平成生まれにも響いた、古舘さんの「準備学」
ひろのぶと株式会社さんから『伝えるための準備学』をご恵贈いただきました。ありがとうございます。
著者は古舘伊知郎さん。
私の世代(93年生まれ)にとって、古舘伊知郎さんといえば「報道ステーションの人」という印象です。
前身である「ニュースステーション」から「報道ステーション」に代わった2004年、私は小学校5年生でした。初回の放送を見ながら両親が「古舘伊知郎といえば実況の人だから違和感がある」と言っていたのを思い出します。
私は「古舘伊知郎といえば実況」の時代を知りません。正直に言えば「よくしゃべるおじさん」という印象でした。報道ステーションでも画面に向かってマシンガンを撃つように語りかけていたのが印象に残っています。
ドロドロした政治の醜聞も、陰鬱な社会問題も、古舘さんの劇場的な語りに乗せられると、前向きに「何とかならないのか」と一緒に考えさせられる気持ちになったのを思い出します。
後に番組を降板されてからは、古舘さんを目にする機会が無くなりました。私にとっては過去の人になってしまったわけです。
そんな折に、かねてからファンの出版社・ひろのぶと株式会社さんから出されたのが『伝えるための準備学』でした。この「準備学」が出ることを知ってから、再び古舘伊知郎さんに興味を持ったのです。
古舘伊知郎さんのYouTubeを見てみました。凄まじい喋りの才能を感じました。どうやったら目に浮かんだ景色をそのまま言葉に変換して、諧謔と情緒も交えてここまで表現できるのでしょう。
私も僭越ながら人前で話す仕事をしていますし、政治家を相手に質問をぶつけることもあります。私はアナウンサーの専門的なスキルを学んだことはなく、落語が好きで聞いて真似する程度の喋り好きです。
仕事で人前で話す機会がある人なら分かると思いますが、ここまで流れるように言葉を紡げるのは並みの人ではできません。もう脳の構造から「凡人とはちがうんじゃないか」とさえ思います。
しかし!
この本を読むと、古舘さんの意外な姿が浮かび上がってきます。
かつては無口な少年だったという古舘さん。
ところが、高校時代に学校の中庭でプロレスごっこをして遊んでいる同級生たちを観ているうちに、あふれるように言葉がでてきて「実況」をし始めたのです。
同級生から実況の才能を激賞された古館さんは「喋り屋」として覚醒します。
そのまま喋る仕事を志し、大学卒業後にはテレビ朝日のアナウンサーになります。
そこで入社時から喋りの才能を遺憾なく発揮する、、かと思いきや、待ち構えていたのは過酷な猛特訓の日々でした。
字面を眺めるだけで震えます。
ゆとり世代のど真ん中で生きてきた私にとっては考えられないような厳しい新人教育です。今やったらアウトでしょう。
それだけではなく、競馬場から家に帰る道中も実況練習をするように言われます。
凄まじいです。読んでいるうちに、喋りすぎて喉から血が飛び散る味がしてきます。
「おしゃべりな古舘青年」から、あの「喋り屋・古舘伊知郎」に進化するまでの過程が、激しく、鮮やかに、描かれているのです。
そんな過程を古舘さんは「準備」だと表現します。
なりたい自分になるために、そのために足りないものをつぶすために、未来に向かって自分を投げ打つ企てこそが「準備」であり、準備を惜しまない「準備家」こそが、古舘さんの真髄だったのです。
この本があまりにおもしろくて、序章からいくつか引用させていただきました。
続きはかならず本を買って読んでください。
正直、昨今の「かけたコストに見合った確実なリターンを、短時間で合理的に得るのが吉」な時代には、この本は受け容れられずらいのかもしれません。
そんな時代の中で、才能が無いからこそ、コスパ・タイパに抗い、仕事に人生を賭けたい人は必読です。
あの古舘さんだって「準備」している、という事実に勇気づけられませんか。
私は予約しました。ご恵贈いただく前に。凡人ですから!
みなさん、絶対に買って読んでください!
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