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ChatGPTはソシュールの構造言語学を内包しているのか

今回は、ChatGPTとソシュールの構造言語学をテーマに考察していきたいと思います。



ソシュールについて

フェルディナン・ド・ソシュール(1857-1913)はスイスの言語哲学者であり、「近代言語哲学の父」と言われる人物です。

ソシュールはスイスの名門に生まれ、幼少期からドイツ語・英語・ラテン語ギリシア語を習得し、言語学の研究にのめり込んでいきました。

ソシュール言語学の最も特筆すべき点は、モノの体系と言語の体系が言語圏によって異なることを証明する理論を立てた点ではないでしょうか。

フランス語の羊(mouton)は英語の羊(sheep)と語義は大体同じである。
しかしこの後の持っている意味の幅は違う。理由の一つは、調理して食卓に供された羊肉の事を英語ではmuttonといってsheepとは言わないからである。sheepとmoutonは意味の幅が違うのである。

寝ながら学べる構造主義/内田樹

上記の例では日本人には馴染みの薄い羊が挙げられているので少しわかりにくいですが、ここで重要なのは「意味の幅が違う」という点です。

このようにソシュールは、ある言葉が概念として指し示す範囲が言語圏によって違うということを説きました。

こうした背景からソシュールの構造言語学では、言葉はシニフィアンシニフィエという2つの面から成り立つとされています。


シニフィアンとシニフィエ

ここからは、このウェブサイトでわかりやすく解説してくださっていた
ため、解説画像をお借りしながら進めさせていただきます。

シニフィアンとはある物事を表す言葉そのものを指し、シニフィエはその言葉を聞いた際にイメージする概念を指します。

下図の例ですと、「ネズミ」という言葉自体がシニフィアンで、『「ネズミ」という音を聞いた時に頭に浮かぶイメージ」がシニフィエです。

シニフィアンとシニフィエの例(引用元リンク)

加えてソシュールはある言語と概念の組み合わせは、そのコミュニティ内のローカルルールに過ぎないと言っています。

例えば、日本語では大きなネズミも小さなネズミもまとめて「ネズミ」と
呼びますが、英語では大型のネズミは「rat」、小型のネズミは「mouse」と大きさで区別して呼びます。

「ネズミ」に対する英語と日本語の捉え方の違い(引用元リンク)

このように、言語は特定の意味とあらかじめセットになっているのではなく、それぞれのコミュニティ(言語圏)の考え方の違いによって、別々の発展をしてきたというのがソシュールの主張なわけです。

非常に面白い考え方である一方で、私はこの内容を学んだ際に全く別のことを思い浮かべてしまいました。

それは、ChatGPTはソシュールの構造言語学を内包しているのか?
という点です。


 ChatGPTによる実験

今回はこの疑問に答えるために、前述した「ネズミ」の例を使用した簡単な実験を行ってみたいと思います。

手順は以下の通りです。(モデルはGPT-4oを使用)

  1. ChatGPTに日本人のペルソナを設定し、「ネズミ」のイメージを画像として生成してもらう

  2. その後、アメリカ人のペルソナを設定し、「rat」のイメージを画像として生成してもらう

  3. 同様に「mouse」のイメージも画像として生成してもらい、それぞれの出力画像の比較を行う

ペルソナの設定方法としては、ChatGPTのCustom instructionsを使用し、

  • 日本人のペルソナ→「私は日本生まれ日本育ちの純日本人です。」

  • アメリカ人のペルソナ→ 「I am a pure American, born and raised in the United States.」

という条件をそれぞれに付与します。

各設定において画像を3回出力し、その傾向の違いを見てみましょう。


日本人の「ネズミ」のイメージの生成

日本人の「ネズミ」のイメージ(1回目)
日本人の「ネズミ」のイメージ(2回目)
日本人の「ネズミ」のイメージ(3回目)

なんか、全体的に丸々とした可愛らしいイメージが出力されてますね。
傾向としては小型サイズ(英語でいうmouse)に統一されており、The • 小動物といった感じでしょうか。

この後に何回繰り返しても同じような傾向だったため、ChatGPTにとって
日本人の「ネズミ」のシニフィエ=丸っこい小型サイズ
であると考えられますね。これは中々興味深い発見ではないでしょうか。

続いて、アメリカ人での実験の結果を見てみましょう。


アメリカ人の「rat」のイメージの生成

アメリカ人の「rat」のイメージ(1回目)
アメリカ人の「rat」のイメージ(2回目)
アメリカ人の「rat」のイメージ(3回目)

なんか、全体的に雄々しくないですかね…
明らかにさっきの日本人とネズミのイメージと違って、俺がボス!って感じですね。大きさもちょうど大型サイズと言えるぐらいでしょうか。


アメリカ人の「mouse」のイメージの生成

アメリカ人の「mouse」のイメージ(1回目)
アメリカ人の「mouse」のイメージ(2回目)
アメリカ人の「mouse」のイメージ(3回目)

ちょっと可愛らしすぎませんかね…
明らかにさっきの「rat」とは正反対のマスコット的なネズミが生成されており、大きさも小型サイズに統一されています。


実験結果まとめ

3つの単語から生成された画像に明確な違いがみられましたが、今回の結果をまとめると次のようになります。

日本人とアメリカ人のペルソナを与えたChatGPTは、
「ネズミ」「rat」「mouse」というシニフィアンに対して

  • ネズミ= 丸っこい、小型サイズ

  • rat = 雄々しい、ボス感がある大型サイズ

  • mouse = 可愛らしい、マスコット感がある小型サイズ

というシニフィエを持っている

私自身アメリカの文化に乏しいため、実際に今回のイメージがアメリカ人の持つシニフィエと合っているかは分かりませんが、これまた非常に興味深い結果になったと言えるのではないでしょうか。

ChatGPTとソシュールの構造言語学、非常に考察しがいのあるテーマだと思うのでまたどこかのタイミングで触れたいと思います。

今回はこのへんで。


終わりに

最後に、研究者としても活躍されている山口周さんの著書「武器になる哲学」での示唆に富む解説をご紹介したいと思います。

ソシュールの指摘がなぜ重要なのか、それは語彙の豊かさが世界を分析的に把握する力量に直結する、ということを示唆するからです。
ソシュールが指摘するように、ある概念の特性が「他の特性ではない」ということなのであるとすれば、より多くのシニフィアを持つ人は、それだけ世界を細かく切って把握することが可能になります。
(中略)
概念という言葉しか持たない人は、概念という言葉の中に含まれている「シニフィアン」と「シニフィエ」を分けて認識することができません。
「シニフィアン」という語彙を持っているからこそ、ある概念が示された時に、それが「シニフィアン」なのか「シニフィエ」なのか判別する機構が働くことになるわけで、これはそのまま、世界をより細かいメッシュで分析的に把握していく能力の高低につながることになります。

武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50/山口周

一言でいうと、言葉の解像度が世界の解像度に直結するということですね。

これについてはPOSTS代表の梶谷さんも同様のことをおっしゃっています。

私自身、世界をより解像度高く捉えたいと思う一方で、自分の語彙力の乏しさに辟易する日々です。

世界に対する解像度を上げるための活動の一環として、今後もnoteの発信を続けていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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