新商品開発物語/スピンアウト後編
本稿は、創作物語を通し、新商品開発を分かりやすく紐解きます
下着メーカーHe&Sheに勤務する田中麗奈へ上司の沢村から「広告を出稿せよ」との業務命令が下った。
麗奈は、広告媒体を抽出し、雑誌「月刊マネーの虎」へ出稿することにした。
ところが「月刊マネーの虎」の広告の営業担当の斉藤は、雑誌広告の営業にもかかわらず、印刷の基礎知識に乏しいらしい。麗奈は不安を覚えた。
また、営業の斉藤は、進行管理の上野へ、引継ぎも紹介もしないまま、その後を任せっきりにしてしまった。
その上野から麗奈の許へ「広告の進行管理を担当する上野です」とのメールが入った。
そのメールたるや、進行管理の名を借りた、自社の都合の押し付けであった。
麗奈は、そのバカバカしいメールを読み捨てた。その一週間後、上野から電話が入った。内容は、
「メールを読んだという連絡が無かったので、読んだかどうか心配で電話した」
という。麗奈は、
「メールを読んだら、読みましたと報告しなければならないんですか?」と
憤った。
「そんなに心配だったら、一週間も待っていないで、そちらから確認の電話をかけてきたらどうですか」
上野は一言も無かった。麗奈は、ますます不安を覚えた。その不安は、後編の今回、見事に的中することになる。
chapter5
誰も残っていないオフィスで麗奈はパソコンへ向かい広告の原稿を作っていた。
麗奈の考える原稿は、写真もデザインもない、文字だけの原稿だった。
データ入稿ではなく、紙で入稿するから…というよりも、こちらの意図を確実に伝えたいためである。
小スペースとはいえ、この広告をシッカリ読んで応募してくるなら、モニターに相応しいに違いない。
少なくとも、モニターに相応しいかどうか書類選考したり、面接したり、検討する手間と時間を省略できる。今は忙し過ぎて、とても、そんな余裕はない。
「良質なレスポンスを期待できる原稿にしよう」
と麗奈は、来る日も来る日も考えた。
わずか1/3ページの広告スペースとはいえ、反応を期するのであれば、適当にお茶を濁すわけにはいかない。時間をかけ、練りに練った。
勤務中でもプライベートでも、いつも考えていた。通勤電車の中で携帯ゲームに興じているサラリーマンが不思議に見えた。
そうして、やっと、ヘッドラインとボディコピーが出来上がった。
麗奈は、パワーポイントに打ち込んでレイアウトを整えた後、印画紙に出力し、充分に乾かしてから封筒に入れた。
あて先は、営業の斉藤にした。斉藤から変更が告げられない限り、窓口は営業一本に統一したほうが、行き違いがなくて良い。
それに、進行の上野は信頼に値しない。担当の営業宛へ送るのが妥当と考えた。
『締め切りまで、あと10日もある』
麗奈はホッと安堵して、スケジュール帳に書き込んだ「広告原稿の草案と制作」という走り書きを棒線で消し「終了」と上書きした。
それきり、広告について忘れた。他の業務が山積している。忙殺された。
chapter6
10日が過ぎ、締め切り当日、進行の上野から電話が入った。
「原稿の文字の一部が擦(かす)れていて、このままでは綺麗に印刷されない」
という。麗奈は『そんなバカな!』と驚いた。
通常、スミ一色のベタの少々の擦れは、印刷所が修正してくれるはず。それを差し戻してくるとは、よほど擦れていたに違いない。
『今まで何度も紙で入稿してきたけど、こんなの初めて』
と麗奈は思ったが、擦れているというのだから仕方がない。原稿を印刷し直し郵送することにした。
上野は言う。
「締め切り日は今日ですが、あと3日は余裕がありますので、3日以内に送ってもらえれば間に合います」
麗奈は内心『3日どころか一週間くらい余裕を残しているはず』と思ったが、
「はい、わかりました」
といって電話を切った。
『それにしても』
と不思議に思った。
『あれから10日間もあったのに、どうして今になって言ってくるのかしら』
印刷所が差し戻すほど擦れていたとしたら、上野が開封した時点で一目瞭然であっただろう。10日間もかかるはずがない。
『きっと、10日間、放っておいて、今日、はじめて見て電話してきたか、それとも、そんなにも擦れている原稿を確認せずに印刷所へ送ったか、どちらかに違いない』
だとしたら、手抜きの以前の問題である。仕事へ対する意識が低すぎる。月給を稼ぐためだけに仕事しているならば、アルバイトやパートと何ら変わらない。
しかし、そんなことを詰問しても始まらない。麗奈は意識を切り替えた。
「あ!そうだ!どうせ再送するなら、気になる部分を修正して再送しよう」
麗奈は早速、原稿の手直しに取りかかった。ヘッドラインの文言を、前面的に差し替えることにした。
しかし、じつは今夜、付き合い始めた男性から、夕食に誘われていた。
半蔵門にある村上開新堂に席を予約してあるという。パイが美味しいフレンチレストランで、パイが好きな麗奈は、一度は行ってみたいと楽しみにしていた。
しかし、時間がない。明日から中国の工場へ5日間の出張が待っている。今日中に原稿を作らなければ、3日後の締め切りに間に合わない。
麗奈は、男性へ断りのメールを送ったあと、原稿作りに没頭した。
「これで良し!」
