶を注いでくれる梅川さん。公園に敷かれたシートの上で水筒からお茶を注いでいるだけなのになぁ。
「晴子ちゃんさ。桜餅の葉。食べる派?剥がしちゃう派?」
「私は食べちゃいます!」
「ね!そうだよね!塩っぱくて美味しいよね!」
なんだか、初めて梅川さんと女の子として共感出来た気がして嬉しかった。
「どうぞー。」
「ありがとうございます!」
桜餅を一口頬張ると桜の葉の香りが口に拡がり、こし餡のネットリとした甘さと塩漬けになった葉の塩っぱさが絶妙に美味しかった。
「美味しいです!」
「良かった!これね、実は私が晴子ちゃんみたいに花見の場所取りの手伝いに来た時に、当時場所取りしていた人が教えてくれたお店のなんだー。」
梅川さんが一口、桜餅を頬張りながらそう言った。春風がまだ少し寒いけれど、陽射しは暖かい公園。向こうではサッカーをしている子供達が私達をチラチラ見ている。
【2】
「梅川さん、どう?」
「美味しいですー!桜餅って、こんなに香り良いんですね!」
「はは。このお店のが特別美味しいんよ。でもねぇ、おばあさん一人でやってるから、年々、一日に作れる量減っちゃって。花見の時には何時も買ってたんやけど、今日も人数分も買えなかったねぇ。」
小林さんが残念そうに言う。
桜の下にシートを敷き、場所取りを一旦終え、私と小林さんはすぐ傍のベンチに腰掛けて休憩していた。
「え?そうなんですか?え!私食べちゃった!」
「あぁ。良いんだよ。手伝ってくれたんやから。役得役得。ワシなんて、前は一人で場所取りして、桜餅とケンタッキー食べてたもん。」
シャシャと小林さんが笑う。
「ケンタッキーはばれません?」
「ばれるばれる。口テッカテカ。バーレルはばーれる。」
「わー!面白くないですね!」
二人でシャシャと笑う。
小林さんはうちの会社のマスコットみたいなおじさん。全然、お仕事は出来ないし、スーツもヨレヨレ。でも、人柄が良いと言うか憎めない人で、いつもヘラヘラニコニコとしてて、部署の皆から愛されている。
花見の場所取りを小林さんがやるから、お前手伝ってこいと課長に言われて手伝いにきた。車を出してくれと言われた意味がわかった。こんなに食べ物やお酒を買い出しするのに車もなく、一人でやっていた小林さんがすごい。
「わぁー!待ってくれー!」
風に思いっきりシートが飛ばされた。小林さんは全然追い付かない。私も走って追いかけて、何とかシートに追い付いた。
「四隅に荷物置いときましょー。」と私が言うと「その手があったかぁ」と言う小林さんが私より倍は生きてそうなのに可愛い人だなと失礼にも思ってしまった。
「いやぁ。一人増えるだけでこんなに楽なら、毎年誰かに頼めば良かったなぁ。」
「そうですよ!車もなしにあんなに食べ物やお酒、どうやって運んでたんです?」
「努力。」
「無理があります。」
「何回も何回も運ぶんよ。」
「え?シートの上に置いて、次のを取りに行ってたんですか?」
「大丈夫や。誰もとらへんし。子供達に見といてな!お菓子あげるから!ゆうてな。」
凄いなぁこの人。なんというか悪意がないんだろうな。
「とりあえず、今年の準備も無事に終わった。ワシの一年で一番の仕事終わり!仕事納め!」
「早いなぁ、納めるのー。」
「梅川さん、来てから、部署の仕事も楽なったって皆ゆうてるんやわ。パソコンもインターネットも皆苦手やったから。仕事出来て偉いよー。ワシみたいな仕事出来へんやつはこういう形で居場所作ってるんよ。」
「そんなことないですよ。それに会社のイベントみたいなの、大事です。」
「ありがとう。若い人、こういうの苦手で出てくれへん事多いけど、嫌やないか?」
「いいえ。素敵だと思います!」
「それは良かった。もう一年ぐらいかな?梅川さんがうちに来てくれて。」
「あー。そうですね。そのぐらいです。」
この会社に来たのは去年の春が終わったぐらいの時。桜はもう散っていたと思う。私は前の会社を辞めて。失業保険も貰える期間が終わってしまって。何となく、この会社の事務に応募した。
限界だった。丸ノ内OLなんて言えば聞こえは良いけれど。私にはとても、東京で仕事をし続けるのはもたなかった。
お風呂にも入りたくない。
着替える事も出来ない。
メールの文字が読めない。
電話がこわい。
息の仕方がわからない。
味も匂いもしない日々は冷たく錆び付いて、暗闇の中、前も後ろも上も下もわからない。何が嫌なのかもわからない。私と私以外の境界線がボヤけていて、人の痛みが身体に入ってくるようで。辛い。息苦しい。逃げるしかなかった。
「うちの会社なぁ。社長がワンマンで仕事出来るけど、コミュニケーション苦手でなぁ。めちゃくちゃ社員の事、大事にしてるけど誤解される人でなぁ。」
「まだお話したことないです。なんかこう、眉間に皺よって、寡黙な方だなって。」
「そんなことあらへん。酒入ったら、よう笑うよ。今日、お酒継いだってな。日本酒好きやから。」
「わかりました!私も日本酒飲んでみます!」
「無理はせんでええからねぇ。」
「あ、でも、車…。」
「パーキング止めといて、明日にでも取りに来よ。経費経費や!」
