本が向かう先
2022年12月29日、大阪へ行った。
この日の夜、昨年新たにできた「ひろのぶと株式会社」(以下ひろのぶと)という出版社の人たちによる忘年会があり、それに参加するためだった。
ひろのぶとは「印税最大5割」を掲げている、これまでにない形態の出版社である。これまでの出版業界の慣例を打ち破り、書き手が本を書くことでより生計を立てやすくする、フェアな仕組みを取り入れている。
なぜこの会に参加したかというと、社長の「地球始皇帝」こと田中泰延さん(以下ヒロノブさん)に過去にお世話になったことがあり、それがきっかけでヒロノブさんを取り巻く皆様とも交流する機会が増えたからである。興味本位で参加したくなった。
ちなみにこれを書いている私も田中である。普段は東京で企業研修を行う一般社団法人のスタッフをしている傍ら、ジャーナリストの田原総一朗さんと月に一度トークイベントの運営もしております。
学生時代に通っていた喫茶店のクラウドファンディングを行ったときに、ヒロノブさんに救いの手を差し伸べていただきました。
地球に存在する田中が置かれている厳格な「田中カースト」の中でも下のほうにいる私が、田中みな実や田中碧をすっ飛ばして、その頂点に君臨するヒロノブさんと知遇を得たことはまたとない幸運なのである。
ちょうど年末年始の帰省の折だったので、実家がある岡山から大阪まで足を運んだ。今お付き合いしている彼女さんも誘ったら、東京から来てくれた。
せっかくなので、イベントが開演する夜まで大阪観光をした。新大阪駅から真っ先に向かったのが、USJでも道頓堀でもあべのハルカスでもなく、阪急電車の上新庄駅である。
上新庄駅周辺は何も観光地がない、ただのローカルな駅だ。東京の西側出身の彼女は「千歳烏山みたい」と言っていた。
お目当てはたこ焼きたこばさん。ヒロノブさんと知り合うきっかけになった、ぷらんたんクラウドファンディングの時にフォローしていただいたのがきっかけで、いつか行きたいと待ち望んでいたたこ焼き屋さんである。
店主の島田さんは、ヒロノブさんの中学の後輩にあたる方らしい。
大阪府外の人間がイメージする、典型的な大阪人という感じの方で、声がよく通り、常時しゃべることを止めない(止められない?)パワフルな方だ。店の前の道路の反対車線からでも注文を承れるくらいの声量を持つらしい。
「これでもうちの家族でいちばん声が小さいんよ」と豪快に笑う姿と、豪快な反面お客さんへのサービスを欠かさない心配りに感動した。地元で愛されているのだろう、たこ焼きを買わないお客さんも店の前を通りすがりに島田さんに話しかけて、それに快く島田さんも応じていた。
幼いころテレビで見た吉本新喜劇の世界観だった。たこ焼きは文句なしに美味しかった。粉ものというより、新種のスイーツと称しても差し支えないクリーミーな食感を堪能させてもらった。
たこばさんでたこ焼きを堪能した後は、梅田に向かった。途中までわださんに案内していただいたおかげで、大阪に不慣れな私たちは助かった。ありがとうございます。
ホテルに荷物を置いて、中之島の周辺や梅田のビル街を散策し、串カツでお腹を満たしたあとは、お待ちかねの忘年会会場へと向かった。梅田の街は澄んだ冷たい空気の中に、年が去っていく切なさと新たな年を迎える昂揚感が満ちていた。
大阪駅から商店街を天満方面へひたすら東へ行くと、「梅田ラテラル」というライブハウスのような場所があり、そこが会場だった。
会場に入ると、真っ先にひろのぶとで編集者をされている廣瀬翼さんを見つけ、ご挨拶した。廣瀬さんも過去にぷらんたんのクラファンで支援をしてくださった経緯があり、ちょうどこのイベントの一か月前に、別の会で対面で初めてお会いしたばかりだった。
そのまま中に進むと、昼間にたこばさんでご一緒したわださんがいらしゃった。「ここ空いてるよ~」と、お隣の席に座らせていただいた。
近くにいらしゃったのが、「KIGO」というレザーブランドのディレクターをされている内山さん、ほぼ日で連載記事を書かれているシングルマザーでライターのなおぽんさん、私と同じ岡山からお越しのありみつさん。
みなさんいつもヒロノブさんのTwitterを介して「存在は知っているけど会ったことはない」人たちだった。電通のコピーライターを経て、『読みたいことを、書けばいい』がベストセラーになったヒロノブさんには、こうしたファンのみなさんがたくさんいて「ひろのぶ党」を自称されている。
その力はすさまじく、ヒロノブさんがひろのぶとの資金をクラウドファンディング形式で募ると、見事に開始27分で4千万円を集める快挙をなしとげていた。まるで全盛期の自民党の田中派のような資金力と鉄の結束である。