差し替えた原稿が出来上がった頃には23時を回っていた。翌朝、麗奈は、中国の工場へ旅立った。
chapter7
5日後、麗奈が帰ってくると、折り返し電話を待つメッセージの付箋がデスクの電話まわりにペタペタと貼られていた。
「月刊マネーの虎」の上野からのメッセージもあった。校正を宅配便で送ったから、確認してほしいという。「締め切りを過ぎているので、一刻も早く!」
校正とは、原稿の最終確認である。
校正紙を見て「確認した」と校了すれば、そのまま印刷され、本になって書店へ並ぶ。
デスクの上に宅配便で届いた封筒が置かれていた。開封すると、原寸大の広告原稿が一枚の紙に印刷されてあった。校正紙である。
「あれ?」
麗奈は目を疑った。5日前、ヘッドラインを差し替えて送った原稿の校正ではなく、差し替える前の原稿だったのである。
『一体どういうことなの?』
あわてて受話器を取り上げ「月刊マネーの虎」へ電話した。
「はい。上野です」
「He&Sheの田中麗奈と申します」
「お世話になります。校正を確認して頂けましたか?」
「その件なんですけど、再送した原稿の校正じゃありませんよね?」
「は?少々お待ちください?」
ガサゴソと紙をめくる音。やがて上野の声。
「えーっと、ただいま原稿を見ておりますが…」
「最初に送った原稿と、再送した原稿を見比べてみて下さい」
「はい、ああ、ありました。これが何か?」
「ヘッドラインが違いませんか?」
「そういえば、そうですね」
「でしょう?今回、送って頂いた校正紙は、最初にお送りした原稿の校正ですよね?」
「はい。そのようです」
「最初の原稿は、文字が擦れてダメだって話じゃありませんでしたっけ?」
「はい」
「なのに、どうして校正にできるんですか?しかも、校正を見ると、ぜんぜん擦れてないじゃありませんか」
「きっと、印刷所が修正してくれたんだと思います」
「はぁ?その程度の擦れ具合だったんですか?だったら、再送する必要なんかなかったじゃありませんか」
「田中さんが、再送してくれると仰るので、でしたら再送してもらったほうが確実かと思いまして」
麗奈は『人のせいにするな』と思ったが、
「それで、再送した原稿は、結局、無視されたわけでしょう?」
「無視といいますか、最初の原稿を修正できたので、それを原稿にしました」
「まさか、ヘッドラインを差し替えて送って来るなんて、夢にも思わなかったということですか?」
「はい。原稿を差し替えるとは、思いませんでした」
chapter8
麗奈の抑えていた怒りが爆発した。
「あなたの勝手な思い込みや、あなたの都合で、仕事しないで下さい!」
「は?」
「そもそも、原稿が届いた時点で、確認するのは、当り前じゃないですか?」
「はぁ」
「それとも何ですか?確認も無く、会話も無く、思い込みで勝手に進めるのが、あなたの仕事の進め方ですか?」
「…」
「それに、3日以内にとか、一刻も早くとか、どうして一方的に予定を押し付けるんですか?あなたの都合を中心に地球が回っているんじゃないんですよ?」
「…」
「あなたのスケジュールに合わせて私は仕事しているんじゃありません!私には私の都合があります」
「…」
「印刷のスケジュールがあるでしょうから、締め切りを区切るのは分かります。でも、どうして、お互いのスケジュールを、すり合せようとしないんですか?」
「…」
「再送した原稿は、ヒマだから作り直したんじゃありませんよ。より良い結果を出すために、予定を変更して作り直したんです」
「…」
「それがNGになるなら、最初の原稿を修正できるから、それで校正を出すと、どうして連絡できないんですか?」
「…」
「もう、さすがに締切は過ぎていて、印刷のスケジュールに間に合いませんよね?どうするんですか?」
「では、再送してもらった原稿をPDFにしてメール送信しますので、それを御覧になって校了して頂ければ、今日中なら間に合います」
「また今日中とか、押し付けるんですか?それに、校正は紙が普通ですよね?PDFなら紙の校正は必要ないじゃありませんか」
「…」
「今まで、色々な広告に携わってきましたが、こんなに手間のかかるモノクロの原稿は初めてです」
「すみません。まだ経験が浅いものですから」
「それは関係ありません。御社へ頼んでいるのであって、あなた個人へ頼んでいるのではありません。年齢も経験も関係ありません」
「はい」
よほど麗奈は興奮していたのだろう、周囲の人たちが仕事の手を止めて遠巻きに麗奈を見ていた。麗奈は『落ち着こう』と深呼吸して、
「では、PDFを送ってください。確認したら、校了を出します」
と言って電話を切った。
受話器を置いた上野は呆然とした。
『どうして?どうして、こんなことになるの?』
不思議だった。自分は一生懸命に仕事しているだけなのに。
『重大なミスがあったわけでも、不可避なアクシデントがあったわけでもないのに』
どうしてクライアントは怒るんだろう?
自分の仕事に、落ち度はないのに。
どうしてモメることになったんだろう?
新商品開発物語/スピンアウト前編https://note.com/tanaka4040/n/n802554b1f5e4
商品開発物語
https://note.com/tanaka4040/n/n8cff20133961