齋藤智裕「KAGEROU」読書感想文
受刑者となって、変ったことがいくつかある。
ひとつには、テレビを見るようになったこと。
毎日、18時から20時45分までテレビ視聴はできる。
免業日となる土日は、食事の前後以外はテレビ視聴できる。
お気に入りは「かんさい情報ネットten」の若一光司のコーナーがある水曜日と「大河ドラマ」と「ブラタモリ」と「バスサンド」と「月曜から夜ふかし」あたりか。
娑婆では、それほどテレビは見てなかった。
16歳で家出した自分は、テレビがない時期が数年あった。
大人に交じって仕事して自活もしてたし、以外は遊びに出歩いていたので、テレビを見る習慣がないまま大人になって、それが続いていただけだった。
となると流行の話題には疎くなる。
人気のドラマやお笑い、スポーツもろもろ、あとはタレントや歌手、というものがよくわかってない。
人の本がおもしろくないと感じる前に、まずはそれを言ってる自分がおもしろくない。
こういう人間が懲役になって書いた読書感想文というのは、ひらすら暗色である、というのはわかってる。
なんにしても、テレビも飽きる。
それに、この時間の番組ってのは食べ物ばかりが取り上げられているから、気がつくと目を丸くして「ああ、うまそう・・・」などつぶやいて、本気でツバを飲み込んで画面に見入っている。
懲役病の末期である。
我にかえって読書に走るのだった。
・・・そんな檻の中の受刑者が読んだ、齋藤智裕の「KAGEROU」の感想文です。
この本を読んだきっかけ
あああぁ、おもしろくなかった、と心から文句をいえる小説を意図して読みたい。
読み終えた直後に、放り投げれるほどの本を読みたい。
今のタイミングで確実に読みたい。
悪意がある選本なのはわかっている。
ここ2週間ほど、読みごたえがあって心にズンとくる本を立て続けに読んだ反動だった。
ユン・チアンの「ワイルド・スワン」に、遠藤周作の「沈黙」に、瀬戸内晴美の「密と毒」に。
もし、次にもズンとくる本を読んでしまったなら、おなかいっぱい感に陥ってしまう
となると、心にズンのハードルが上がってしまい、もし、その次に良本を読んだとしても、心にズンが以前よりも来なくなる可能性を感じている。
あるいは、この2週間の心にズン、・・・要は感動が、その感動が薄れてしまう恐れも考えられる。
たとえ悪意があろうとも、確実におもしろくない本を読んで、いったん「やってしまったぁ」と頭をかかえて、それで生じる心のガツガツを抱きながら次の良本を開いて、より大きな感動を得たい。
そのための意図した確実におもしろくない本であって、この来たるべき日に備えて、官本室で何冊かマークしてあった。
小説家の齋藤智裕の記憶
その悪意でマークしていたうちの1冊が、齋藤智裕の「KAGEROU」である。
俳優の水嶋ヒロが、人気絶頂のころ「齋藤智裕」として出版された小説。
ポプラ社小説大賞を受賞してから、関係者一同、水嶋ヒロの小説だと知って驚いたという実力ある小説。
それ、出来レースでしょ?
商売しちゃったんでしょ?
ポプラ社さんが。
けっこう大きなニュースだったから目にしただけだったが、当時、そのように下衆な推測をしたのも記憶も残っている。
歌手の綾香と結婚した彼は「これからは齋藤智裕として小説家になる」とも語っていた当時のニュースも記憶にある。
おもしろくないだろう理由
本の題名は、しっかりと覚えていた。
だって「陽炎」を「KAGEROU」って書いちゃうんだから。
「陽炎」のほうが響きがいいのに。
自分としては、すでに題名だけでおもしろくなかった。
イケメンの水嶋ヒロへのやっかみもあるのも認める。
それから何年も経つ。
どうでもいいから知らないだけかもだけど、齋藤智裕の2作目は聞かない。
たしか、ポプラ社小説大賞も “ やらせ ” だと批判を浴びて終了している。
当時に感じた、ポプラ社小説大賞への下衆な推測がどんぴしゃりで当たりそうな予感で、借りたときは楽しい気持ちすらあった。
登場人物
大東泰雄
リストラとなって無職の41歳。
サラ金から500万借りている。
よくわからないギャグも多い男。
42歳の誕生日に、ビルの屋上から飛び降り自○を図る。
そこに京谷が現れ、引き止められ、大金を提示され説得されて、臓器移植のドナーとなる。
京谷貴志
医療法人全日本ドナーレシピエント協会コーディネーター。
協会トップの養子という立場でもある。
ビルの屋上から飛び降りようとしている大東に声をかけて、ドナーになるように説得する。
説得してからは、大東を協会の施設に連れていく。
大東の摘出手術の途中、疲労で倒れる。
急遽、大東の脳を移植されるが、人格までが移植された。
天木茜
20歳。
幼少期から心臓が悪い。
大東とは、施設の移動中の車の中で会話を交わす。
その大東の心臓が移植される。
移植後は、夢だった看護学校に通うまでに良好に回復する。
読感
出来レースを暴いてるみたいな読書感
悪意の読書が、これほど楽しいとは。
いちばん最初に感じた、ポプラ社小説大賞の出来レースを確かめているようで楽しい。
まずは、ページを開いて驚く。
文字も大きく、行間も広い。
2時間もあれば読める本。