「いいですかね?」
「美味しい酒を飲むためやからええんよ!」
「そうですよね!経費経費や!」
私もつられて、関西弁になってしまった。
小林さんはお仕事が苦手だけれど、全体をみて、会話を、コミュニケーションの場を作るために、いつもヘラヘラニコニコして和ませてくれる。私は小林さんに救われている。
数字や結果を出せる人間ばかりではチームは作れない。逆に言えば数字や結果を出すチームを作りたいならば小林さんのような数字や結果では良さが表せないおじさんも必要なんだと思う。
私はこの会社に入社した時、ひどく緊張していた。また、ここでもうまくいかないんじゃないだろうか。うまくやれるかな。やらなきゃと。
「あ、新しい人やんね。これあげるー。」と缶の紅茶をくれた。驚いている私に「あ、当たったんよ、自販機ー。」とシャシャと笑った。
ありがとうございますと言おうとした瞬間に課長に呼ばれて、小林さんは大事な資料をシュレッダーにかけてしまったようなことで怒られだした。
「小林さんに紅茶貰ったの覚えてます。」
「あー。」
「めちゃくちゃ怒られてました。その後!」
「めちゃくちゃ怒られた。年下の上司に怒られたなぁ!」
「他人事みたいに!」
「仕事何年やってもムズかしいねぇ。」
「ずっとこの会社なんですか?」
「ずっと。社長が幼なじみなんよー。だから、使ってくれてる。他にワシがいけるとこなんかあらへん。二人で関西から東京出てきて会社作ってな。最初から居るから居れてるだけよー。」
社長には小林さんが必要なんだなと思った。
「小林さんが紅茶くれたの嬉しかったです。」
「実はな。嘘ついてしまってるねん。」
「あ、はい。自販機当たりだったってやつ。」
「ばれてんの?!」
小林さんが凄い驚いた顔で言うけれど、会社の周りに当たり付き自販機なんて設置されていないのだからバレるでしょとは言わずにおいた。
「私、前の職場でうまく行かなくて。ここでやっていけるのかなぁって思ってたので。なんだか紅茶一本でそれが解れた気がしました。この一年、どうしようってなったら。同じ紅茶飲んで頑張れました。」
「それはよかった。梅川さんはここに居る様な人じゃないって皆言うやろ。」
皆さんが、私の出身校や経歴から褒めるように言うそれは、疎外感以外の何物でもなかった。
「あれ良くないよなぁ。居るかどうかなんて、本人が決めるしかない。桜を切る馬鹿梅を切らぬ馬鹿みたいなことよ。」
「なんですか、それ?」
「桜はね、枝の切り口から菌が入りやすくて、腐りやすいから、むやみに切ったらあかんのよ。」
「はぁ。」
「で、梅は無駄な枝を切ってやらないと樹形が崩れてしまって、よい花や実がつかなくなってしまうんよね。」
「そうなんですか。」
「せや。ちゃんと個性をみて、一律やない対応をせなアカンのよ。梅川さんはここが合ってるんよ。前のとこで桜やのに枝切られただけや。ここで咲けそうなら、それでええんよ。」
「ありがとうございます。」
「梅川さんの話に桜と梅が出てきて、わかりにくくてごめんやでな。」
「言え。全然。」
「いっぱい働いたなぁ、この会社で。ここで毎年花見出来たんも良かった。」
「え?」
「ワシは今年で退社するんよ。妻があんまり身体元気やないから。」
知らなかった。
「あ、あの。いつ辞めるんですか?」
「ゴールデンウィークまで有給消化して辞めるよ。短い間やったけど、梅川さん。ありがとうございました。」
「そうなんですね。そっか。お疲れ様でした。あの、梅川さんがしてきたお花見とかの行事ね。私、引継ぎたいです。」
「本当に!?」
小林さんが凄い驚いた顔で聞き返してきた。その凄い驚いた顔越しに、会社の皆が公園に入ってくるのが見えた。
【3】
梅川さんが近くでサッカーをしていた子達に「去年もいたよねー。去年手伝ってくれたお礼ー。」とキットカットを配って返ってきた。
「あの子達、毎年いるんだよねー。もっとちっちゃかったのになぁ。去年、シート敷くの手伝ってくれたの。」
「そうなんですね。小学生ぐらいですかね。」
「そだねー。四年生とかかな。晴子ちゃん日本酒好き?」
「あんまり飲んだことないです。」
「そっか!社長も私も好きなんだよね。良かったら御酌してあげてほしいなって。」
「あ、わかりました。梅川さんも飲まれるんですね。」
「ここに来てからね、覚えたの!これ!」
桜の花びらが風で舞って一升瓶を抱えて、クルクルと回る梅川さんを彩る。夕陽がスポットライトのようにそれを照らす。可愛くてカッコいいのに、少しおどけてくれる梅川さんのような人にやっぱりなりたい。
「あ!社長!皆こっちこっちぃ!」
梅川さんが一升瓶を置いて、両手で手を振る。
社長と会社の皆さんと…車椅子を押すお爺さんと車椅子に乗ったおばあさんが、こちらにゆっくりゆっくりと向かってきていた。
「晴子ちゃん!本当にありがとうー。桜餅のことは内緒ね!」
梅川さんが、私にウインクをして、車椅子の方に走っていき、車椅子を押すのを、交代している。
キャリアウーマンになれなかったけれど、梅川さんに出会えたから。この会社に入れて良かったな。