第四章-2項 苦情をいわれたときの「感謝思考」

(拙著の宣伝です:笑)

■苦情の理由はスグ見つかる

人は、叱られるのが嫌いです。

じっさい、叱られて喜ぶ子供はいませんよね?喜ぶどころか、道理の通じない幼児ともなると、火のついたように泣きわめく。

しかし、分別のつく年頃になると、泣いて済まされなくなるため、叱られた理由が正当ならば詫びるか、従うか、悄げる。不当ならば抗うか、ふくれるか、沈黙する。

大人ともなると、必要のない摩擦を避けるべく、「すいません」と詫びます。

理屈の通じない酔っ払いであっても、「すいません」と詫びておけば、まぁず大丈夫。

詫びるのにもタイプがあって、誠意型は、腹の中でも「本当に申し訳ありません」と詫びます。

形式型の腹の中は「とりあえず、すみませんと言っておこう」
商売型の腹の中は「詫びるのはタダ。詫びて済むならナンボでも頭を下げまっせ」
理性型の腹の中は「怒るが負け。詫びるが勝ち」
感情型の腹の中は「おぼえてやがれ」


詫びないときは、黙秘か、逃避で争いを避けます。

日本は、集団の平穏を重じる国ですから、詫びたり、押し黙ることで穏便に済ませ、事を荒立てないように努めます。万能語の「どうも」と並んで、「すみません」も万能語なんですな。

しかし、苦情となると、「すみません」では済みません。

レストランにて。
「ちょっと!この料理、虫が入っているぞ」「すいません。お取り替えします」
これは(お金のやり取りがある)ビジネスですから、お詫びして当然ですよね。

上司と部下。
「お前のせいで、このザマだ。どうしてくれるんだ」
「すいません…(って、あんたの指示で動いて失敗したんだから、上司が責任とるべきだろう)」

これは、双方に言い分はあるものの、会社の中では、部下が不利な立場。

夫と妻。「ちゃんとやってよ」「ごめん」こりゃマァ、夫婦喧嘩は犬も食わないといいますから、どっちが詫びる問題か、当人同士のみぞ知る。


教師と生徒。「いじめるんじゃありません」「もう、しません」これは、立場の弱い生徒の側が詫びて事なきを得る。

というのは表面的な解決で、注意するだけでは解決しない問題もあります。

この例ですと、いじめがあって当然である現実を前提に体制を整えるのが本質でしょう。

このように、叱られたり、苦情をいわれる場面は、日常にありふれています。その時、謝ってばかりいては先に進みません。

それが不満だったのか!

難癖と違い、苦情には理由がありますから、だいたい、理由を挙げて異議を唱えます。

「これについて文句をつけているんだ」と教えてくれているわけです。これは分りやすい。

理由を挙げているわけですから、「それが不満だったのか!」とスグわかります。

では、苦情の原因を教えてもらったことに感謝してみてはいかがでしょう?感謝思考です。

「感謝思考?よくありがちな成語だ」って?

とぉんでもナイ。感謝思考を提唱しているのは、世界で唯一、私だけなんですよ。

試しに、インターネットの検索エンジンで「感謝思考」で探してみてください。
他に提唱者がいない事実を納得いただけることでしょう。

少なくとも、拙著が出版された2002年以前に、感謝思考を唱える人や団体のホームページは一つもありませんでした。

成語として一般的なのは「謝意」や「感謝の心」、「感謝の気持ち」です。が、ほとんどが観念論で、「感謝しましょう」の一点張りが多く、どういう時にどう感謝すれば、どういう良いことがあるのか、今ひとつ理解にしくい。


しかし、よくよく考えてみると、感謝の謝とは謝ることであり、詫びることではない。
「すいません」と詫びるのと、
「すいません」と謝る
のは、中身が違いますね?

