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台湾ひとり研究室:翻訳編「#52作品の舞台をどう説明するかもう一度じっくり考えてみました。」
台湾書籍《大港的女兒》 の翻訳者が、日本版の刊行前後の進捗をリポートしていく有料マガジンです。公開から1週間は無料でお読みいただけます。今回も引き続き、リベンジ準備第2弾、舞台設定のお話です。
先日お邪魔した弥生子さんのVoicyでうまく回答できなかった、という反省から次に向けた準備をしてしまおう、という七転び八起き、転んでもそれを題材にして考えてみよう、というシリーズとして前回はあらすじを再考しましたが、今回は舞台設定の言語化を試みてみます。
まず、反省の回で書いたことを、もう一度掲載しますね。
作品の説明として1930年代の台湾高雄、というところまでは説明していたのですが、「じゃ、それは(今と違って)どんな場所だったんですか」と聞かれてハタと引き出しが空っぽなことに気づきました。考えてみれば、日本統治50年の大枠をどう説明するのか、そのなかで30年代はどうだったのか、高雄はどうだったのか……作品の翻訳はしたものの、そのことと自分で概要を語ることは別物であることに気づかされました。
「語れる」「説明できる」ということのためにはその材料が揃っていてはじめてできる行為です。その意味では、まず1930年代についての史料を探し出して読んでみました。
1930年代の台湾高雄を整理する
勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15