【第34弾】どんな選択をしてきたのか
先日、知り合いに紹介された大学生と話していた際こんなことを質問された
ちなみにここの言う軸とは分野的なものや、興味関心の軸のことらしい。
なお、この質問をされる前にこのスライドを見せている。
最近、自分が何者かを説明することが面倒で、オンラインであった人に見せる用の資料を作ってしまった。まあ、そんな機会があんまりあるわけではないのだけど。(なんだよ、めんどくさいな、メンヘラかよ笑)
説明が面倒になる背景はいくつかある
①休学していた過去がある → 卒業が遅れる
②大学四年生 → 世の中的には卒業の年
③教育学部 → イコール教師になると思われがち
④卒業まだのくせにまた休学しようとして働こうとしている
なので、初対面の人と話すとこんな感じになる
パターン1 パターン2
人「何年生なの?」 人「何学部なの?」
私「4年生です」 私「教育学部です」
人「あ、じゃあ卒業だね」 人「教師になるの?」
↓ 私「ならないです」
私「卒業はまだなんですよ。休学してたことがあって」
人「そうなんだ。じゃあ来年も島根にいるね」
私「いや、それが来年度から働きます」
人「え?」
私「また休学して働くんです」
人「へ~」
対面なら順を追って説明するが、オンライン上では画像を見せてしまっってしまった方が早い。
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話を戻そう。
私はどんな選択をしてきて今に至るのだろうか?
私のmissionに関わってくることのはずなのに、深く考えてきたことが無かったことに気が付いた。
なので今回のnoteを書くに至ったのである。
質問にそのまま答える
分野的な軸があるとすれば、それは「教育」と「地域」だろうか。
ただ、あまり関係ないこともたくさん選択してきた。
興味関心ということであれば、まさにその通りで、興味関心があることにひたすら手を出してきた。選択してきた。
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原動力
少し違うけど、これも聞かれることがよくある。
「そんなに行動している原動力は何ですか?」と。
これも質問の答えとほぼ同じで、面白そうだからとか、興味あるからということしか考えられなかった。
「楽しいこと」をすることが原動力だ。
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話を戻す。
質問の意図がよくわからず、この答え方で満足されるとは思えず、逆に聞き返した。「あなたの選択の軸は何?」
その答えを聞き、私がこれまで活動してきたことを眺める中で思ったことがある。もちろんその場で話したのだけど。それは、
目の前にあるモノ・コトを「する」か「しない」かしか考えてない
ということだった。
選択していることには変わりないのだけど、選択肢を並べて「どれやろう」って考えたことはない、ということだった。
これって結構驚くべきことで。なかなかすごいことなのかもしれない。
その時その時でいただいたご縁を大事にして、即決で「yes」を出すということである。
「取捨選択」で言うところの「取」をひたすらやる感覚。
というか「yes」って言い続けるってことなのかも。
もちろん、「取」した後に来た選択肢に関しては、同時にできないことがほとんどだから「捨」してしまう、「no」って言ってしまうのだけど。
さらに面白かったのが、
目の前に”ある選択肢”が提示されることが本当に偶然の連続で、たまたま来た選択肢を選び続けていた
ということ。だから「軸」なんてあるわけない。
その証拠に、私は新学期(大学〇年の前(or後)期)が来るまで、またはその直前まで、その期に何をするのか決めていない、考えていないということだった。
今年何しようとか、今期何しようって路頭に迷ったこと、考えたこと、選択肢を作ったことがない。
だから「今年はこんな一年にしよう」ってことは、例えば「学びの一年にしよう」とか「実践の一年にしよう」とか、そんなことは考えるのだけど、実際具体的に何をやるかということはまったく考えないし、
前の年、前の期の段階で、今期やっていることが毎回新鮮。毎期そんなことやると思ってなかったってことをやっている。
一番直近のことで言うと、この4月から新潟に行って働くのだけど、この話をいただいたのは1/15くらいで、決まったのも2/15くらい。
そして私は先述の通りまだ卒業しないので、働くなんて思っていなかったし、大学に行きつつ何かプロジェクトにでも関われたらいいな~くらいにしか考えていなかった。
本当に予想に反したことの連続で、ご縁ってすげ~ってなっている。
そして、このような生き方に怖さを感じるどころか、順応している自分がいる。
順応とはどういうことかというと、
①コロナ過で見えた私の生き方
家から一歩も出ず、オンデマンドでフル単の授業を受けつつ、オンラインでインターンシップを2つ行い、学生団体の運営を行う生活を行っていた3年後期、我ながらよく一日中パソコンの前にいたな~と自分に感心するのだけど、「こういう仕事の仕方いいな」って思った。
それは、複業的(≠副業)にいろんな仕事をしていることもそうだし、家から一歩も出ずにテレワークばっかりってこともそうだし、
何より、先行きが見えない中、その都度その都度仕事を変えていく、作っていく、そんな仕事の仕方である。
インターンシップの期間は3カ月で、その先の私の活動はわかっていなかった。終了したら暇になるんだろうなって思いつつ、その時のことはその時に考えればいいやって割り切れて、それでいて目の前のことに全力で立ち向かうことができた。
だからそれだけのハードスケジュールをこなすことができた気がする。
②後付け力が高い
先日、大学時代の友達と飲んでいた時に喋りながら言語化してもらったこと、気が付いたことなのだけど、私は防衛本能(彼女はそう呼んでいた)が強いらしい。
(このことはまた別でnoteを書こうと思う)
私は論理的な思考をしがちな人間である。そうであるならば、ある達成したい目的があったうえで、逆算をして、今やることを決める。そのためにはたくさんの選択肢から最善の選択肢を選ぶことが合理的である。
とりあえず一番最初に来た何となくよさそうな選択肢に「yes」と即答することは明らかに不合理である。
ここに矛盾が生じるが、私は防衛本能的に「後付け」が得意なのである。
この「後付け」が得意なことによって、選んだ理由を後付けして、それを自分に刷り込むことに寄って、あたかも論理的にその選択肢を選んだかのように”こじつける”ことができるのである。
つまり「選んだ選択肢を正解にする」ことができる。
私は論理的な考えをする自分の性格に苦しんだ時期があり、論理的な考え方の性格を強みと感じる一方で、もっと直感で生きたいと思っていた側面も持ち合わせる。
しかし、私は防衛本能が強いがゆえに、これまで非論理的な選択をしてきたことに気が付き、「おぉ~」と言葉に表せない感動を味わった。
これから
この私の選択の仕方は不合理ではあるのだけど、そういった選択をする瞬間が訪れる人はたくさんいるのではないかと思う。
何となく言葉にできないのだけど、例えば「このタイミング」とか、「今ここだと思った」とか、それこそ「ご縁」だとか。
(ちなみに島根では「ご縁」って言うと納得されやすい気がします笑)
人になかなか納得されにくいことではあるのかもしれないけれど、自分が自信をもってこの選択が良かったと思えることの方が大事。
---------------------------------(余談)
脳科学では「直観」は超高速な論理的な思考の結果を導き出すプロセスらしい。つまり、これまで経験したことが脳の中にはフィルターとして蓄積されてきており、そのフィルターを通ってきて総合的に判断された後「yes」として吐き出されたものが直感的に「yes」であるということなのである。(逆もしかり)
---------------------------------(余談終わり)
今後とも、こういった選択の仕方をして生きていくかもしれない。
何にせよ、選んだ選択を正解にしていこうと思う。
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