ということは、「すいません、すいません」とばかり言っていては、詫びているのか、謝っているのか、正確に伝わりません。

ところが、感謝思考になると、「すいません」ではなく、「ありがとうございます」と、礼をもって謝るストロークが自然と口をついて出てくるようになります。

謝るとは感謝すること

詫びとは、非を認めて許しを請うこと。「料理に虫が入っていた」となれば、代金を頂くに値しない商品を出したわけですから、詫びて当然です。

しかし、詫びて全てが解決するほど甘くないのが世の中。問題やクレームが起きたとき、「すいません、ごめんなさい」と詫びるだけじゃ、

「ゴメンで済むなら警察はいらん!」

と、皮肉を言われるだけで、問題は解決しませんよね。商品を取り替えるなり、弁償するなり、代金を頂かない事後処理が要ります。そこまでで終わってしまうのが、詫び。その次が問題です。

もしかしたら、お客さんは「もう二度と来るか!」と思ったまま、本当に二度とこないかも知れない。

クレームをつけたほうも気まずいものですからね。顔を会わせたくない。


そこで感謝思考です。詫びた次に、礼をもって謝るのです。

「今後は気をつけます。教えて下さって、ありがとうございました」

と、不手際を詫びた次に、問題があることを教えてくれた相手に感謝する。さらに付け加えるなら、

「教えて頂いたお陰で、同じ過ちを繰り返さずに済みます」

「教えて頂かなかったら、また、ご迷惑をかけるところでした」

「そういった配慮が欠けていました」

「初めて気づきました」

「顧客視点に努めておりますが、お客様の視点でなければ分からない事が沢山あります」

「これからも、どんどん教えて下さい」

「またの来店(もしくはお電話)をお待ちしています」

ここまで言われりゃ、収まった腹の虫が喜びだすというもの。

「そこまで言うなら、また来てやるか」
となって、最来店してくれる可能性が高まります。


「ごめんなさい」
「申し訳ない」
「すみません」
と頭を垂れるのは、詫びを入れる意味と、謝る意味の、二つの意味があるので、「すいません」と「ありがとうございます」の二つを使い分けましょう。

どんなに心を込めて詫びようとも、伝えなければ無きも同然。伝えるには、詫び続けるのではなく、謝るのです。

クレームは宝じゃない

社員の失態であっても、小さな会社のクレームは社長へ集中します。

その時に社長が「ごめんなさい、ごめんなさい」 といっているだけでは進展しない。特に、新規のお客さんは二度と戻ってこない。

そうした現場に遭遇するたび、社員教育の難しさと、クレーム対処法についてずいぶん悩みました。

解決策を求めて本を読むと「クレームは宝」とある。

正直、「クレームは宝なんかじゃねエ。無いほうがいいんじゃ!」 と思いました。

「こんな机上の空論は役に立たん!」

どれ、誰が書いた本だ?経営コンサルタント?ケッ!経営の経験あるんかい!

と毒づくほど悩みました。だって、私自身で何も悪いことしてないのに、

「あんたンとこの会社では、どういう教育をしているんだ!」

と、電話で怒鳴られるワケです。もう、青天の霹靂でビックリ。


あるときは、知己の優良顧客からの電話だと言うので、お気楽に電話を代わったら、いきなり、 「おまえ!ちょっと来い!」 と怒鳴られてガチャっと電話を切られたこともあった。