ほどなくするとヒロノブさんが現れた。直接お会いするのは3回目くらいだろうか。軽くお声がけしてくださったあと、そのままステージに上がり単独ライブが始まった。
「今日朝の時点で登壇者が9人に対してお客さんが8人しかおらんくて。会場を鳥貴族に替えて合コン形式でやろうかと思ってた」
前説から会場を盛り上げて、お客さんと直接コミュニケーションを取ろうとされているヒロノブさん。隙さえあれば「今日はこんなものを売っている」「今回はこれがお得だ」と営業を怠らない。電通で24年間、コピーライターとしてクリエイティブなことに従事されつつ、こうした泥臭いことを厭わない生きざまに感動してしまった。
やがて開演時間になり、ステージにずらっと登壇者が勢揃いした。
この日はひろのぶとから作家デビューをされた稲田万里さん、田所敦嗣さん、アートディレクターの上田豪さんを中心に、本づくりの裏側からこれからの展望まで、お客さんと対話形式で進んだ。
稲田さんの『全部を賭けない恋がはじまれば』(以下『全恋』)は地方から出てきた女性(おそらくご本人がモチーフ)が、様々な人たちとの出会いの中で恋とセックスに没入する様子が綴られた小説。
田所さんの『スローシャッター』は水産系商社にお勤めの田所さんが出張で訪れた異国の地での出来事を描いた紀行文である。
どちらも発売日に購入し、読んだらnoteを書こうと決めていた。少しずつ読み進め、このイベント当日の朝の電車の中で、どちらとも残りを読破した。
すでに2冊ともたくさんの方が書評を書いてnoteに投稿されているのだが、そのどれもがすばらしくて、今さら自分が書く必要なんてないように思えた。『読みたいことを、書けばいい』の法則である。まだ読んでない人は書店とAmazonでそれぞれ一冊ずつ買いましょう。
それでもあえて書くために何か思い浮かんだことがあるとすれば「この本たちは誰に向けて書かれたのか」という問いだった。
たとえば広告のコピーなら、誰に向けてどんな商品を売りたいかによって変わってくると思うのだが、小説や紀行文はあえてターゲット的なものを想定して書くのか。
イベントの大半がお客さんとの質疑応答だったので、手を挙げて聞いてみた。
意外な答えだった。
あくまで二人が書きたいこと、まずは自分が読んでおもしろいと思える本を書いたのかと思いきや、実はそれだけではなく、どんな人のところに本が届いて、それをどんなふうに読んでもらいたいか、本が向かう先まで想定されていたのだ。
その答えを受けて、壇上のヒロノブさんと特別ゲストの前田将多さんが続けて発言された。
『全恋』も『スローシャッター』も、どちらも主に書くことを生業としている人が書いた本ではない。稲田さんは本職は占い師、田所さんは会社勤めのサラリーマンである。
お二方ともすでに世に出て名が知れ渡っているわけではない。そんな二人が、新しくできたばかりの出版社から本を出した。出版社は二人に書いてもらうために本をつくった。
この過程の中にこそ、「おもしろい本を、届けたい人に届ける」というヒロノブさんたちのこだわりが見られるような気がしている。大人たちが、合理性や利益だけでなく、本当にやりたいことを追求した、究極の仕事なのだと思った。
普段はめんどくさがりだから、イベントの質疑応答の時間に手をあげたりしたくないのだけど、この日はどうしても聞きたいことがあったから聞いてみた。
おかげで、ひろのぶとがどんな出版社なのか、よく分かった気がした。興味本位で参加した忘年会だったし、この日会場でお会いしたみなさんほど、熱量があるひろのぶ党員ではなかったが、存分に楽しむことができた。
終了後はヒロノブさんが特別に写真撮影をしてくださり、彼女さんと一緒に写真を撮っていただいた。みなさんに「よいお年を」と挨拶をして会場を去った。彼女さんはどうやら上田豪さんにいろいろと仕事について伺ったらしく、大満足な様子だった。
これからも大阪に向かうたび、この日の夜を思い出す気がしている。
どういうわけか、2年前のクラウドファンディングがきっかけでヒロノブさんたちと出会い、ヒロノブさんが会社をつくり、本を世に出し、それを私が手に取ったことで、つながった。
本が向かう先のひとつが私だったことは、何か不思議な縁なのかもしれない。ひろのぶとと出会わずじまいの人生だってありえたのに。
こうなった以上は、これからどんな本をつくり続けるか、ひっそりと楽しみにしていようと思っている。
追記:「質問した記念に」ということで、いまにも暴発しそうなお土産をいただきました。死ぬまでとっておいて、私の葬式で棺桶に入れてもらい、そのまま暴発させます。