磯田道史「日本史の探偵手帳」読書感想文
矯正指導日には、視聴番組があった。
その日は、太平洋戦争の神風特別攻撃隊の番組。
それについて、1000文字程度の感想文の提出が求められる。
正直な感想はあるけど、それは教育担当の女性刑務官には受けないのはわかっていた。
提出用の、評価をよくするための感想を書かなければだ。
まず、感想文の3分の1弱には戦争の悲惨さを盛大に嘆く。
そこから3分の1は、当時の女性賛美。
残りの3分の1強は、自分の犯罪に強引に結びつけて、さらにもっと女性賛美を加えて、反省の念で締める。
女性賛美の部分は、おおよそ以下である。
『私は、今回の事件で母親を傷つけてしまい、またお世話になっていた女性にも落胆の念をいだかせて、取り返しのつかないことをしてしまいました。今からでも許しを請い、許しを得たい気持ちでいっぱいです。思うに私という人間は、所詮は女性の手の平で踊ってるような小さな存在でした。私は、女性の偉大さを今さらながら知ったのです』
まったくの嘘ではないが、ちょっとオーバーかな・・・というのが本当の気持ち。
それから、官製の定番反省フレーズである「自分の心が弱かったのです」「感謝を忘れてました」「法律遵守の気持ちが薄かったのです」「短絡的でした」などを加える。
まちがいではない。
まちがいではないが、法務省の体制護持の方針に沿うためには、すべての犯罪の原因は、個人の心の中だけに押し込めなければいけない。
すべての犯罪者は、虫けらほどの小さい体制の批判者でもあるのだけど、それでも批判が少しでも心の中からはみ出したりしたものなら「反省してない」と指弾される。
この場合だと、戦争を遂行した国を批判するのはダブー。
むしろ国に感謝の念を表すくらいが受刑者としては正しい。
で、感想文の結論としては「社会復帰に向けて」と「自分を見つめなおす」と「罪を償って生きていく」となっていく。
これも、まちがいではない。
まちがいではないが、テレビのドキュメント番組などで、モザイクで出てくる受刑者が口にすることは、ほとんどがこのフォーマットに沿っている。
とにかくも、提出した感想文は、神風特別攻撃隊のことはほとんど書いてないのに、評価は最上の【A】だった。
いつだって評価【A】は、2人か3人しかいなくて、皆、どうしたら【A】を取れるのか知りたがったが、そこは教えられない。
・・・さっそく話が飛んだ。
歴史の感想くらい自由に書きたい。
で、なにがいいたいのかというと、いい評価は得れたとしても、本音がいえないのなら、反省しようという気持ちも萎える、ということなのです。
この本を選んだ理由
去年から官本に加わった文庫本。
最初に目にしたときから、読みたいとマークしていた。
磯田道史が大好き。
テレビの歴史番組でよく見かけるので、著者のキャラクターは知っている。
「武士の家計簿」の原作を著したことも知っているし、それも映画で観ている。
古文書を読むのが趣味で、書き手の熱意を感じて読みながら泣いたこともある、と週間文春の記事にもあった。
初めての1冊でもあり、確実におもしろいと感じながら、今まで手にしなかったのは、いわゆる “ 焦らし ” である。
ごほうびの1冊としてマークするに留めて、自分で自分を焦らしているうちに1年が経ってしまった。
十分に予感に浸って楽しんだ、という贅沢な気分すらする。
受刑者の贅沢なんてこんなものだった。
冬も越した。
そんな、明るい気持ちの4月に読んだ本。
読感
すごくおもしろい。
最初の1ページから、もう止まらない。
1週間ほど手元に置いてじっくりと読むつもりだったのに、2日で終わってしまった。
ますます、磯田道史が好きになった。
磯田先生と呼びたい。
100年、500年、1000年単位の広い視野に立って日本を眺めているのが歴史家を感じさせる。
縄文時代から昭和の出来事まで解説している。
いや、解説ではなくて調査かも。
調査もちがう、やっぱ探偵だ。
「日本史の探偵手帳」という題名そのままに、日本史をいったりきたりして探偵して、手帳をめくっているみたい。
古文書という証拠にこだわるのではない。
古文書という文献を根拠に示して、自身の説を押しつけてくるのでもない。
そこから自身の大胆な推測を交えて、あとは想像するのを読者に投げかけているように書き上げているのがおもしろい。
越後屋は3億も出すのか?
古文書がどんどんと登場する。
ふとした好奇心から、頭に浮かんだ疑問から、古文書を手がかりに推測していく。
時代劇では、私腹をこやす越後屋が登場する。
悪そうな笑みをして、お代官様にまんじゅうを手渡す。
底には、小判がぎっしり。
これはちょっと現実離れしていると、著者は声を大にする。
小判は、1枚がおよそ30万円。
1束は15枚なので750万。
まんじゅう箱サイズだと3億ほどになる。
3億を出して見合うほどの利権なのか?
