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非認知能力評価の難しさ|『教育現場は困ってる』を読んで

教育・心理学好きの私のハートを貫く榎本先生の新刊。教育好きにはぜひ読んで欲しい一冊!今回は最近の実学思考寄りの教育に警鐘を鳴らす、これまたナイスな一冊でした。

ざっと流れを説明すると、
ひと昔前の「知識漬け学習」じゃ使えない若者が増えたぞ?ってことで「主体性」が重視されるようになってきたんだけども、

・知識漬けってそんなに悪いの?
・知識は思考の土台になるから必要じゃね?
・主体性うんぬんって、黙って勉強してたら主体性ないの?
・先生にアピール上手な奴ばっかり評価されてない?
・契約書読んだりプレゼンしたりする能力を養うって、正気?
・本当に必要なのって、非認知能力だよね
・非認知能力を養うには、楽しいことばっかりやってちゃダメだよ
・一見すると遠回りや無駄と思えることに非認知能力のタネがあるよ

と、ざっと言うとこんな流れで、(榎本先生違ってたら申し訳ありません!ちなみに単なるファンで縁もゆかりもございません)本当にマジで納得。
これと同じことを日々感じて子育てをしています。

上記で言うアピール能力(コミュ力)が評価されとるなあ…というのは感じる部分が多々あります。イジメっ子がコミュ力あることなんて普通なので、先生はいじめっ子をかばいます。なぜなら自分が評価しているからです。
アピール上手って、世渡り上手なんで、それもまた生きて行く能力として必要な部分はありますが、
それを教育で教えてどうする。

我が家は長男も次男も、学校の授業の理解度としてはどちらも中の中なんですが、次男はアピール上手なのと教室をうまくまとめる力があるので先生はベタ褒めです。「とても助かってます。」って、それ成績に関係ある?!と思ってしまいます。実際に長男より評価も高い。
コツコツ努力するのに報われない長男のほうがなにかとエンジョイしてますし、ダメでもともとなんで打たれ強い面もあるのですが…。
結果は出すけど本質をわかってない次男のほうが、親としては心配です。

今の子達って、衣食住の困りごととほぼ無縁で育つので、親が意図的に苦労や試練を与えなかったら、本当に打たれ弱く育ちます。
その上教育が「コミュ力」「アピール上手」を評価するので、
陰で人をイジメているのに受験対策で生徒会に立候補するという
「よくもまあそんないやらしいことが平気でできますね」
ということが現実におこります。
人の痛みや苦しみ、努力への共感性などは育っていないのに主張だけはいっちょまえ。
それがお上の認める「主体性」だからタチが悪い。

でまたこの「主体性」教育もなんかちょっと違うなと思うから今度は「楽しい実学」教育へと方針替えが始まってるわけですが、どんどんとおかしな方向へ向かってる。
小学校から英語教育?
駐車場の契約書を読む国語?
本当にそれ必要でしょうか?

楽しくなくては身につかない、
役に立たなければ教育とは言えない、
それも確かに一部真理ですが、
楽しい と 楽(らく)
これが同じ漢字なだけに、履き違える人が多い。
本当の楽しさは、負けて負けてプライドもぶっ壊されたような
精神も身体も鍛錬を重ねた先にしかないと思っています。
すべての基本が、いわばズタボロと立ち上がりを繰り返してようやく身に付くと思っているからです。

まぁ何言ってるのかわかりませんが、
教育というのは
『万人にとってすべからく成長できる魔法のプログラム』でなければならないという、そもそもの矛盾があり、
1人の人に良かったプログラムを、全体的に再構築した瞬間に魅力を失うというジレンマがあります。

だから、最終的に私は、
オーダーメイドの教育ができるのは家庭しかありえないし、
ますます「親力」が大事な時代になってきたなぁと感じています。

非認知能力って、非認知だからこそ、その成長も発達も長い時間をかけて見守ることのできる存在にしか評価できない。
それができるのって親しかいないです。
やっぱり教育はその教科の知識をしっかりと蓄え、
専門的分野から知的な好奇心を揺さぶってくれるような魅力ある授業をしていただくことを期待します。

榎本先生の本はやっぱりおもしろい!
ご清聴ありがとうございました。

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