資本主義のここがダメ!-予備校編-
こんにちは皆様。今日も元気に資本主義社会でメイクマニーしてますか。
そんなにメイクマニーしてないよという皆様も、日々競争社会を生きる中でお疲れだと思います。そんなところで少し、私の愚痴でも聞いてください。
私は予備校が嫌いです、特に大手の。ちなみに、通ったことはありません。じゃあ、嫌いかどうかなんてはっきりとわからないだろ、そう思うかもしれませんが、私は予備校という商材のマーケティングの構造そのものが気に食わないのです。
予備校がどうやって儲けているかなんて単純、そこで学ぶ生徒の数を増やせばいいのです。では、学ぶ生徒を増やすにはどうしたらいいのか。一つに、そこで提供される教育の質を高め、通っている生徒が難関校に合格する確率を上げて、それを売りとすることです。これは、至極当たり前のことです。
しかし、もう一つあります。それは、学歴にそれほど頓着がない層に、いかに(高)学歴が有用であるかを説き、低学歴には価値がないと布教することで、学歴競争の参加者を拡張し、新規顧客層を増やすというやり方です。
基本的に、そもそも学歴に頓着がない層というのは、学歴が無くても比較的幸せになれる層です。例えば、アフリカの子どもは我々からすればすごく貧相な生活をしているように思いますし、事実日本で生まれ育った私たちがそれと同様の環境に身をおけば、不幸を感じるでしょう。
しかし、そこで感じる不幸とは、今現在体験している日本社会の豊かさと強制的に比較されることに起因する不幸であって、それを知らないアフリカの子どもたちは、感じる不幸の度合いは低いでしょう。
つまり、自分の外にある豊かさというものは、目に入らない限り、人々はそれぞれ独立した幸せの価値基準を維持できるのです。
予備校というものは高学歴層の豊かさに焦点を当て、あまり学歴に頓着のなかった層もその土俵に無理矢理ぶち込むことで、高学歴じゃないとダメなんだという刷り込みを与え、市場を拡大します。
wak○ette.tvなんかは、本当にそういう目的の上で行っているかはわかりませんが、わかりやすい例だと思います。
いわゆるFランと言われる大学に通っているがそれでも十分満足だ、という人であろうと、Fランであることを嘲笑の対象にするような演出を行い、高学歴こそ全てだといった風潮を醸し出すのです。(しかし、あれは根っから学歴社会を生きる人々を主な視聴層としたエンターテインメントであるので、予備校のマーケティングの足しになっているかは微妙なところです。)
以上のように予備校というものは、ポジショントークで人の人生の幸不幸の価値観に介入することによって市場を拡げ、より大きな儲けを得るという構造になっています。
一方で、そのようなマーケティングを行わなければ、一民間企業である予備校はこの過激な競争社会では生き残れませんし、より大きな資本を得なければ教育の質を高めることもできません。そこに、資本主義の構造の欠点があるのです。
学歴社会に元から順応している人々が、明確な目的をもって予備校に通うことには何の問題もありません。しかし、予備校がそのような人々を呼び込むために、彼らに求められる教育の質というものを向上させるには、より多くの人々の幸福の価値観を歪め食い物にしなくてはいけません。
やはり問題は、企業がマーケティング戦略として、わざわざ本来目の届かない範囲にある豊かさすらも可視化することや、万人に必要でないものも、まるでそれが万人に必要かのような潮流を作り上げることを通して、人々の幸不幸の価値観を決める判断プロセスに大きな影響を与えていることです。
日本が資本主義を基調とした社会である限り、この構造は是正することができません。予備校に限らずとも、似たような例はたくさん存在します。
かといって、共産主義がいいかと言われたらそうでもないんですが。以上、愚痴です。お付き合いいただきありがとうございました。
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