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「知る権利」と「知らないでいる権利」をご存知ですか?
「知らないでいる権利」。
私は今日の今日まで「知らないでいる権利」の存在を知りませんでした。
発端というべきか、経緯はこんな感じです↓
たななこんぶに関係する人が、遺伝する(している)リスクのある難病だとわかりました。
それは、世界的にも珍しく、研究者たちが今後の治療方針の明るい未来のために、ぜひ調べたい!となるレベルの話です。
私は、星空の「何億光年」の話で、今見えている光は平安時代に発せられた光だ、というとてつもない壮大な話に似ている、というのが最初に抱いた感想です。
つまり、ちんぷんかんぷん、なんのことやらさっぱり、の状況です。
ましてやド文系なので、医学的知識を持ち合わせておりません。
なので、難病の話を知ったときは、必死で自主的に調べました。
言うなれば、「知る権利」を行使した形です。何も間違っておりません。
それが、です。
話が非常に複雑なので割愛しますが、今日になって「知らないでいる権利」があることを知ったので、まとめます。
たななこんぶの調べによりますと、
遺伝子情報は最大の個人情報、だそうです。
そんな感覚、全くつかめていません。
星空の例が遠すぎて、だとすれば、遺伝子の例は近すぎて、さっぱりわかりません。
だけど例えば。
「悪さをする遺伝子をAさんが持っています」とニュースで報道したりすれば、Aさんの人権侵害にあたる、くらいは私でもわかります。
それの拡大版が、いろいろあるようです。
遺伝子なので、Aさんの血縁者にも、「悪さをする遺伝子」を持っている可能性があります。
「かもしれない」段階でペラペラしゃべるのもどうかと思いますし、「悪さをする遺伝子をAさんの血縁者も持っている」とニュースで報道することも血縁者の人権侵害にあたります。
それは、理解できています。
他に、そういう観点ではない問題もあるようです。
他人の目線が、ではなく、自分で自分の見方が変わる、という類の問題点です。
「あなたには、悪さをする遺伝子があります」と言われたとき、自分はどういう反応をするのか。
余命宣告と似ていますね。
そ、そんなバカな… うろたえもしますね。
じゃあ、どうしようか… 冷静に考える時期もあるかもしれませんね。
遺伝子の話なので、子孫繁栄にも影響します。
必ず遺伝するとは限りませんが、若い方だと家族計画に影響を与えます。
おそらく、多くの方が、少しでも情報を得て役立てたいと感じるのではないでしょうか?
でも、です。
でも、
あなたは本当に、こころの底から、その情報、知りたいと思っていますか?
ということです。
遺伝子レベルの情報になると、この命題を突きつけられます。
遺伝子情報は、死ぬまで変化しない内容です。
仮に悪さをする遺伝子を自分が持っているとわかったとき、
あなたは死ぬまでその事実と付き合っていく覚悟はありますか?
けれど、メンデルの法則のように、100%悪さをする遺伝子を受け継ぐ(受け継いでいる)とは限りません。
これは、遺伝子検査をしてみなければわかりません。
いわば、賭け、です。
「悪さをする遺伝子を持っていない」という安心感を得たいなら、遺伝子検査を受ける必要があります。
と同時に、「悪さをする遺伝子を持っている」という結果が出るかもしれないリスクを背負わなければなりません。
それでも、あなたは、遺伝子検査を受けたいですか?
これがひとつめの意思決定の場面です。
もちろん、「はい」でも「いいえ」でも構いません。
もし「いいえ」を選択するなら、「知らないでいる権利」を尊重したことになります。
ふたつめの意思決定の場面は、遺伝子検査を受諾して検査を受けた後、結果を聞くか聞かないか、です。
えっ? 検査受けたら聞くものなんじゃないの?
私がそう思っていました。
真相は、違います。
聞きたくなかったら、断ることだってできるのです。
これも、「知らないでいる権利」のひとつです。
「知る」「知らない」をめぐっては、大きなワナがあります。
それは、一度知ってしまったら、もう、過去には戻れない、という仕組みです。
「知る」という行為は、知らない状態(線)から知っている状態(線)へ切り替える「点」です。
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知ろうとすることはできるけど、知ったことを忘れさせることはできません(今のところ薬もないので)。
「知らないでいる権利」を選んだ後、やっぱり知りたくなって「知る権利」を支持しても構いません。
ですが、「知る権利」を選んだ後、やっぱり知りたくなかったと「知らないでいる権利」を支持することはできないのです。
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例えば私事、発達障害は遺伝する説があります。
もしこの説を信じるなら、より深く知りたいと選択するのも自由ですし、
何も知らずにやっていけている人もいるのだから知る必要はないと選択するのも自由です。
「知る権利」「知らないでいる権利」は強要するものでもありません。
ただ、まわりに流されてよくわからないまま知ろうとしてしまう、言うなれば「知る権利」を選択してしまうことが、現在の日本では十分あり得る話だと思います。
もともと知らない、のではなく、「あえて知らないでいる」選択もあるのだ、ということを念頭に入れておきたいものです。
そして最後に。今回わかりやすく遺伝子を「悪さをする」と表記しましたが、
仮に本当によくない遺伝子だったとしてもその人を否定することには繋がらないことを強調しておきます。
参考文献(以下の資料を読んだことで考えをまとめるきっかけになった)
東北メディカル・メガバンク機構
MGen Aid
長崎大学脳神経外科