【書評】大西巨人『神聖喜劇』
大西巨人(のりと)は1916年に福岡で生まれ、2014年に埼玉で死去。97歳の生涯だった。戦争世代のひとりだった。
「当時における私の思想の一断面に従えば、私の生は、過去の至極不生産的であった22年数ヶ月をもって観念的にはすでに終わりを告げ、いまや具体の破滅を目指して旅立っていたのである。この海を逆に越えてふたたび本土を踏むことは、もはや私にはないであろう」
若き大西は、そんな思いを抱いて入営した。彼は対馬の砲兵師団に配属となり、敗戦までの4年あまりをそこで過ごした。軍隊という社会集団の中で、他の兵員たちと共に。その経験をもとに書かれたのが『神聖喜劇』である。
「それは推理小説なのです」と著者は言う。「といっても、狭い意味でのそれではなく、文学とは何ものなのかを探りもとめていくものだから、そういう意味で、推理小説なのです」
ならばそのモチーフは何か?いまだに迷宮入りの歴史的事件を解き明かし、犯人をつきとめることか?
「なるべく小説らしい物を書こうとは思っているのですが、結果としてはどうもそうじゃないらしい」
それが著者の弁。だが文章家としての誠実さは疑いなしだ。その身上は「欲情と結託せず、物事を突きつめ、まともに考えていくまでだ」という宣明にあきらか。
25年かけて書かれた『神聖喜劇』は、一級の社会史であり政治史だ。加えて物語の面白さも持つ。いい小説の条件のひとつは、読者が主人公の名を覚えていること。たしかに東堂太郎の名前は忘れがたい。
読者のひとり吉本隆明はこう語っている。
「わたしの知っている戦後のこの作者が、どんなせまい党派のなかでも公正で厳密な判断で爽やかな振る舞いを守りえたのもまた、主人公東堂との類似性からきていた」
神聖喜劇: 長編小説 (第1巻) (光文社文庫 お 9-5) 文庫 2002/7/1
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