具体的な金額がリアルで、想像がふくらんで楽しい。
すでに江戸時代にアイドルがいた
日本初の「会いにいけるアイドル」は、江戸の明和(1764年~1772年)に人気だった “ お仙 ” だったと著者は明快だ。
普通の茶屋は1杯250円のお茶を、じいさんばあさんが出す。
が、13歳から20歳くらいまでの女の子がお茶を出す “ 水茶屋 ” では、1杯2000円くらいしたという。
この時代にも、水茶屋の女の子にもファンは発生する。
彼らはグラビアといえる一枚絵に飛びつく。
すごろく、絵草紙、手ぬぐい、といったグッズも飛ぶように売れていく。
人気投票ともいえる、美人くらべも行なわれた。
で、一番人気が “ お仙 ” だった。
その古文書を読む磯田道史の 磯田先生の楽しそうな様子が目にうかぶ。
ちょんまげ姿で金勘定している秋元康も想像できた。
幕府の金融政策の評価
古文書を読み解くだけではない。
それらには、いくつも金額が記されている。
ひとつひとつの金額を、現在に換算するのがわかりやすい。
武士の年収、農民の税金、それらも現在に換算して、金額が算出されていくのがリアリティーがある。
家計や物価だけではない。
大所高所から、江戸時代の経済も金融も探っていく。
江戸時代のGDPの内訳も突き止める。
そうして、現在の日銀の異次元緩和と歴史をからめていく。
「元禄の貨幣改鋳」に日本最古の経済統計が見られる。
元禄の貨幣改鋳で、貨幣供給残高は85%増やした。
それでも、物価上昇は名目1%~3%に留まった、と300年前の金融政策を評価してもいる。
真田幸村から栗林忠道までの系譜
著者は、戦国時代から江戸時代にかけての武士社会や藩という組織の体質を探る。
決して現在とは無関係ではないと、波及した影響を時系列に明かしていく。
明治から大正、昭和から平成までと、歴史の人物に対する著者の興味津々さまでもが、一緒に伝わってくるのが楽しい気分にさせる。
記憶に残るのは真田幸村について。
真田幸村は、武田家の兵学を継承していた。
大阪冬の陣の真田丸は、武田兵学の延長線上にある。
幸村の兄の真田信之は、1622年に松代藩(長野県)の初代藩主となり93歳まで生きる。
松代真田家は幕末まで続いて、藩士に佐久間象山が現れる。
佐久間象山は兵学者として「海防八策」を書き上げて、吉田松陰、勝海舟、橋本左内、などの弟子を育てた。
そして、旧松代藩士の中から輩出されたのが栗林忠道。
“ 硫黄島の戦い ” で有名な栗林中将。
佐久間象山を尊敬していたという。
硫黄島は、太平洋戦争の真田丸であった。
敵に自陣まで浸入させて、入り乱れての混戦に持ち込み、敵に多くの出血を強いる戦いは、真田家直伝の山岳仕込みのゲリラ戦法そのものである。
戦国時代の真田家も、上田合戦では徳川秀忠を、大阪冬の陣では徳川家康を翻弄している。
濃尾システム
「濃尾システム」が近代を創った説も強く記憶に残る。
いくら戦国時代とはいえ、多少は気が荒かった時勢とはいえ、戦って死ぬのが怖くなかったのか、という疑問が解けたからだった。
著者がいう「濃尾システム」とはこうである。
まず、濃尾とは、名古屋近辺の平野。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を生んだ土地。
そこに出現した軍団の長は「戦いで死んでも子々孫々まで家名と領地は保証する」という、いってみれば永代雇用を保証した。
これには、一向一揆や法華一揆が参考にされた。
彼らは「神仏のために戦えば死んでも極楽にいける」と死を覚悟で攻めてくる。
それら宗教団体が唱える「来世利益」に対抗して、子々孫々までの「現世利益」を唱えたのが濃尾システム。
火縄銃の普及も重なった。
発砲にすぐに逃げる軍団だと負ける。
死を覚悟しての、密集突撃戦が勝つ戦法となっていた。
現世利益を唱える濃尾システムが、死を怖れない忠誠度の高い軍団を創った。
それが世襲の武士社会の元となった。
そうだよな・・・と納得。
いくら武士だといっても、なにもなしには死ねないだろう。
日本と日本人を知る100冊
本書では「日本と日本人を知る100冊」が挙げられている。
どれどれと目を通して、ショックしかなかった。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」しか読んでない。
歴史が好きとはいいながら、実はなにも知っちゃいないのだと思い知らされた読書だった。