小さな会社を経営するってことは、従業員の管理も含めて、社長が全責任を負うということに他なりません。

そうして社員の尻を拭いていると、何の為に会社を立ち上げたんだ?って、会社経営がバカバカしくなります。

愚痴ではありません、これが経営の現実でした。社員ちゃんの尻拭きも社長の仕事なんです。

そのストレスを軽くするには、社員へ、「お前のせいだぞ、お前がナントカしろ。俺ぁ知らん」

と全責任を転嫁する方法もあります。

が、社員へ責任を転嫁する社長の会社に、優秀な社員は絶対に残りません。他の会社を見ていれば、よく分かる。社員に冷たい社長の会社に、人は根づかない。

問題が起きたら、社員と一緒に考えるというのもやってみましたが、実質は社長一人で考えるのと同じです。

いつでも、どこでも、常に考えなければならない。社長の脳に休みはありません。


そんなある日、
「なぜか人は、感謝に触れると、怒りの矛を収める」
傾向に気づきました。

そうして 「謝るとは、感謝することである」という定義を確立し、実際に苦情があったとき、「すいません」のあとに「おかげさまで気が付きました。

「ありがとうございました」と謝るようにしたら、怒りの矛を収めてくれるようになりました。

「やはり!詫びと謝りは別だから、別々の言葉で伝えなければならないんだ」
それには、とっさに「ありがとうございます」と言える感謝思考が必要だったのです。

詫びには限界があります。

いくら心を込めて「すいません」と詫びたってダメなんですよ。詫びるだけではプラスになりません。

クレームというマイナスをプラスにするには、「教えてくれて、ありがとう」と謝る言葉をストロークすることです。

非を教えてくれたことに感謝する。


「教えてくれて有り難うございました。これからも、至らない点がありましたら、どんどん教えて下さい」

というと、結構、

「そうね、ま、いいんだけどさ、もう二度とこんなことがないようにしてよ」

とか、

「当社の担当を別の人に代えてくれる?」

といった要望や、暖かい言葉を聞けるし、クレームを理由に手土産をもって訪問して、お茶を飲みながら世間話して、コミュニケーションレベルを引き上げたりできます。

雨が降ったら、それに託(かこつ)けて、地を固める戦術です。

クレームは、一刻も早く処理するのが基本中の基本ですが、その際に感謝思考で望むと、顧客との絆が深まります。

詫びたついでに謝るべし

感謝思考がクレーム対応に効くことを、私は会社経営の現場から会得しました。
が、感謝思考は、会社のみならず、家庭でも学校でも、どこでも通じる概念です。

たとえば、あなたの友達が、あなたへ苦情をつけているとしましょう。

あなたは「ごめん」と詫びる。その次に、「ありがとう」と言ってみて下さい。
「おかげで、自分の悪い部分がわかった。これからは気をつけるよ」と。

または、あなたの伴侶や恋人が、あなたへ不満を漏らしているとしましょう。

あなたは「ごめん」と詫びる。その次に、「ありがとう」と言ってみて下さい。
「言ってくれて助かった。どこが悪いのか理解できた。これからは気をつけるよ」と。

もちろん、同じ苦情を何度も指摘されているにもかかわらず、謝っても直さないとなれば論外です。

が、初犯であれば、かなりの確率で許されるはず。

謝るとは、感謝の謝であり、ありがたいと感じることです。それには、ありがたいと思う理由がいる。

その理由こそ、苦情の理由そのもので、相手は最初から教えてくれています。


教えてくれる状況は、決して当たり前ではありません。

事実、私達は、知りたいことを教えてもらいたくて、学費を払って学校へ行くわけです。

英語を習いたい人は、忙しい時間の合間を縫って、英会話教室へ通います。

このように、カネを払ってでも教えてほしいのですよ。教えてもらうとは、それほど貴重なことなんです。

本来であれば、タダで教えてくれることなど無いはず。知らないままの状態が当たり前であったはず。

それを、教えてもらうことによって、知り得ることができた。つまり、感謝とは、いつ失われるかもしれない脆弱性と対を成しています。

たとえば、食べ物を食べられるのは当たり前ですか?それを買えて、歯で咬んで、胃で消化できるのは、当たり前のことでしょうか?

入れ歯の人や、胃ガンで胃を切り取った人にとっては、当たり前じゃないどころか、誰でも、一年後に胃ガンになって、胃のない状態になっていても不思議ではないのですよ?


首都圏に至っては、停電になっただけで、トイレさえ使えなくなります。いつ失われてもおかしくない状態の中で、トイレを使えて当たり前だと勘違いして、暮らしているのです。

そう思えば、トイレを使えることさえ感謝したくなりませんか?

本来は、無くて当たり前のことだった…だから「教えてもらって有り難い」と思わなくちゃ損でしょう?教えてもらったら「得した」と喜びましょう。

理由さえ解決できれば、苦情の存在がなくなってしまいますから、一件落着。

これが詫び。加えて「教えてやった」という満足感まで喚起し、苦情を喜びに変えてしまうのが謝ることなのです。

ただし、一つだけ、最後の締めくくりがあります。謝って事なきを得たら、さっさと去ること。

苦情は収まっても、まだ不満の炎はくすぶっていますから、いつまでもボヤボヤしていると、何に飛び火するか分ったもんじゃありません。

これが「顔を見ているだけで腹が立つ」という状態です。

字源辞典によると、感謝の謝は、言と射が結合して出来た漢字だそうで、言は言う、射は去るという意味。

なので、問題が解決したら、一旦さっさと去って、別の話題で出直してみて下さい。何事も無かったかのように。

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