これが、ポプラ社小説大賞・・・。
本当に、本当に正直な気持ちをいえば、もうこれでポプラ社の小説は読みたくないな・・・ということだった。
聞いたことない比喩がたくさん出てくる
なんてたって、ウザいギャグがけっこう出てくる。
“ ウザい ” と言葉を、まったくといっていいほど使わない自分が、すんなりと使ってしまうほどのウザさ。
サブい比喩もたくさんでてくる。
その度に「まだだぁ!」と楽しくなる。
たしか林真理子がエッセーで『黒山の人だかり』などいう表現は作家として使ってはいけないと書いてあるのを読んで、そういうものなんだ・・・と思ったこともあるが、齋藤智裕はそこを軽く超越している。
廃墟のデパートの屋上・・・でいいのに、放置された遊具はまるで墓標のようだった、とか。
車が走りだした・・・でいいのに、まるで熱せられたフライパンの上のバターが溶けるように車が走りだした、とか。
牛丼を食べた・・・でいいのに、ホカホカの牛丼をまるで練習を終えた野球部員のようにガツガツと口へ運んでいた、とか。
陳腐・・・という語句は、こういうときに使うのだなと、実地で理解できた読書だった。
期待を裏切られもした
最初は予想通りにおもしろくなくて、中ほどはグイグイと進んで、終わりは尻切れトンボ感があって、変なモヤモヤが残る。
雑ではあったが、不思議なことに、当初の悪意は薄れた。
もっと練りこめば、そしてあのサブい比喩を省けば、もっとおもしろくなるのに・・・と、今後の小説の発表に期待を持ってしまった。
あああぁ、おもしろくなかった、と言い切れない。
読み終えた直後に、放り投げれるほどではない。
そういう意味で、期待を裏切られた読書だった。
雰囲気を重視したあらすじ
飛び降りの前に声をかけられて
その日の夜、俺は廃墟のデパートの屋上から飛び降りようと階段を上っていた。
42歳の誕生日だったが、まったくいいことがない。
会社はリストラされていて無職。
サラ金からは500万借りている。
俺の人生なんて、まるでKAGEROU、おっとカゲロウみたいだ。
・・・ 上記は若干のアレンジがある。
が、そのくらい軽くて薄い死に際の42歳が描かれている。
続きである。
もういいだろう。
ここらで飛び降りてやる!
夜の廃墟の屋上は遊園地となっていた。
放置された遊具は、まるで墓標みたいだった。
フェンスを乗り越えた。
飛び降りようとした寸前に止めたのが京谷だった。
なんでこんな夜の廃墟のビルにいるのかは知らないが、なんじゃかんじゃという協会の臓器移植コーディネーターをしているという。
で、自○するくらいだったら、臓器移植のドナーにならないかという。
京谷は、まるで教会の神父みたいな笑みをしていた。
臓器移植で2370万4300円
そんな話、あやしいではないか。
しかし、示された金額は、2370万4300円だ。
えらく細かいが、京谷はきっちりと「全身を提供するとこの金額です」と説明する。
その金だったら親に残したい。
臓器提供で○ぬのはかまわんが、金は親に渡るのか?
その点の説明も、京谷はきっちりとした。
いいだろう。
俺は飛び降りはやめにして、京谷の車に乗った。
まるで熱せられたフライパンの上のバターが溶けるように車は走りだした。
その、なんじゃかんじゃ協会の施設に到着する前には、京谷は牛丼をおごってくれもした。
腹は空いていた。
俺はホカホカの牛丼を、まるで練習を終えた野球部員のようにガツガツと口に運んでいた。
すったもんだあったが移植手術は実行された
施設についてからは、移植についての契約。
摘出手術は、眠りについているうちに行なわれる。
なんの苦痛もなく、俺は○ぬことになる。
目が覚めると、まだ○んではなかった。
でもなにかおかしい。
体が、というか外見が、あの京谷になっているようだ。
実際に、京谷として呼ばれている。
俺は、とっさに京谷のフリをした。
京谷のフリを続けてわかったことは、俺が摘出手術を受けている途中で、京谷は疲労で倒れたのだった。
脳内出血だったらしい。
京谷は、協会の理事長だかなんだかの、ともかく協会トップの養子でもある。
それなものだから、急遽、特別扱いで悩移植手術が行なわれたのだ。
俺の脳の。
悩の移植は成功したようだったが、ついでにというか、意識というか、人格までそっくり移植されていたのだ。
俺は、これからは京谷として生きることに決めた。
心臓の移植先の彼女の病室を訪ねて
気になることがあった。
天木茜のことだ。
彼女とは、施設に移動中の車の中で居合わせて、会話を交わしている。
それから1度だけ、つい脱走しちゃったときにも彼女と話してもいる。
彼女の唇は、まるで雪の上に落としたイチゴみたいだった。
とにかくも、俺の心臓は、彼女に移植されているはずだ。
彼女の病室にいってみた。
すっかりと回復していた彼女だった。
もちろん俺のことは、移植コーディネーターの京谷だと思われている。
看護学校に通うという話も、笑いながらできもした。
俺がドナーになってよかったのだ。
聴診器を彼女の胸に当てて、心臓の音も聞いてみた。
とくとくとく・・・と音がしている。
それを聞きながら涙がこぼれてきた。