あのとき、インターネットで
9年前の今日。地震のあと、何時間かかったか覚えてないが、オフィスから徒歩で帰宅した。先に帰宅していた妻は呆然としていた。
妻の実家は陸前高田市にあり、家族に全く連絡がつかない。
いくつかの市町村では、運良く高台に逃れたTVカメラに捉えられた津波の映像が流されてくる事もあったけど、陸前高田は全く情報がない。
夜半には「陸前高田はほぼ壊滅」という情報さえ流れてきた。
家族の安否もわからない状態で故郷が壊滅なんて、僕は妻に声すらかけられなかった。できることなんてなんにもないよね。こんなに無力感を覚えたことはなかった。
すこしでも希望がもてる情報を
翌日、アジア航測さんが最新の航空写真を公開していた。陸前高田の写真ものあった。画像を開いたとき「うそだろ…」ってホントに声が出た。
断片的なシーンはTVでさかんに流されていた。でも街全体の状況を俯瞰して見たのはこれが最初だった。僅かな救いだったのが、妻の実家の地域はこの写真におさめられた範囲から少しはずれたところにあったこと。実際にどうなっているか分からないが無事でいる可能性がゼロではないと信じるしかなかった。
とにかく、被害状況や家族の安否情報が分かるものはないか、探し続けた。
twitterなどのSNSから官公庁のサイト、ありとあらゆる情報にアクセスし続けた。
そのうち、他にも情報を探している人がたくさんいて、慣れないインターネットで必要な情報を見つけられなくて困っている人で溢れかえってることに気がついた。
見つけられない情報少しでも情報を整理して必要な人に見てもらえたら、役に立つんじゃないか、情報を出し続けていれば、こちらにも必要な情報が入ってくることもあるかもしれない。
そう思ってこのページを立ち上げた。
そのあと、@wiki上で有志が集まり大規模に情報収集が始まっていた。
ここでは、被災者のため、またそれを支援する方のための情報をまとめています。
また、地震の情報などもリアルタイムでまとめています。
深呼吸、5秒間でいいので遠くを見て落ち着いてみてください。
今日本に居る全ての人間でこの災害を乗り越えてみせましょう。
トップページのこの言葉には励まされた。
その後、この有志に合流し、重複していた情報をこちらに統合して情報を更新し続けることになる。
当時のまま残されている安否情報の簡易掲示板には悲痛な書き込みがあふれている。今でも、読み返すと胸がふさがる。
すぐに現地に飛んでいきたい気持ちだったけど、まだ道路も開通しておらず、状況も分からないまま乗り込むのは無理だった。とはいえ、ここでPCとにらめっこしてポチポチやってるだけで何かになるのか、いやちょっとでも情報を届ける役に立つなら意味があるんじゃないか。一週間くらいはずっとそんなことを考えながらひたすらPCに向かっていた。
GoogleMAPから光明が
陸前高田の航空写真がGoogleMAPが被災地の最新航空写真の公開始めたのは早かった。震災から数日後だったと思う。
僕もこれにすぐに飛びついた。祈るような気持ちで妻の実家の位置を探す。
地図には流された建物後やら瓦礫やらが生々しく写り込んでいる。妻の実家の周辺も見ることができた…ギリギリ津波が来たラインかどうか。瓦礫で埋もれているものの、これならちょっと高台に逃げていれば助かっているかも!光明が見えた気がした。
この写真を公開するためにGoogleの方の大変な努力があった事ものちに知った。GoogleはParsonFinder(安否情報検索)の立ち上げも早かった。インターネットの力で役に立っている人がいることが心強かった。
家族の無事が確認できたのはそれから一週間後のことだった。
様々な立場で、様々な支援
様々な支援団体の動きも情報が入ってくるようになった。
SAVE TAKATAのメンバーと知り合ったのもこの頃。彼らは復興支援にとどまらず、現在も地元陸前高田のために奮闘している。
また、「助けあいジャパン」さんの活動はすごかった。
今日のさとなおさんのnoteを見て、震災直後からこれだけの動きをされていたのか、と改めて脱帽。すごすぎる。
インターネット自体も綱渡りだった
この震災のとき、被災地以外ではネット回線がが止まったりすることはなかった。インターネットは震災に強い、SNSの情報発信は震災向きだ、などと喧伝されることもあった。
インターネット回線は、海外と海底ケーブルで直接つながっているのをご存知だろうか。
東日本大震災のときには、5本のうち4本が断線するという、日本中のインターネット回線が機能不全に陥ってたかもしれない危機があったのだ。
(一部、中国・台湾とつながるケーブルもあるのだけど、米国と遮断されるとまずトラフィックが支えられなくなって使い物にならなくなる)
このときにトラフィックの迂回や調整に奔走して、日本のインターネット回線を維持し続けるために奮闘した方たちがいたことを記憶にとどめておきたい。
震災はまた起こりうる
残念ながら震災は無くならない。いつかどこかでまた起こりうる。
もし生きているうちにまた大きな災害が起こることがあっても、そのときの自分がそのときに何ができるかを考え、動くことができる人間でありたいと思う。
9年前のあの時、たくさんの方々がそれぞれの立場で知恵と力を出し合ってできることを考え、行動に移したように。
まだ、終わっていない
9年が経っても、2,562名の方がまだ行方不明です。
大切な人の帰りを待っている人がいます。
すべての方が家族のもとに、ふるさとに還れますように。
今日はここまで。
それでは、またあした。あしたからも生きていきましょう。
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